GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

映画「哀しき獣」

2012年01月14日 | Weblog
 

 今年最初に選んだ映画鑑賞は「哀しき獣」。「チェイサー」で世界中の度肝を抜いたナ・ホジン監督の2作品目だ。大阪では梅田と心斎橋でしか放映されておらず、私は心斎橋シネマートをチョイス。この映画館は韓国映画の「義兄弟」を見たとき以来。アメリカ村にあるビッグステップ4Fのこぢんまりした素敵な映画館。これからの上映予定としては「ラブ・ストーリー」のソン・イェジン主演の韓国版「白夜行 白い闇の中を歩く」(東野圭吾原作をどのように作り変えるかが楽しみ)、クァク・キョンテク監督(「タイフーン」「友へ チング」)のクォン・サンウと組んでのハードなラブ・ロマンス「痛み」が予定されている。この2本も必ず見ます。

さて、少しだけ映画の内容を。
 北朝鮮とロシアに接する中国領「延辺朝鮮族自治州」に住む朝鮮族男性が、必死に生きようとしながらも、貧困のために出口の見えない深い闇に呑み込まれていく。その哀しみを前回同様に息も付けないようなリアルなバイオレンス描写で描き尽くす。気の弱い方には不向きな映画だが、一度観たら忘れられないシーンの連続に驚愕しながらも、根底に流れる<差別と貧困の闇>に胸を鷲掴みにされるにちがいない。そして、改めて日本という国に生まれてきたことを感謝せざるをえないだろう。

 主演は「チェイサー」に続いて、ハ・ジョンウとキム・ユンソク。早くも「チェイサー」同様米国メジャーが映画権を獲得したとのこと。しかし、韓国特有の斧や包丁を使ってのリアルな暴力、寒さを伴った湿った暗さを描けるかというとかなり難しいのではないかと思う。

  

「延辺朝鮮族自治州」(全人口のうち漢族が過半数以上の59%を占め、朝鮮族39%が支配させている)は、古代の高句麗、渤海の故地であり、中華人民共和国吉林省に位置する地域。ここでもウイグル自治州と漢民族が朝鮮族を支配している。文化大革命時期には州長であった朱徳海(朝鮮族)が「地方民族主義の金持ち」として紅衛兵に迫害され、以降は朝鮮族が減少傾向にある。中国の人口13億人のうち、漢族は絶対多数の92%を占める。55の少数民族は全体の8%(約1億4000万人)を占めるにすぎない。しかし、わずか8%の少数民族の居住地帯は新疆ウイグル、チベット、雲南、延辺朝鮮族自治州、など中国の国土面積(957万平方キロ)の73%に達する。この広大な地域には天然ガス、石油、各種鉱物資源が豊富にあり、中国としては放棄できない地域。だからこそ、独立させず支配力は強い。

『チベットでは、大多数の政府その他の公共役人たちは、中国人または中国政府によって直接選ばれた者であり、チベットの寺や尼寺に置かれた「工作隊」は、中国政府及び「民主公安委員会」によって設定された者であり、それを構成する各個人は、中国権力者の直接選択からなっている。自治区全域で、チベット人労働者の権利はひどく迫害を受けている。中国自身も、「チベット自治区」以外の他のすべての地域で、チベット人が最低賃金で働かされていることを認めている。 

 

 中国本土では都市戸籍と農村戸籍があり、農村戸籍の人は移動や職業選択の自由がない、事実上の「身分差別制度」と云われている。男女差別以上に貧富の差や都市と農村の社会格差の方が大きい。女性でも、権力やお金を持つ人は圧倒的に強い。例えば、農村から出稼ぎにきた男性が都市の富裕層の女性と恋をして結婚するという例はほとんどない。改革開放の1980~90年代は、富める人が少なく、みんなが平等に貧しかった。そこから法の網の目をかいくぐってのし上がった人や権力を持った人たちは、貧しい人は貧しいままで利用するために法律を整備していくのだから、貧富の差が縮まることはない』
(http://www.cyzowoman.com/2011/04/post_3465.htmlより)

 日本もまた貧しい過去があった。そして、その貧しさを喰らって生き延びようとしたヤクザが庶民のすぐ側で巣を作っていた時代だ。貧困に喘ぐ実家に金を送るため、そして食い扶持を減らすために身を売った時代。紡績工場での重労働が描かれた『女工哀史』の時代。映画を観ながらそんな過去の日本が甦ってきた。日本の場合はその後の産業の発達が大都市から周辺の都市部へと移り、中産階級と呼ばれる層が生まれ、日本の大発展を支えた。しかし、今も差別と貧困、単一民族による支配が続く地域では、日本のような発展は望めない。生産・収入の平等を目指した社会主義なるイデオロギーは、既得権者の欲望の前に完全に消滅した。

 

 映画「哀しき獣」は、避けようのないような不幸が男たちを獣に変えていく様子が描かれている。拳銃ではなく包丁や斧という武器が、恐怖よりもより情念の深さを引き出し、リアルな暴力として心を凍り付かせる。優しさや温もりは獣には不必要なもの。もし、そんな不確かなものを求めれば、たちまち死を招きかねない。それこそが獣の掟だ。貧困と差別、獣に受け入れられるはずない。その哀しい不幸は映画館を出ても、家に帰り着いても身体や心に染み込んだままだった。久しぶり映画を一人で観た私は、そんな心と身体を暖めるために熱い風呂を準備した。ナ・ホジン監督、やはり彼はただ者ではない。

 


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