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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

花曇・・・

2015年04月02日 | Weblog

 朝には、晴れていた空模様が、夕方になるにつれ、薄っすらと曇ってきた。今週の週末は、雨やら曇りが多い。花は、曇っていても見えるが、皆既月食は観えない。天体ショーとしては短いが、できれば観望したい。自然への想いを強く感じる。

 腰痛には、枇杷葉での温圧療法を勧めるが、枇杷葉の力も、蒟蒻の威力も、決して侮れないもの。自然に添った、やさしい手当てであることも、気持ちを変えてくれる。まさかと思うが、蒟蒻の温かさに填まるのだ。何とも云えない開放感に酔う。

 信じることが佳くなることに繋がるが、新興宗教の類でも、まやかしでもない。実際に歩けなくなったら、真実がわかる。そこで医者に行くか、枇杷葉を選ぶかは、こちらが決めることではない。金銭的な負担も無くして、日々を薬に行うのみだ。

 根気、持続力、信頼。そういった想いでの接し方が必要だが、自然治癒能力を援ける働きに感謝しよう。誰が治すのでも、金を掛ければいいというものでもない。自分の実行力に優るものはなく、諦めないことが必須条件だ。体内の毒素排出。

 生の葉を使ってやると、驚くほど毒素が出る。これを何度も繰り返すので、頓挫するのも否めない。早くて1週間、遅いと何年も掛かる。自分の行いを正さず、枇杷葉を悪しざまに言う。そういう場合には、効力は発揮されない。感謝し祈ること。

 古くなった細胞を、除々に取り替えるか、再生を始める。癌細胞なら、じんわりと包みこんでしまう。四面楚歌ではないが、逃げ道はなくなる。摘出するのではなく、生きたまま動きを止める巧妙な手口だ。外気に触れれば、たちまち死を齎す。

 人間の体には、癌細胞はあるもので、良性か悪性かは不明だ。自分の細胞に違いなく、それに対する想い方で、どちらにも変化するのではないか。完璧な体は存在しない。生身の体だからこそ、悲喜交々が生じる。つまりは、生きている証し。

 長月の十三夜。昨年は、長月が二回あった。この月に閏月が入ったためだ。満月も、十三夜も二回。

 

コメント (2)
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