枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

秋分の日・大潮

2018年09月23日 | Weblog

 二十四節気 秋分 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。涼しい気温に油断すると、風邪症状が出るので、用心に越したことはない。通草酒を舐めておく。新暦と旧暦の日数差は、29日ほどある。

 中秋の名月。樋口一葉の十三夜には、既に雪もちらつくことから、旧暦での歳時記を用いたいが、さてどうなんだろう?何れにせよ、季節の移り行きには戸惑う位早い。昨夕には、金星が最大光度なのを、帰宅途上に車を停めて観望・撮影する。-4.6等星というが、まさに眼も眩む輝きである。

 木星に、土星、火星もくっきりと観えて、暫し眺めていたが、わたくしの他には、誰一人として居ずであった。ああ、もったいない。明るく健全と言う生活には、心を亡くしていく時間ばかり。テレビやスマホでの報道なら、挙って出て来るが、馬鹿丸出しである。宇宙を眺めて明日も晴れと確信。

 今朝は、仕事に行く時間に目覚めたが、息子からの連絡なし。前以って話してあるが、音沙汰なし。新聞に目を通しながら、第五福竜丸の被爆記事を読む。夢の島迄行って来たが、直接自分に関係ないと、冷ややかなものだ。如何なることにも原発は要らない。基地も必要ない。真の平和だけ。

 庭に出て蒲団を広げ、枇杷葉の虫喰いを外す。やぶ蚊が群がる。雨で孵化したものらしいが、凄い数である。あちこち刺されて、止む無く中に入ることに。洗濯機の2杯目を回す。すばるは、程好い気温に、出窓でうとうとしている。貌を半分上げて片目を開ける仕草が可笑しい。大きくなった。

 凌ぎ易い季節到来に、安心して網戸にしかけ止める。野良猫の襲来には、決して油断はできない。粗方、傷口は治ったが、肉の中に喰い込んだ牙の痕が、中々取れないのだ。固い塊になっており、少しづつしか出て来ない。枇杷葉茶と刀豆茶で、可なりの回復ではあるが、年末くらいまでは無理か。

 雲の多い天気だが、三日続けての晴れ模様に、彼岸日和を感謝する。これも単に、祖先への供養の気持ちであろう。昨今には、お墓はデパート化して、掃除もしなくていいそうだ。供養も、永代供養に変化しており、掃除も代行に委託できる。そうは言っても、自分のご先祖ではないのか?矛盾。

 秋薔薇の名残咲です。夏も終わり、初秋になって、忘れたように咲いていた。鮮やかだけに・・・


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