枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

彼岸日和

2018年09月22日 | Weblog

 ご先祖様のお墓参りに、青空がのぞいた。明日の中日には行ってきたいものと、休みを取っているが、運動会のシーズンでもある。現状では、初夏にしたりの学校も多く、何だか寂しい思いにもなる。墓参りも代行があったりして、何だか違うような感も、なくはないが、ご先祖のへの感謝希薄。

 介護の業務のあれこれには、年齢的な制限もなく、職場での連携状態での運営に、当日勤務者の馬が合う気持ちにも依る。然し、仕事である。給料を貰う以上は、業務をこなさねばならない。従って、無理を承知で遣れば、身体の節々に影響も出て来る。枇杷葉茶は、補って援けてはくれるもの。

 然し、完璧に元に戻してくれるものではない。これには、自信の努力と、並々ならぬ想いとが遭わなければ、回復には至らない。同時に、気力も必要となる。これが中々想うにできず、性格にも依るんだろが、三歩進んで二歩下がる。常に諦めず踏まれても、踏まれても尚、努力するしかない。

 朝夕に、枇杷葉の枝中心に、たくさんの苞を見つけている。今年は、初生りが多いのだが、どの木にも見えているのがうれしい。枝は、横に伸ばしたのがいいようで、高い所には無理なことが増えた。剪定も、花芽になってからすることにして、馥郁と匂うのを堪能してから、花芽茶にしよう。

 気温が低いのか、すばるがパソコンの傍の、マッサージチェアで眠っている。出窓に居ないと思ったら、心地好い場所を探していた。昨夜は、蒲団に入らず、枕の辺りに眠っていた。猫って不思議な生き物だと、すばるを見ながら思える。飼い主を探すのは、餌の時だけ纏い付自由にしている。

 そろそろ勤務に行こう、と気合を入れるがしんどい。人間も70近くなると、体力も気力も低下するが、年齢には決して勝てないものと悟る。自然からの恩恵で暮らしていても、こればっかりは不可能だ。然しながら、心の修業と思い、朝目覚められる幸せを感謝して、祖先への供養をしたい。

 枇杷葉に囲まれ、室内にも緑を増やし、自分自身が納得して生きて逝かれたら、何よりのこと。


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