goo blog サービス終了のお知らせ 

枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生・穀雨、郵政記念日

2015年04月20日 | Weblog

 穀雨。二十四節気、春の太陽が、強さを増すこの頃の雨は、五穀の生長に、天の慈雨と言う意で、穀雨と呼ばれる。毎年、四月二十日頃である。然し、それにしても今年は、雨が好く降るものだ。梅雨時を思わせる雨粒に、庭仕事ができないと佇むばかり。

 図書館は休みだし、返却本を読むしかない。洗濯物が乾かず、げんなりするが仕方ない。新聞を丁寧に読み、豆を挽いて淹れた珈琲を飲む。凌つく雨とはこうもか、と窓から外を見遣る。地の日 天の海も下巻に入る。作者の時代考察に、不勉強を恥じる。

 勤務先で、地元の交流に際し、歴史がわかる資料がないか、と問われる。そりゃ、図書館に行けばあるだろうし、貸します。いえ、寄付しますよ。それにしても一夜漬けならぬ、他人任せでは話の糸口も見つからない気がする。高齢者への理解も、歴史ですよ。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。この天下人から、主だった人物が浮かぶ。様々な解釈での大河ドラマがあり、主役に依っては面白かった。織田信長のやった事は、狂気じみていたかもしれないが、国を豊にしたことは確かだろう。誰もし得なかった所以だ。

 徳川の時代が、何百年も続いたのには、家康の忍耐と、国造りの設計をきちんと描いていたからだ。慌てず騒がず、時代の到来を堪えて待つ心構えができていた。時鳥、啼くまで待とう。という例えによく現われている。人は、殺し合いもするが、援けもする。

 豊臣秀吉が家臣でなかったら、織田信長は天下人の夢を見なかったろう。とも思える。今は、戦国時代ではないが、科学の進歩に因って、原爆や、原発事故が起き、修復不可能な世界に陥っている。発展途上国への電化製品の廃棄が、汚染を広げている。

 携帯電話や、パソコンが便利さを競い合う中で、不必要になれば捨て買い換える。それらの廃棄物は、扱いのわからない国に持ち込まれて、うず高く積み上げられる。様々な化学物質が、地球を汚染していく。便利さと豊かさと引き換えに、地球は再生不能。

 毎年、この時点では実があるが、早番、ヒヨドリにやられる。1週間で実は消えた。野鳥もお腹が空くのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥生、朔・大潮

2015年04月19日 | Weblog

 雨である。青空市に連絡し、家事を片付けてから出向く。タラの芽、蕨、こしあぶら、牛蒡を買い、切干大根を加えた。箱を取っていてくれたので、それに詰め、持参していた枇杷葉の花芽を入れて荷をした。リエさんには前回送ったので、今回はしーちゃんに。

 我が家にも少々のタラの芽と、牛蒡、蕗を求める。苺の新鮮なのがあり、箱で買う。これだけを自分地で作れるといいな、と思うばかり。百日紅の新芽が出てきたので、枯れた枝を切詰めておく。枇杷葉の袋掛けが雨でできず、空を見上げる。天気不穏につき。

 弥生の山には、新緑と溶け合うような山桜の薄桃色が見える。八重桜も、薄いのと濃い色がある。藤の花も膨らみを見せ、滴る葉ずれから咲き出す。季節の変わり目には、体への変調が起きてくる。肩の痛みが残っているので、枇杷葉温圧療法を施行する。

 林檎の花が咲いており、スズランが蕾を付けた。ユキノシタや、ドクダミが勢い良く伸びて、緑の葉を広げる。小手毬が咲き、椿は終わる。麦の穂が膨らみ、フリージアがそろそろかな。薔薇の蕾を、バッタの食っているのに塞ぎ、芍薬の華を佇んで待っている。

 長崎茂木に、何とか20ばかりの結実がある。サンタ枇杷葉には5個、東のには3個だ。白枇杷には、思いの外付いていて、100粒はあるだろう。西側には、花芽になったものの、どれも結実は見当たらない。りささん枇杷葉は、花芽もできない。今年はどお?

 今朝は、テーブルクロスを換えた。朔日なので、枇杷葉茶も花芽を入れ替える。久々の日曜日の休みなので、ぼんやりと過している。働き過ぎは佳くない、と要所では休息を取ることにしたのだ。明日は急遽夕方、歯医者に出掛ける。仮止めの詰めが・・・。

 雨で気温が低く、長袖が終えない。加えてカーディガンが放せないでいる。風邪を引いては勤務が厳しい。何事も体が大切なことは云うまでもなく、腰や肩にも負担がかかってくる。用心に越したことはなく、歳を重ねると気ばかり急く。いやいや、慌てないこと。

 既に5年物の枇杷苗。発芽した状態で放置したままにしていると、苗も大きくならない。加えて北側でもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言うは易く、行いは難し。

2015年04月18日 | Weblog

 他人に言う前に、自分ができなければと白ける。介護の仕事は、そういった内容が多い。重労働だし、汚いのは当たり前。精神的にも参ってしまう。薬が原因でのことが多く、環境や暮らし向きでも変化が出る。質素堅実なら、認知症になどならない。

 電化製品に囲まれて、リモコンを手に、眼はスマホを追いつつ指でいじる。子どもは、テレビに守をさせ、レトルト食品や冷凍品を、電子レンジで温める。これで頭がカスカスにならない方が可笑しいよ。金を掛けてのエステだの、マッサージも同じだ。

 加えて、書籍を読まない。或いは、作家も内容の低い物を書く。想像力も無ければ、発明したりの創意工夫は見当たらない。先ず作ろうという気にならないのにも驚く。自然の中には、幾らでも転がっているのに、見つけられない。塾や習い事に行く。

 原発を再稼動するよりは、多少の不便を覚悟すれば、四季を知ることになり、命の育みがわかるのに蓋をしてしまう。横着は肥満になり、細胞を殺していくのに気づかないのだ。自動販売機の便利さと引き換えに病気になる。何か違っているような。

 ご飯を炊くのも、便利になったもの。かまどでない分、時間の短縮ができ、眠っていてもタイマーが働く。水加減さえ間違えなければ、炊き上げてくれる。ご飯を冷凍にして、解凍すると肥るが、米を悪者にして食べない。梅干と味噌汁があれば充分。

 シンデレラは、灰被りとも言うが、義理の母親やその娘達が嫌っている、家事全般と農作業を行う。王子の后になれなくても、自分で生きていくことのできる、逞しさを持っている。后になりたいのではないが、舞踏会には行きたい。乙女としての資格。

 シンデレラの普段を知っている、鼠や野菜には魔法がかけ易い。だが魔法は、永遠には続かない。舞踏会が終われば、灰被りなのだ。夢は求めないでおく賢さが、王子の心を捉えてしまう。王子も、見てくれよりは、心根のしっかりしたことに惹かれる。

 枇杷葉の根元に撒いた蕎麦。蕎麦の茎は赤かったのを知り、収穫にこぎつけた。庭に落ちた種が発芽している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如月、土用・大潮

2015年04月17日 | Weblog

 先日、仮埋めにした、治療中の歯が可笑しい。どうも詰め物が取れたようだ。下手くそな割には、治療費が嵩む。勤務先の関係だから通っているが、仕事を辞めたら行かない。以前、通っていた歯医者は、偏屈で気難しいDrだったが、腕だけはよかった。

 できれば其処がいいのだが、如何せん高齢で亡くなられた。跡継ぎがいなかったため、閉院になった。料金も信じられない安さで、昭和の初期の建物と、見事な庭が自慢だった。止血には塩を詰めておけばいい、と澄ましておられた。塩は、止血と殺菌だ。

 認知症のカフェで、地元の歴史を話したいとのことだが、書籍の類はたくさんあっても、自分の物にしてないと、返事ができないと思うが。また、地元の歴史に繋がることにも眼を向けていき、学んで行ってはどうだろうか。古事記・日本書紀は、基本になります。

 簡単に歴史と言うが、その資料には膨大な時間があり、纏め上げた人物の居ることを考えよう。如何なる者にも歴史があり、生きていくことは全てが値する。自分史とも言う。祖先のことを話せる人も、言いたくない人も居る。記憶に留まらなくても全て歴史。

 土用というのは四季であるが、夏の土用にしか用いない。月の満ち欠け、潮の満干潮、大潮、小潮、長潮、若潮、中潮等、様々な気象現象と、大気の変動、惑星の軌道が作用し、宇宙の摂理を形成しているが、人間への影響に何処まであるかは解明途中。

 宇宙を眺めながら、神秘性に畏怖し、当たり前のことにも感謝することは、神に生かされていることの不思議さでもあろう。探求したり、追究しても尚、不明な事柄は増えるばかり。素直に感謝する心を持ち、自然に感謝し、祈りるのも大切なことかもしれない。

 庭にある、西側の枇杷葉。同じ庭なのに、方角に因っては、花芽だけ咲いて、結実しないことも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人の心得とは。

2015年04月16日 | Weblog

 電車内で、荷物を座席に置かないのは、云わずとも常識なこと。普通電車内でのアルコール摂取は止めてもらいたい。煙草も同じでしょう。席に座ろうとしたら、缶ビールが座席にぶちまけられた。相当酔っているらしい。性別を問わず荷物は棚に。

 歳は取りたくないが、自然現象であり止められない。旅行に際しては、大きな荷物は持たないことと、他人の迷惑も顧みず、座席を占領しない。それだったら、乗車券を二人分払うべし。一人は寝た振りの若い男性。一人は壮年の男性。非常識だ。

 日本国民の、自由と平等は一体何処にいったのだ。嘘つきは大人の始まりかもしれないが、そういった手本は止めよう。安部政権の至らなさ、幼稚な思考に多大な影響がある。間違っていることを見過ごせるようでは、人間として失格ではないか。

 弥生が近づいているが、中々暖かくはならず、懐炉が手放せない。帰宅したら、枇杷葉温圧療法をしている。勤務中にはできないこともあって、愛車を車庫に入れると、鍋に水を張って、ガスを点火する。枇杷葉の生葉は、随時採っており新鮮だよ。

 横着ではあるが、自分で決めたことは必ず実行する。時々、友人やリエさんを巻き込んでいくが、友人は色々な体験に嬉々としている。リエさんには多分な迷惑かも。まあ、これも枇杷葉の縁だと諦めて。生葉を足の裏に敷くといいと、今更のように。

 友人のご実家では、足の痛みが消えているらしい。友人も、歩く時には生葉を入れるとか。ちゃんと以前から説明しているよ。自然療法の本も買っているし、書いてもあるでしょう。耳にたこが出来るくらい、言っているのに聴いていない。忍耐である。

 サンタ枇杷葉の結実が、数個見える。今度の休みには、袋を掛けよう。雨が多かったが、そろそろ片付けに本腰を入れよう。枝も枯れてきて軽くなってきた。昔なら、そこで焼くことが出来たが、何かと面倒なこと。灰にすれば肥料になるんだがな。

 店先にあれば、どうしても買ってしまう。花と眼が合うと、もう駄目である。そうして段々と殖えていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤野涼子・ソロモンの偽証

2015年04月15日 | Weblog

 役としては、好い感じである。周りを固めている、というか配役も先ず先ず。まあ、原作とは違うのは致し方ない。何せ、主役なのだから、出ずっぱりは当たり前だ。でも、そこを曲げて、初めと終りは、原作通りにやってほしかった。神原和彦役はイメージが・・・

 前編を観てから、後編に行こうと、友人と弁当持ちで出かけた。枇杷葉茶と、豆を挽いた珈琲をポットに入れ、お結びを2個作った。出掛ける時間を間違え、心配した友人に詫びる。電車には充分間に合うのだが、如何せん歳を重ねると、思うようには行かず。

 それにしても、藤野涼子は素晴しい。井上君、町田君も好い感じ。今時の女優は、売れてくると直ぐ脱いだりするが、役で磨きをかけてほしい。また、やたらとタレント活躍はしてもらいたくない。息の長い女優を目指されることを祈る。次は、英雄の書のユーり。

 友人は、我が家の良書を借りて行くのだが、先日は誘拐と孤宿の人を貸す。宮部作品は、どれも好きだが特に惹かれる。現代版では、魔術はささやく。直ぐに映画になってしまうが、配役に違和感を抱くことも間々あり、がっかりしてショックは隠せないのだ。

 松子役はぴったりだが、樹里役は気の毒だが、痘痕面で遣ってほしかった。まあ、個性的な配役では、主役が霞んでしまう帰来があったのだろう。映画作りはスポンサーにも因るらしいから、そんなことばかりでは出来上がらない。もう一度原作を読むかな。

 連休を無事に終え、明日から仕事ですな。旧の如月が済めば、弥生となる。小さなお雛さまを飾っているが、新暦の21日が旧暦では節句に当る。風雪激しい初春であり、中々暖かくならないが、確実に季節は廻っている。きらん草が、小さな青紫色をつけた。

 桜は、八重に転じており、枝垂れ桜も散り始めた。山桜も、山合いに所処に見えるが、葉桜になっている。花水木が咲き始め、藤や桐に変っていく。どの季節にも花があり、其々に愉しませてくれるが、決して人間のためではない。自然界の営みは摂理に元づく。

 きらん草の種が、あちこち歩き周っている内に発芽したものらしい。草かと思っていたが、羽毛が見えてわかる。今は、花が咲き出している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再稼動差し止め。

2015年04月14日 | Weblog

 法律というよりは、人道的な想いが強い。新聞の記事に、福島第一原発の炉心溶融が載っていて、3年経たねば載せられなかった現状と、これほどまでに凄まじい事故だったのだ。東電の隠蔽に無性に腹立たしい。今尚、被災地には帰れず、住めない。

 それなのに、何故に再稼動とするのか、理解に苦しむ。企業献金での見入りがなくては、政治での融通を利かせられないのだ。何事も懐次第。国民・庶民のことを考えているのではなく、私利私欲での短絡的な思考。統一選も、出馬するのが自民ばかり。

 原発の再稼動はしなくても、エネルギーは足りており、家電の省エネで、消費電力も然程かからない。況してや、節約と倹約生活をしていれば、電気の消耗は抑えられる。自然発電や自家発電の普及を促せば、原発はなくても生活できるのだ。嘘つきだ。

 愛車の燃料を入れに行き、青空市に寄ると、タラの芽がある。筍は掘ったばかり、と持って来ており、蕗やイタドリ、独活と蕨を求める。箱の都合があり、自宅での梱包にする。リエさんにかけると静岡。しーちゃんと一緒らしい。時間指定をかけ、送ることに。

 友人がお茶を飲みに来、頼むことにする。サンタさんからの珈琲、豆を挽いて淹れる。うん、美味しい!休みの日にはこれに限る。昼前に歯科受診だったので、遅い昼食となる。孫の迎えがあるので、友人は早々と退散。明日は、ソロモンの偽証、前後編に。

 10月にはリエさんの所にお邪魔したく、せっせと500円玉貯金をしている。毎月、定期預金する方がいいような気もするが、これも愉しみの内なのだ。何せ、宵超しの金は持たない主義。況してや、贅沢をするでなし。リエさんの所に行ったら、ふなっしーだよ。

 枇杷葉の生葉も、焼酎漬けも、足腰の痛みに速攻性がある。嘘のように痛みが治まるから、不思議だ。坂道、下り坂等にも、これがよく効く。就寝時には、腰に当てて眠ると、朝には快適に起床できるのだ。医者要らず、とはよく云ったもの。浮腫にもいいよ。

 花芽が鈴なりになっている。雨が多いので、枝を見て周ったら、枯れて腐っていた。それでも結実していて安堵。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

晴れ後雨・・・

2015年04月13日 | Weblog

 如月の雨の多さに、凹んでいるが、花木の勢いは先ず先ず。ドクダミの新芽も大きくなってきているし、山椒や桑もすくすくだ。苗を植えた後の水遣りも、そのままにしている。クリスマスローズも、茎から蕾が出ている。自然の現象ではあるが、驚きである。

 明日は、歯医者の予約があり、友人が来てのお茶会と、孫を迎えに行く。夕飯の仕度もあり忙しない。図書館で借りた書籍も読まねば。剪定した枝の片付けもある。天気であればいいのだが、雨だと読書になって、腰が上がらない。夏までには済ませたい。

 火傷も、枇杷葉での治療をするには、水泡を破らないことと、直ぐに行うことが大事だ。枇杷葉のエキスをあげたものの、痛みは薄くなっても、腫れてしまうことがある。皮膚としては再生したく、その部分を治すことに全力を注ぐ。何を於いても安静にしたい。

 枇杷葉に限らず、アロエにしても、他の民間処置にしろ、最初の段階が肝心だろう。そうならないように注意を払うことが重要なこと。また、枇杷葉の力を信じて施行することも。そこら中で賑やかに言っても、良くはならない。治療の妨げになってしまうよ。

 個人的には医者が嫌いだが、それが誰にも当て嵌まるとは限らない。要は、証拠がなければというだけのこと。自分の体は己がよく知っており、癌であろうと仲良くしていかなければ、棲むことはできない。結果的に生きることに繋がる。自然との共存です。

 枇杷葉温圧療法をすると、体の細胞が活性化し、再生機能を促す。枇杷葉茶を飲み、枇杷湯に入っていれば、と高を括っていたのが失敗だった。疲れが出た時点で、繰り返して行うことが大切だった。今後は肝に銘じて、施行していかねばならないと気づく。

 鶯が高らかに囀っている。白枇杷の結実が多く見られる。リエさんに贈れそうで、ほっとする。然し、6月下旬から7月上旬にかけての、天気にも左右される。予報では長雨らしく、心配は尽きない。正しく、自然からの贈り物になるんだね。感謝の気持ちです。

 山茶花の咲き出した初冬。買った時には、夏椿だった。何輪か咲いて、翌年は咲かず、いつの間にか山茶花に。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

如月、下弦・小潮

2015年04月12日 | Weblog

 寒い。セーターが放せない。いえ、アクリル物には換えていますが、とてもTシャツ等と言う衣装にはできません。まあ尤も、暖房器具の設置を、ストーブでしているのと、湯たんぽや懐炉頼みであるから、堅実でもあるのだ。節約です。

 今朝は、勤務先に持って行こうと、巻き寿しを作る。買った物には、何が入っているやも知れず、好みの味ではない。普通の弁当にしようか、とも迷ったが、注文する段取りになっており、それなら作ろうと思ったまでだ。具はある物で。

 これから仕事なので、続きは帰宅してから。やれやれと、疲れ果てて帰宅。明日は、早出であり、多忙を極める。枇杷葉温圧療法を施行しての勤務だと、体が動いてくれるので助かる。焼酎に漬けた枇杷葉がなかったらと恐ろしくなる。

 火傷をした若い同僚が居て、休憩時間を家まで帰り、エキスを取って来る。水泡がなく因幡の白兎だ。医者に行ったら、こういうことになる。枇杷葉の生葉かエキスであれば、痛みは軽くなって、数日で完治する。まあ、滲みはしますが。

 殺菌作用と、細胞の復活を素早く行うので、多少の滲みは我慢でしょう。加えて云うなら、塩も効果があります。こっちは半端な痛みではなく、激痛が押し寄せます。肌がケロイド状にならなくて、傷口など見当たらない。再生可能力偉大。

 それでも、自分から治そうとする心でしなければ、治る速さは違うし、治らないこともある。医者に行けば治るのでもない。何よりも感謝することに始まり、命の大切さに気づかなければもったいない。眼に見えないことに、祈り感謝します。

 某新聞の日曜版にも、そういったことが書かれていた。個人的には、医者に対しては、信用が置けないし、信じてもいない。症状が起きた要因には必ず、環境や心因性のものが含まれる。そういったことを、患者から聴きだして治療をして。

 唐辛子が、秋になって熟れ始めた。緑と赤のコントラストが鮮やか。ナメクジ退治に、一役買っているよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不穏な天気に・・・

2015年04月11日 | Weblog

 朝に降り足りなかった雨が上がり、青空がのぞいた。気温も5℃近く上昇する。夕方になると再び気温は下がる。良く言えば、変化のある季節。悪く言えば、目まぐるしくややこしい天気。この時期の特徴みたいなものだが、年寄りの冷や水に注意。

 枇杷葉の結実したのがたくさん見え、やれやれと胸を撫で下ろす。然し、白枇杷だけであるのが淋しい。サンタ枇杷葉には、10個ばかりの実がある。品種は田中であるが、淡路島のようにはいかない。味は別として、大きさが一寸ばかり小さい。

 知人が、ディズニーランドに行って来たとかで、チィカーベルの顔拭きタオルをくれる。Tシャツの注文をしただけなのに、お土産までもらえるとは。二泊三日の予定も、丸一日は雨だったらしい。気の毒を通り越して可哀相になる。いえ子ども等が。

 昨年の際には、晴天も晴れで、ドピカーンの上天気。パレードも最高の場所で観られ、感激しまくっていた。友人が晴れ女のせいもあるが、知人は雨女らしい。これは単に、リエさんやしーちゃんのお蔭ですよ。富士山にも初冠雪だったしね。見事。

 還暦を過ぎると、便利なこともあると気づく。ソロモンの偽証・前後編を、一日で観たく問い合わせたら、料金は割引になると言う。二日がかりで観るよりは、一日で済ませたく思っていた。原作は読んでいるので、主役の演技力を見てみたいね。

 当日は、枇杷葉茶とお結びをこさえて行く。映画館での飲食は、以前は禁止であったが、この頃は多めに見てくれるらしい。低料金に加えて、前後が同時に観られるのがいい。来週には、寒さも少し和らぐかな?剪定の片付けもあるんだが・・・。

 じゃが芋の芽が出ており、麦も育っている。地面を見ると、蕎麦の苗も発芽している。自然からの贈り物には、好むと好まざるとに限らず、命の芽吹きがあるんだ。おやっと思ったりすることが、新しい発見に繋がるのだ。姫金魚草が群れている。

 花芽が付くのは、大きな塊でだが、結実になると減ってしまう。予め、花芽茶にするように採っておく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする