二十四節気 清明。春の陽射し強く、天空清く晴れ渡る。と言う意味で、清明と言われる。毎年四月五日頃である。朝には、春雨だったのが、昼食を終える頃には、雨が上がった。桜を見に行くことになり、足元が悪いので、ドライブとなる。
前日の組は残留で、行けなかった人等が、乗り込んで行く。個人的には、桜を堪能しているので遠慮し、見所を教えて送った。皆の喜んだ顔に、ほっと胸を撫で下ろした。元気な内に、行ける間にと連れ出す。季節の訪れを知らせたいね。
昨夜の皆既月食は、曇っていた空が泣き出し、雷神の大暴れとなった。流石に諦めてしまった。宇宙は自然の約束事に合っているから、それもまた愉しい。何もかも手に入ることは希。一日が無事に過せることに感謝する。ありがたい。
帰宅途上の川面に、霧が発生していた。山桜の淡い色に溶け込むようだった。水神が音もなく滑っているようで、思わず眼を凝らした。春の夕方には、一寸怪しい気配が具間見える。それもまた余興。神さまの、気紛れかもしれないのだ。
春の宵には、魔物が歩く。桜の精や、木蓮、木瓜、椿、互いに持ち寄った花酒で、呑めや歌えや大騒ぎ。白々と夜のあける頃、其々の木々に還る。帰り損ねた魔物は、葉の裏や木陰に身を隠し、人間の眼を眩ます。ゆるきゃらになるのも。
枇杷葉の花芽が、結実を済ませ、枯れたのは落ちてしまう。もったいないが、花芽茶にはならないので、枇杷湯にすることに。効能はあまり違わないが、香りがしない。枇杷湯に使うのは、何等問題もなく、色もきれいに出てくるのがいい。
サンタ枇杷葉も、今年は数個が見える。白枇杷がたくさん結実している。自然に任せていると、思わぬことが起きたり、採算に合わないことがある。個人的には、商売には向かない。生った時点での送りなのであるが、美味しいのが自慢。
白枇杷の花芽。馥郁とした香りが、一面に漂う。微かな匂いに、心が満たされる。隣も後ろも前の住人は、煙草の臭いだ。