GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「アラブの春」の余波

2012年01月17日 | Weblog
シリア、強まる軍事介入論 
アラブで初の言及 カタール「殺戮止めるには軍隊」


              産経新聞 1月16日(月)7時55分配信【カイロ=大内清】

『バッシャール・アサド政権による市民弾圧が続くシリアに対し、外国による軍事介入の必要性を指摘する声が強まっている。同政権に批判的なカタールのハマド首長は15日までに、アラブの元首としては初めて、アラブ諸国からの軍隊派遣の可能性に言及。シリア反体制派の多くも武力介入を求め始めており、米欧が今後、どう反応するかが焦点となっている。「このような状況で殺戮を止めるには、軍隊が行くしかない」
 米CBSテレビ(電子版)によると、ハマド首長は同テレビのインタビュー番組でこう述べ、シリアでの弾圧が一向にやむ気配がないことへのいらだちをあらわにした。
 アサド政権からの離反兵らで作る反体制派武装組織「自由シリア軍」はすでに、武力が「政権打倒への唯一の道」(幹部)だとして明確に米欧などの軍事介入を要求、今後はカタールが同軍への支援を強化する可能性もある。ただ、軍事介入までのハードルは高い。現実的には、介入には国連安全保障理事会の決議が必要となるが、拒否権を持つロシアなどは政権寄りの姿勢を崩しておらず、「安保理に提起されても、結論が出るには数カ月はかかる」(外交筋)との見方が一般的だ。
 エジプトの首都カイロに滞在する反体制派グループ幹部によれば、シリアでは現在もデモは拡大している。自由シリア軍による政権側へのゲリラ戦も衰えておらず、両者の戦闘が泥沼化する懸念は強い』

 昨年初頭から始まった<アラブの春>は、周辺諸国へと飛び火しながらも旧政権の激しい武力行使によって沈静化をみせていたが、突然シリア問題が沸き上がってきた。ここにきてシリアに隣接するトルコ共和国が微妙な存在として気になってきた。アラブ諸国の中で1930年代、いち早く欧米化に着手し、トルコの父と呼ばれたケマル・アタテュルク大統領の偉業を少し述べたい。

 
 初代トルコ共和国大統領ムスタファ・ケマル・アタテュクル


『1931年に度量衡の改正があり、西欧式の「メートル法」が取り入れられた。1932年に入ると、休日が従来の金曜日から日曜日に改められた。この結果、官公庁は土曜日の午後から月曜日の朝まで休館となる。また、年の初めは、イスラム式の7月16日(マホメッドがメディナに移住した日)から西欧式の1月1日に改められた。1日の始まりは、太陽が昇った時ではなく、午前0時になった。これらの改革は、言うまでもなく、欧米や日本と円滑な商取引を進め、外交関係を打ち立てて行く上で大きく貢献したのである。次に大きな目玉になったのが、「創姓法」である。1934年6月、トルコに住む全ての国民が、「姓」を持つことを義務付けられたのだ。当時のトルコ人は姓を持っていなかった。親から貰った名前に「あだ名」が付くだけだったのである。これでは戸籍や納税台帳が出鱈目になりやすく、近代国家としては不備である。そこでケマルは、国民の識字率が十分に高まったこの年に、全国民に一気に「創姓」を義務付けた。トルコ共和国のケマル大統領は共和人民党のマニフェストに乗っ取って、イスラムの因習を嫌う「男女同権」を早くから主張していた。実は、イスラム教はもともと男女の平等を謳っている。しかし「女性は夫や親以外の男性に素顔を見せてはならない」という戒律の存在が、結果的に女性の社会進出を大きく制限し、イスラム圏の女性たちの多くは、いつしか専業主婦に収まることを余儀なくされていた。ケマルは、このような状況を打破したいと願っていた。
 1930年代のトルコでは、女性の社会進出が続いた。イスラムの桎梏から解放された女性たちは、今では洋服を着こなし、工場やオフィスで男顔負けの仕事振りを見せているのである。女性が軍人になっても少しもおかしくない空気が醸成されていたのだ。

 トルコ議会では、かつて自由共和党が提唱した「婦人参政権」に関する議論が盛んになっていた。それだけではなく、女性に公務員や弁護士といったあらゆる職業を自由に選べる権利を付与しようというのである。この議論の最も強力な提唱者は、他ならぬケマル大統領だった。女性の力を認める彼は、女性を男性と完全に対等の地位まで引き上げようと志したのだ。

「進歩に飢えている国民は、その人口の半分を放っておくわけにはいきません。トルコ人は強い国民になろうと誓いました。我々の妻や娘たちは、我々が国に尽くし国の運命を導くのを助けることでしょう。トルコの安全と名誉は、彼女たちに委ねられているのです」
こう語ったケマル・大統領は、1934年12月、全国の女性に、完全な婦人参政権と職業選択の自由が与えられたのである。たちまち2人の女性がアンカラ家庭裁判所の判事となり、4人の女性がイスタンブール市議会の議員に選出された。続いて、1935年の選挙で17名の女性国会議員が誕生した。これは、実は世界史的な偉業なのである。この当時、日本はもちろん、スイスでもフランスでも、婦人参政権は様々な形で制限されていた。日本などは、第二次大戦が終わって戦後時代を迎えるまで、女は男に隷属する存在としか思っていなかったのである』(http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/ataturk28.htmより)

 さて、アラブ諸国の中で唯一欧米化に成功し、力をつけてきたトルコ共和国は、アラブの旗手だったサウジから権力奪回を目指している。長い間、トルコはイスラエルと同盟関係にあったが、2011年9月18日、トルコはイスラエルの大使を追放し、イスラエルとの軍事同盟を破棄した。(それは米国との決別を意味するのではないか) 現在、トルコとイスラエルの関係は、最悪の状態にある。中東での米国の影響力が失われてきた背景が根底にある。トルコはイスラエルばかりでなく、アサドのシリアとムバラクのエジプトとも同盟関係にあった。このNATOのメンバーであるトルコが結んでいる2つの同盟は、米国の中東における最も重要な支配の柱であったのだ。今それが大きく揺らいでいる。

 トルコとイスラエルは、ともに中東では非アラブの外様として、同盟を結んできたが、現在、まさに外交政策において、隔たっている。イスラエルは西(米国)を向き、トルコは東(EU)を向いている。トルコはNATOのメンバーであるにもかかわらず、ヨーロッパに拒否され(長年EUに参加できないでいる)、今、アラブ諸国に接近している。当然この動きに米国は危険視している。

          
     アラブの春

『「アラブの春」に対するトルコの反応はすばやかった。これまでのトルコとイスラエル・シリアとの関係は、エジプトとの関係強化に取って代わった。これは、中東における新しい秩序の確立につながる。トルコの外交が、イスラム圏での重要なプレイヤーに仕立てたのは、ダブトグル外相である。ニューヨークで、国連総会を前にして、彼は、「中東は現在、変革の只中にあり、トルコはその中心的役割を果たしている」と語った。同外相は、「イスラエルはトルコとの外交悪化の責任がある。シリア大統領は、一刻も早く反政府派に対する野蛮な弾圧をやめるべきだ」と述べた。
 トルコとエジプトは、ともに軍事的に強大であり、人口も多く、影響力を持っている。中東での米国の影響力が失われている今、トルコとエジプトは新しい枢軸勢力となる。ダブトクル外相は、ムバラク退陣後、すでに5回もカイロを訪問している。「この枢軸は、イスラエルやイランを敵にするものではない。これは中東の2つの大国による民主主義の枢軸である。これは、黒海からナイル川にいたる広大な地域をカバーする枢軸である」と語った』(http://www.jca.apc.org/~kitazawa/undercurrent/2011/new_alliance_in_middle_east.htmより)

1991年12月25日、ソビエト連邦の大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、これを受けて各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦が解体された。
あれから米国の没落が始まったと云える。そしてグローバルパワーのバランスが変わってきたのだ。
 冒頭のシリア問題に戻るが、カタールのハマド首長は15日までに、アラブの元首としては初めて、アラブ諸国からの軍隊派遣の必要性を語ったが、実際にこのようなことが起これば、中東の軍事バランスは大きく変わってくる。中東の油田という大きな資源を必要とする欧米先進諸国、特に米国は、イスラエルやサウジを使って大きな圧力を加えるに違いない。「アラブの春」は形を変えてアメリカにプレッシャーを与え始めたのだ。オバマ大統領は没落目前のEUをしりめに『アジア太平洋地域は、アメリカにとっても最優先地域だ』と強調しているが、決して容易には視線を変えられない状況となってきた。

 軍事力を備えて台頭する中国、安定するかどうか微妙な北朝鮮の世代交代、TPPは決して米国の勢力保持には結びつかず諸刃の剣の様相を呈してきているように思う。石油の倉庫地帯として中東和平に力を注いできた米国は、「アラブの春」によって新しい戦略の構築し直しを余儀なくされている。経済破綻寸前のEU諸国問題にも注目せざるを得ない今、世界のリーダーシップは誰の手に委ねられるのか。自由主義経済は世にも恐ろしい<市場>を作り出した。大量に流がすお金の操作、マネーゲームによって、大河が逆流するようなことが頻繁になってきたのだ。その根底にながれているのは人間の欲望でしかなく、グローバル化はその流れを促進しているように思えてならない。

 かつてトルコの父と呼ばれたケマル・アタテュルのような崇高な理念に基づいた行為は消滅したかに思える。欲望の前に崇高な理念は、大海を浮かぶ枯れ葉となってしまったのか。今の日本の状況もその渦中にある。
 私は忘れてはならないのはもの作りだと思う。たとえ大河の流れが逆流しようとも、いいものを作り続けることが日本が混沌としてきた時代を切り抜ける突破口になるように思う。いいものを作るという理念はどの時代にも適応し、人々を健全な道に戻してくれるように思うからだ。日本の生き残る道もこの理念の中にあるように思う。<イノベーション>この言葉には、永遠の輝きを放つ力を感じる。