枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

苦手へのチャレンジ

2008年12月25日 | Weblog
 得意なことより、苦手なことの方が多い。学科で言えば、全科目に匹敵する。特に英語や数学、物理がさっぱりわからない。数学も、中1の時の先生は、教え方がうまかった。

 ところが、2年になって先生が変わった途端に、!!詰まった。ややこしいだけで、さっぱりわからない。英語にしても教えてくれる先生との相性云々で、頭が拒否してしまうのだ。

 高校時代には、古典の若く美しい先生に憧れて、努力しましたよ。数学は中学時代が尾をひき、散々な成績であった。

 卒業し、自分なりの道を歩んできた。必ずしも、自分に納得した生き方が、できた訳ではない。それでも、途中で止めることは尚さらできなかった。

 親に月謝を払ってもらった時にはしなかったことを、その後にしているのは、知らないことで恥をかいたからでもある。

 学ぶという事は、終生完了しない。一つを学べば、一つがわからず、また新たに紐解いていく始まりがある。最近はできるだけ苦手な分野を学んでいこうと、気をつけているが、ややもすると好きな方に、舵を向けていて、反省しきりである。

 親になるのも、孫ができて祖母になるのも初めてのことだった。あの緊張感を忘れているのだ。なんだか自分の器量が貧しいことを再認識してしまう。

 何処の職場でも同じだと思うが、自分をよくみてもらうのに、他人を中傷して平気な人が居るものですね。人間の心の中に、住んで居る良心、という感情は、自分サイドで発信することが多いなぁ。

 以前はそういうのがわかり過ぎていたり、知りたくもなかったのだが、これも取り方、思いようですね。心が貧しい、という証拠のような気がします。

 職場の規律も、言われて実行するのでも、上司が居るときだけしていくことでもないものね。裏表なく、誰にでもしていける自分でありたいと思う。

 挨拶も返してもらうのが目的ではない。言いたいから、するのです。そんな風に考えていけば、腹も立たないよ。風に微笑み、木々に語りかけ、集まってくるものに、応えていこう。

 決して独りではないのだから。生き方や、考え方や、往く方向等が違っているだけでしょう。あちらこちらがよく視えて、却って人間がわかるというもの。

 自分のためにも、学べることはすばらしいことです。なんだかちっぽけな存在なのに、えらぶったところでしれている、というものです。

 ああ、こんな基本が今までわからなかったなんて、莫迦もいいところです。自分の呟きを書いていけることで、1つづつでも気がつけばいいのですね。

 なんだか、肩の力が抜けて軽くなったようです。無駄な時間は1秒もなく、大切な時が存在しているのですね。なんて感心していますよ。ありがたいなぁ・・・。

 枇杷の枝の、一番早く咲いた花です。今日も、小雨模様ですが、とても佳い匂いをさせています。
 

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