枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、雨水・大潮

2019年02月19日 | Weblog

 二十四節気 雨水 冬の氷水が、陽気に溶け、天に昇り、雨水となって降るの意で、雨水と言う。毎年、二月十九日頃である。さてもや、朝から止まない雨であり、一日中降っていたもの。旧小正月・三隣亡にもなって、家に居るのが最善策。とは言え仕事である。弁当をこしらえて行った。

 個人的な都合上、遅出や夜勤はしていない。施設とはいうものの、命の安全が不安では出来ない。日中の数人で看るのさえ、事故や怪我は起こり得る。夜間等以ての外、わたくしには自信が無い。トイレ誘導にも困難なことがある。協力も体力も保ないのに、一人きりでするなんて無理です。

 今は、看護師さんも居れば、一人という訳でもないが、命を預かると言う責任は重く圧し掛かる。時間も、8時間で辛いこともあり、休みを多く取ったり、半日の場合もあるのだ。年齢と共に出来なくなることが増え、気力も低下してくるものだ。皆が元気でやる気ばかりだと、それも大変。

 同僚が、花粉症になって咽喉の咳込みに四苦八苦だ。これは通草が好く、嗽をすれば効き目が出る。或いは、塩を焼いて、タオルに包んで咽喉に巻く。枇杷葉茶を浸して、咽喉に当てるのも好いが、要は面倒がらずにするしかない。医者に行く前の応急手当にも、様々にあることを知っておく。

 赤穂浪士47人が、吉良上野介を討ち果たし、回向院でそのまま果てる算段が、泉岳寺まで行くことと相成って、墨田川沿いを南下し、両国橋東詰、一の橋 新大橋東詰 萬年橋 永代橋東詰と行き、墨田川を渡って江戸市中に。八丁堀、鉄砲洲・築地方面 日本橋川沿いに進み、湊橋渡った。

 そこから霊岸島の越前堀沿いを行く。亀島の水谷町へ、高橋 稲荷橋を渡り、鉄砲洲の元赤穂藩上屋敷方面へと向かう。軽子橋(下は築地川)西本願寺から汐留方面に向かい、現蓬莱橋を渡る。脇坂淡路守邸から、現日本テレビ本社 芝大門辺りから、メインストリートの東海道へやって来た。

 泉岳寺まで、ひたすら真っ直ぐに歩くとあった。金杉橋 札の辻(港区)ここまで3時間。元禄時代には、車は通っていないから、見晴らしもよかっただろうし、歩けばよかったが、今はそうもいかない。まあ、」田舎の事情では歩くことしかできないので、枇杷葉を靴に敷き、水筒持参だね。

 パソコンの部屋には、最初から置いて育てている観葉植物だが、少しばかりを貰ったのもある。

 


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