GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「考えるのは動物的?」

2012年10月02日 | Weblog

久しぶりに堅いお話。

『「考えるというのは不思議な出来事で、やろうと思ってできることではありません。人間は普段、退屈と気晴らしが交じり合った日常をいきていますが、時折、そこに何かが不法侵入してくるときがあって、そう言うときにものを考えはじめる。』

 この文章とても良く理解できる。私が時々語ってきたメンターに出会った時でもあるからだ。しかし、この先が、さすが哲学者、私にはとても考えれない展開となる。10/2の朝日新聞:政治を話そうというページの國分功一郎氏のオピニオン記事をそのまま書き写します。
『その状態は動物に似ています。動物は退屈と気晴らしが入り交じった日常とはほとんど縁がありませんから。だから私は気晴らしの享受を「人間的』、ものを考えはじめることを「動物になること」と呼んでいます。』(この辺りが哲学者たる所以。「人間は考える葦」と言ったのは確か、哲学者・思想家のパスカルだったはず。しかし、國分氏は、考えはじめるのは、非日常ではないから、動物的だとおっしゃる)『(3.11以降の)今の日本では強烈な危機感が人に考えることを強いているのでしょう』

    

 國分功一郎氏は映画「ファイトクラブ」が好きだそうだ。主人公は北欧家具収集という「消費」に熱中するが焦燥感から逃れられない。だから殴り合いの痛みを代償にして、初めて生の実感を得る。

 現代の民主主義制度では、数年の一度の選挙に行くことくらいでしか、実感は得られない。そこに焦燥感を抱いて、日本の政治や政治家に不平不満をぶちまけるだけではなく、面倒と逃げないで政治に参加し、そしてとことん政治に向き合う覚悟が必要ではないか。

 昨年私はそんな想いがこみ上げてきて、ある政治家の後援会に参加した。政治家の生の言葉に接することによって彼の熱い想いを聴き判断したいと思ったのだ。たった6,000千円の年会後援会費だが、今年も継続して会費を振り込んだ。年末には後援会が開かれるだろう。大きな選挙が1年も経たずして行われるはずだけに、彼の展望を生の声で聞いてこようと思っている。



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