GOODLUCK'S WORLD

<共感>を大切に、一人の男のスタンスをニュース・映画・本・音楽を通して綴っていきたい

「親友に逢いに行く」

2011年09月30日 | Weblog
 九州にいる親友が大病を患った。我々の年代で、半世紀以上酷使してきた身体、すべての部分で健常者はいないはず。大学時代に知り合ってから40年近い歳月が過ぎた。友人の結婚式で顔を合わせて以来だから、少なくとも30年近く顔を合わせたことがない。そんな二人が再会するのだから、きっとお互いの変貌ぶりを驚くに違いない。大学時代同じクラブを選び、お互いに音楽の趣向が合うということもあって、ギター2台のフォークデュオを組んだ。そして4年間楽しい学生生活を送った。二人とも鹿児島とはなんの縁もないのに<おいどん>という不思議な名を付けた。

 地方出身の彼は「東京は住むところではない」と言っていたこともあり、九州の安定した企業を選び、早々に居を移した。若い頃の私は「我に七難与えたまえ」という信条だったこともあり、興隆するだろうと見込んだ外食産業に就職した。13回の転勤中に連れ添いを見つけ、就職して12年を経て、外食産業もここまでだと思い、退職して大阪にマンションを購入した。その1年半後の1990年、バブルの最盛期に明治時代設立の電鉄会社からお呼びがかかり、再就職して現在に至っている。昨年定年退職し、その後も同じ職場で1年毎の契約で継続勤務を仰せつかっている。肩たたきとは思いたくはないが、同じようなものだと捉えている。

 夏の最盛期も終わり秋の旅行を考えていたとき、九州旅行を思い立ち、彼に連絡を取った。退職したら夫婦二組でゴルフコースを回ろうと数年前約束していたことが脳裏をかすめたからだ。メールすると、大病を患っているが回復しそうだ、来てくれと、入院中とは思えない元気なメールが届いた。しかし、本当に驚いた。

 私は今の会社に再就職してから数年後、健康診断に引っかかった。40歳直前の頃だった。胃カメラを飲まされ、その後も毎年、胃カメラ検査に来るようにと云われた。しかし、その後の健康診断には1度も引っかからなかったので、この身体にはとても感謝している。しかし、胃カメラ検査の前は真剣に自分の身体のことを考えた。まだ子供も小学校で将来の事、マンションローンのことなど、もし私の身体に異常があればどうすればいいのかと。幸い十二指腸潰瘍の跡だと判明し、ほっとした。
 このことがあって初めて命のことを考えた。「残された命の事を考えてからが、本当の人生」といったのは五木寛之氏だったろうか。これまでの自分の仕事や生き方、信条、ストレスによる成人病、連れ添いや子供のことをそれまで以上に深く考え始めた。死を意識したことなど一度もなかったのだ。
 今までをラッキーだったと受け止めた。この運を少しでも伸ばそう、このGOODLUCKを大切にしようと考え始めた。善人も悪人も良運も悪運も自分が行きつつある方向からやってくるものだ。だからこそ、道を選んで歩まなければならない。そう考え始めた。  
「やるべきこととやりたことを同一線上に考えよう、もしくは一致させよう」自分のスタンスをシンプルに、そして明確にすることに努めた。ストレスを少なくして生きることが目的だった。あの胃カメラ検査がこれまでの人生観を変えたと思っている。

 2005年、元気な母(2007年他界)が自宅で腰骨を折るという事故にあった。それからの母は、グチが多くなり仕事帰りに実家に立ち寄っても、何処へも出かけられないという悔しさと嘆きばかりだった。今までのように歩けなくなってしまったのだからしかたがない。可哀想だが私にはどうすることもできなかった。痛くて辛い日々を嘆く母をどう慰めたらいいのか戸惑った。そんな時、ある映画のワンシーンのセリフを思い出した。「運のいい人だけが、素晴らしい思い出を持って天国に行ける」私は母と向き合うスタンスをようやく見つけた。映画の題名は「ジョー・ブラックをよろしく」

「なにを嘆いているんだよ。
 もっと痛くて毎日寝られない人が世の中にいっぱいいるんだよ。
 今まで母さんほど好きなことして、好きなところに行って来た人が周囲にいるかい?  
 日本中行きたいところに旅行しただろ。
 俺が香港に連れて行ってからも、世界中行きたいところに行って来ただろ。
 着たい服や着物もタンスにいっぱい詰まっている。
 ハンドバックも幾つあるか数え切れないよ。
 商店街の婦人部長として、やりたいことに挑戦して来ただろ。
 念願の先生になって、お茶やお花を教えてきたじゃないか。
 最近はヨガの先生までして、免許もないのに協会から怒られていたじゃないか。
 その上、兄貴や俺をりっぱに育ててきてくれた。
 嫁にして孫たちにしても、誰一人問題もなくみんな幸せに育っているだろ。
 みんな母さんのおかげだよ。
 母として一人の女性として、
 こんな素晴らしい思い出をいっぱい持っている人が周囲にいるかい?
 何を嘆くことがあるんだ?
 自分の人生に悔いなどないはずだろう?」

 仕事帰りに実家に寄るといつもこのように母と接した。それからしばらくしてからだった。「我が人生に悔いなし」と豪語し始めた。母はようやく心の整理をつけたのだろう。でも体調が悪い日はいつも弱気になっていた。電話でそう感じた時は会社帰りに寄っていつものように元気づけた。

 心の整理とは、別れがつらくなるような人生の歩みを心から喜び、そして感謝すること。最も近い配偶者や家族、身近な人たちに心から感謝し、切ない人生の無常を静かに受け入れることではないだろうか。母や他人の心根の奥など覗けるはずがない。ただ父や兄や私は間違いなく母に感謝している。そして、母と共に生きてきた人生を幸せに思い、悔いなど微塵もない。母もそうであって欲しいと願うしかない。私はそうだったと信じている。

 この30年間で役員まで登り詰めた彼がどのような人生を送ってきて、どんな人間性を築き上げてきたのか、知る由もない。しかし、大学4年間、最も長く一緒に過ごした友であり、心から無二の親友だと思っている。接点は半世紀を越える長い人生のわずか4年間だが、互いに濃密な時間だったと信じている。飛行機とレンタカーを予約した。海辺のコテージを借りて夫婦2組で1泊したいと思っている。ギターを持ち寄って僕たちの歌を妻たちに聞かせようと思っている。観光に行くつもりはない。もっとかけがえのない濃密な時間を過ごしたいと思っているからだ。

 大学時代のコンサートステージで観客に向かって彼はこういった。
「こいつがヘタな曲を作り、僕がうまく歌う」大爆笑だったが、私は本当にそう思っていた。彼の声が観客を魅了してきたのだ。輝くような4年間は彼のお陰だったと今も感謝している。だからこそ、本当に元気になって欲しい。心から願っている。