GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

映画つれづれ草子(6)「アジョシ」

2011年09月23日 | Weblog
 数年ぶりで息子も一緒にMOVIX。選んだ映画は昨年韓国で630万人を動員してNO.1ヒットとなった「アジョシ」。韓国男性の間で「決してデートで観てはならない」と、半分本気、半分冗談の噂が流れた。曰く、ウォンビンがあまりにもカッコよすぎて、映画が終わった後に彼女が隣の席を見たら、「タコが座っている」ようにしか見えないというのだ。こんな紹介文を読んだが、まんざらウソではなかった。

 主演はキムタクやヤスキヨのやすしの息子木村一八似のウォンビン。今までの彼はTVドラマ「秋の童話」や映画「ブラザー・フッド」のような繊細な役柄が多かった。復帰第1作目の「母なる証明」でも、子どものような純粋無垢な心を持った青年役を演じていたが、私には物足りなかった。何故、こんな映画を選んだのか。そんな疑問が残る映画だった。しかし、退役後第2作品目の「アジョシ」ではそんな想いをあっけなく一層してくれた。孤高の元特殊工作員を見事に演じ、驚異のアクションを見せてくれた。ボーン・シリーズのマット・デイモンの激しい格闘シーンを彷彿させてくれた。いや、この凄惨はかつて観たことがない。そこには韓国映画特有の凄みがあった。

 <アジョシ>とは日本語に訳せばダサい<おっさん>のイメージだが、その概念さえも変えてしまったという。「秋の童話」以来彼が気に入り、以来彼に注目してきた。「ブラザー・フッド」の気弱な弟役から異常な戦闘に巻き込まれ、精神まで病んでいく役を見事に演じていった。兄役のチャン・ドンゴンとがっぷり四つに組んだ共演は見事だった。

 韓国の俳優を観ていつも驚かされるのは演技の幅が本当に広い点だ。当たり役を重ねて演じることを敢えて避けているように思える。汚れ役でもチンピラ役でも、その役柄に深い情念を感じさせる難しい演技に果敢に挑戦する。たとえばキムタクはどの映画でもドラマでも何処を切ってもキムタクだが、クォン・サンウやチャン・ドンゴン、ソン・スフォンはTVドラマでは、繊細でよく涙を流す役柄が多いが、映画ではとことん重い激しい役柄に挑戦している。華奢に見えてもシャツを脱いだ彼等の肉体美も、男の私がいうのはおかしいが、いつも驚かされる。ふと松田優作を思い出し、彼が見本ではなかったかと。「ブラック・レイン」の優作の鬼気迫る演技は何度観ても胸を鷲づかみにされたことを思い出した。

 映画「アジョシ」の話もしておこう。見終わって映画「レオン」を思い出した。「レオン」のように少女が拳銃を握るわけではないが、命を賭けて少女を守ろうとした点が似ている。ウォンビンが元工作員と思える殺し屋とナイフで戦うシーンは、見ていて息が止まってしまった。ナイフでの凄惨な殺害はTVドラマではタブーになっている。それはナイフや包丁があれば誰でも殺人が可能だからだ。しかも、殺人者と被害者が最も接近して行われる。このリアル感が問題なのだ。映画「レオン」中で、殺しではナイフによる殺人が最も難しいというセリフがあった。理由は相手の目を見る接近戦だからだ。「ランボー」シリーズでも何度もナイフシーンを観ているがその比ではない。「アジョシ」ではここまでやるかと思ってしまうほど、凄惨、壮絶なシーンが続く。気の弱い方の鑑賞は止めた方がいい。また子供の臓器売買の話も絡み、人間が行いうる所業の恐怖が、暗黒の闇の淵から顔を覗かせる。人間以外の動物は、ここまでの残忍さを持ち合わせない。人間だけが持つ限りなき欲望が、悪魔の所業を生じさせるからだ。
 映画「アジョシ」はとても良くできているが、ファミリーやカップルで観る映画ではないと老婆心で云っておく。我が家では観てしまったが。