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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

蝶の飛来・大潮・卯月

2024年05月21日 | Weblog

 網戸から外を見れば、黒揚羽が飛んでいるではないか。初夏には、黄揚羽がやって来ての産卵と幼虫孵化した。その辺りから、黒揚羽を見かけてはいた。柑橘類には葉は一枚もなく、どうするんだろうか?山椒なら玄関脇に生えてだ。

 その場所は、西側にあり南天や紫陽花が勢いよく十薬も繁る。枇杷葉と木通も植えてに、餌には程遠い。東側に回れば、手つかずの柑橘類はあるのだが気づくかなと案じてしまう。自然界の掟、殊更にとは思えないものの命の誕生厳い。

 青空市にて苗を買った苺、廃物利用容器の甲斐もあるか熟れるを摘む。農薬もなく、放置してなのに甘くて美味しい。ランナーも伸び、次回への試みにしようと見守り中。薔薇のジャム試作、花弁活かせる方法とお腹に収めるも佳しとも。

 枇杷葉の焼酎漬け、打撲に効果あると再認識したのは肋骨折れた所以也。1週間程は、こんなものとしていたが…寝返りが打てない。就寝時に眠れなくも、手拭いに包んで患部に当てた。程なく痛み飛散、呼吸も回復し安堵に至れる。

 症状に応じての施行もあるが、情報を決して鵜呑みにせず方法の工夫をされたし。個人差と云うには、同じことではなく些細な条件がある為。強ち、他人の真似と行わずに。

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卯月・十方ぐれ入り・中潮

2024年05月20日 | Weblog

 二十四節気 小満 光熱ともに旺盛となり、陽気天地に満ちる との意味で、小満と云う。毎年、五月二十一日頃である・閏年は一日ずれてとなる。ここ数ヶ月の気温の上下は著しく、眩暈さえ覚えてしまう様に遊具のJコースター並み思う。

 今朝は晴れての気温も既に24℃、庭の植物濡れてを見ながら暫し佇み愉しめる。釣鐘草は蕾から開花し、花色も確認に紫・薄紫・薄桃と心も踊る。枇杷葉苗の新芽、霜被害あり撓れ発見する也。気温の変化、自然の掟と殊更に厳しく。

 数日前、腰の異常を感じて枇杷葉の生葉・焼酎漬け手拭いに包み貼る。自然療法なのは癒しの効果と施行、低温や湿気も有。出窓を開け、網戸にすれば風は渡りゆく涼やかさ。庭の緑繁りつつに、眩いきらめき見て歓びは増してとも。

 青空の広がる中に、鳥の囀り聴き肉体を抜け心は翔けれる。宙を舞う衣なくも、躊躇うことなく白龍乗せられており。自然の与えしを疑う勿れには、はり灸さんの治療時を想え感謝して。熊Drへの信頼度は、心身共に委ねての施行と覚え。

 来月の予定多く、生協関連だが午前中の外出。団地内の草刈り作業もあるため、早寝早起きかな。尤も深夜に起きれば、昼寝は必須条件で夜空探訪は身体の機能維持と枇杷葉欠かせず。

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曇りから天気崩れるか・中潮

2024年05月19日 | Weblog

 購読新聞は毎日で、特に日曜版を愉しみとしている。松尾貴史さんや貝原純子さんの記事に、頷くことが儘ある。このお二人に共通するのは、資格云々でも知ったかぶりでもない文章内容なことと思える。読者への促し心地佳く温かい。

 他人の性格を変えよ、と云うよりも聴いてくれて添ってに気持ちは和らぐもの。職種は如何ともし難いと偏見を抱いたが、文章の中に鏤められた想い違わず胸に沁み込む。こうしなさいとも、こうでなければ他人と非ずがなく思考を促せる。

 生かされて過たわず、今を見つめられることは有難いもの。昨日から頻回に369の数字現るも、釈迦の訓え非ず。視えたり聴こえたりに特殊意識はないが、刻として意外な事態を招く。言霊必ず自らへ還ると覚り、安易に文字は綴れず。

 庭の芍薬、華が咲しを花瓶に挿す。薔薇はせっせと花弁集め、ジャムにする用意。木通の実の付き、強風にて行方知れずとなる。蜂が巣をかけているのを注意しているが、見え難い場所。狭い庭での共存もこちらの勝手都合と、祈る日々。

 曇り空に水遣りと徘徊は欠かせず、常備しているペットボトルにて鉢に補う。水道の栓を捻れば出るが、鉢の中まではかからずしな垂れることが多い。植物は物云わぬ心を留め。

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自然は雄大にて動じず・若潮

2024年05月18日 | Weblog

 昨夜の就寝時間、シンデレラタイム越えたが気温や天気に通常時で起床。先ずは徘徊、薔薇はスプレーやミニまで満開に芍薬も艶やかに咲く。釣鐘草の綻び薄紫を見つけ、気持ちうれしくなる。玄関脇の弦バラ・一重、波打ち広がる。

 木通の繁中に、幼虫見つければ蛹になる準備かな。出窓下に植えての芍薬、濃い桃が大輪の華を咲かせるに倒れそうとなりつつ風に揺らぐ。本菖蒲、剣先空に向けては爽やか也。枇杷葉苗、剪定の枝より新芽が次々出てを愉しみに。

 ここ数日、数字の続きに偶然は必然かと思う為り。解き放たれし他人あるは、懐かしさ膨らむ歓び。灌仏会を境として、今朝の新聞に蜘蛛の糸掲載も意味あろうと心する。訓えあれども、気づいては幸いと覚える心理に糺して覚り至るもの。

 ブロ友さんからの、本田路津子さんの曲を聴きながらその清んだ声に魅了。歌詞も重要乍ら、歌手にも縁ると個人的には思うが好みも大きい。中山千夏さん、才女所以引っ込んでおられる。ひょっこりひょうたん島、懐かしい人形劇ですね。

 仕事を辞めてのこと、自分で管理の向きばかりではないが対処へ思考すれば佳し。困難事態にも急かず、暫し立ち止まりてどうするかを検討して前後左右確認するも可能性に心を鎮め。

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風和らぎて晴れる也・卯月

2024年05月17日 | Weblog

 田植えの準備にてんてこ舞いであった子どもの頃、村中総出の溝攫え行事。忍冬や野苺の繁りを切り、用水路の落ち葉を漉くい片付ける。当時は池の水と天水頼り、流れも滞ると厄介から朝早くから起こされ手伝いに駆り出された。

 祖母は実が熟れてのこと、子ども等の楽しみとそこだけを誰よりも早く刈り込んでくれた。草刈り機は無く手作業は、有に2時間は要したと今更ながら思える。天が白み懸かる時刻、手早く着替えてのことに孫等への想いを深め感謝とも。

 5月の時期は、稲籾を湯に浸し苗代に撒き発芽を焼きすくもにて促せる。霜が下りてもあるから夜空に問い、毎朝見回る。月の状態欠かせず、異変を察知して対策をしていた。孫の中で鮮明と記憶は濃くなのを、不思議に想えるこの頃。

 座して覚る行為は、何も大勢の中に行くことではなく自らの心得かと。他人の気配察し、邪悪さ感じるのは宜しくないと殊更に想える。与えられた場所は、森羅万象に亘り白龍守るを覚えれば佳。多くを望まず願わないこと、適えられし。

 明るさに立てば暗闇を視るもの、反対に居るなら隅々まで照らされてが判る。心に生じた懸念、急かず思考してのこと転じてと思う也。個人差は否めずも、自らへの問いかけを忘れない。

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太陽フレアの?

2024年05月16日 | Weblog

 朝曇り、風は強しに布団は押し入れに仕舞う。じゃが芋茹でてサラダへと、レタス千切り青じそ収穫。芍薬が風に倒れそう、薔薇はブライト・パステルピンクと開花してを愉しむ。釣鐘草は種から発育したのが、蕾多く見せうれしさ増せる。

 月が観えぬと心許なく、宙に懸る様仰ぎ一日を感謝する也。ブログ訪問時に、偶然の連続1111と次々現る。ふとリアクション眺めれば、其処にも11分前と並ぶ軌跡。何時ものことではなくにも、思い中る節ありてを祈り感謝へと心に留。

 昨日の灌仏会に、心機一転を想えたこと歓びに繋がり亘る。奇跡?自然への感謝なくばと、自らを戒め更なる精進は必須と覚えて。意図してではなく、無意識に見えたことに学ぶこと多しとも。他人の心転じずにも、想いを深める為りて。

 枇杷葉の援けに如何許りあるを、有難い気持ち失わず。白龍、宙への出現にその姿認める。体調維持に枇杷葉用るは、症状改善されてをうれしく幸甚。生きてなら、予定通りには往かず想いにも隔たりあるを愉しむ為り与えられし歓び。

 豊かな暮らし?その基準は何を以って云うのか。快適で便利は、動かずにや遠隔操作できることだろうかと違和感がある。身体は正直、使わない部位は退化し偶さかに異変。

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灌仏会・卯月・上弦・小潮

2024年05月15日 | Weblog

 晴れてはいるものの、気温低し宙の霞棚引くかと栴檀に眼を遣る。向かいの山に咲きし、西側は多少の遅れかと眺めて。時代に由っては、農薬替わりと重宝さての樹であるが巨木に伐られてる。木に雲との様を、樗と云うのは妙に納得也。

 昨日の夕方、お隣からの豆の差し入れ今朝ご飯に炊き戴く。炊飯器に少量の粗塩入れてみたら、ご飯が程よく甘い。余りの旨さにお代わりして、有難く。ブロ友さんお弁当に持参を、明日には・今日青空市へと予定した心算与えられし。

 何気ないと受け取るか、偶然のことと感謝すれば歓びに繋がるもの。誰しも同じや似通った者ではなくとの認識、言霊の還り凄まじくとも。何事も自分への都合ではないのも、気づけることに歓びと想え祈れる有難さ偉大為りと覚えつ励む。

 この日は、そういった諫めや自らの心の有様を問うものと訓えられる。旧暦の暮らしと慎めて過ごせること、何等憂うことも非ず。自然からの恩恵、シンクロニシティ度々起きるは清らかさ保ち安寧への心失わず然り。この日、新たな始まり也。

 枇杷葉の実生りが少なく、裏年違わずも強風に袋の落下有り。自然界の掟なのは否めず、野鳥の狙いも多いと知るもの鴉は電線にて鳴き交わし枇杷の熟れるを待つは利口。

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無碍の境地に想い馳せ・小潮

2024年05月14日 | Weblog

 Am5時、カーテンの裾に光淡く見て晴れと知る。昨日は、資源塵の回収日にてこの時間に起きたが寝床出でず。洗濯物干し布団広げ、庭徘徊は薔薇の散る前をジャムにする為。玄関の一重の弦バラ開花を見、ユキノシタ苗を集め植えた。

 この時期、花が咲いており鉢に移してみた。出窓や棚へ置いての物は殆ど外へと、途端に侘しく感じたもの。室内鑑賞には合わぬかも?日陰で育ち増殖するからの、資源の活用。紫陽花に花も付き、南天の勢い古枝折れば更に増。

 季節柄、暖かいとの思い込み怪しく環境の変化に戸惑う。身体は冷やさないのが基本であり、旬の野菜にも気をつけ未だ小豆懐炉は放せない。気温も18℃と油断ならず諫めて食材にする物は控え、病に罹らない心構えは大切とも。

 枇杷葉の威力には、個人差があるものの用い方や援けて貰える心にも縁る。自然治癒力を酷使しないで、異変に気づけることも重要なのだが実践は難しいもの。誰かが記載を鵜呑みは如何せん、知識は訓えられを自ら学ぶもの為り。

 歓びあれと。

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気温は不安定と也・卯月

2024年05月13日 | Weblog

 お釈迦さまの産まれに、自然界の異変がみられた三千幾代前はこの時期。時間が止まったような汗ばむ森の中で、天・森羅万象の寿にて誕生。母親の摩耶、幼児留めるが身罷る宿世。王子・シッタルダー、天上天下唯我独尊唱える為。

 今朝は、資源塵の当番で早朝から予定を熟す。持って来る方は少なく、その間に掃除をと箒に塵取り持ち辺りを掃く。蜘蛛の巣も払い、レールの石も除けるが誰もしていない。当番は、立って居るだけでは退屈しないのかと疑問に思える。

 以前には、仕分けのルールも怪しく見ていてもいい加減。この頃は、備え付けの袋へと何時でも持ち込める。当番は必要か?何の意味もない気がするが、役目は怠れぬ。帰宅して、出がけに挽いて淹れた珈琲をじっくり飲み訪問開始。

 昨夜は早くに就寝したら、真夜中に目覚めた。誰かに呼ばれた気がしたものの連絡できず、想い亘る方へ波動を贈。ここ数日間に、369の数字が視えることに伝えたいが気づいてと心に。祈れば佳と云うのではなく、受けても大切な要素。

 ブログの形態が変わり、何やらややこしい表示に困惑しており新しい機能は省いている。承認した時点で混乱するは必須と、現状維持を保つ也。薔薇が次々開花してなのを、歓びとも。

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御薪能・興福寺南三大門発祥の地

2024年05月12日 | Weblog

 本屋に勤務していた頃、高校で教鞭をとる方々との交流が多くあった。専門的な話しを、興味本位な若輩にして下さり百聞は一見に如かずと。御薪能は、奈良が発祥の地であることから、必ず 御 を付ける習わしとして他には用いない。

 篝火を焚いての催し、宿泊でないと不可能な距離。出かけるのに躊躇したが、観たい想いに惹かれて1泊計画。会場には着物姿が多く、通の方が殆どで初めての者へかいつまんで教わる有難さ。夕刻の訪れ、胸騒ぎ宙に星の瞬き。

 御能の衣装、絹の鈍い輝き映えて舞いしを新鮮な驚きに染まる。能面の表情変わらずながらも、静かな動きの下に激しい情念を想えた。清の動作、静止しての次の瞬間へ誘う舞いに魅了される。言葉分からずも、伝わる波動感じて為り。

 足利義満が、地方に発しての間者として路地で情報を集めたと記される。能を知ったきっかけは、浅見光彦シリーズで天河殺人事件。奈良には、光瀬龍師から、阿修羅王像を是非にと何度も遇いに。奈良公園の周辺、ひたすら歩いた。

 今年の御薪能は、18・19両日とブロ友さん知らせてに予定なく。奈良の御薪能は、観世・宝生・金春・金剛と四座に狂言。日本の伝統楽器の調べ、幽玄な舞い姿は後世に継がれて健在なりとも。

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