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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

言霊の行方・・・

2021年11月24日 | Weblog
 天気ではあるものの風は冷たく気温も低く、外に出るには羽織物が要る。クリスマスローズの新芽の陰で蕾が覗く、スイトピーは先日の雨で蔓を伸ばして支柱に絡んでいる。勿忘草も生えてきており、庭中を埋め尽くす枇杷葉も花の開花になってきた。季節は廻り時間は待たないが、他人の心はうつろい易い。

 人間の命の儚さも人其々での気持ちが伴い、心の支えになっていた方の居なくなるのは例えようもない。立停まってはくれぬし、連れて行っても貰えないのは承知してだが心は波立つ。手塚治虫氏の火の鳥に描かれているが、永遠の命を与えられても自分だけが残る。その想像外の空虚な気持ちにたえられぬ。

 昨日・小椋佳さんのCDを引っ張り出して聴きながら、気持ちが満たされていくのも感じる。派手さはないけど、嫌味もなく耳に入ってなのが心地よいのだ。星を観るのも、花を愛でるのも其処にある命と向き合えるからだ。自分とは何で何処に向かうのかさえも分からずにいた、15の自分に伝えたくもある。

 ブログも更新の度に、書きたいことが多過ぎて纏まらなくて悩むこともある。公開する以上は文章の拙さは納得できないから、何度も書き直す。誰に見て貰いたいではないので、その日の思いを綴るが相手に依っては感じ方も異なるので弾き出される。まあ無理ないわな、枇杷葉だけの内容なので理解し難く。

 ブロ友さんの中には、そういった感情を知っていて下さる方もおいでで、最初にフォローしてくださって居る。大勢の方に閲覧して貰うのが筋かも知れないが、アピールはしない。訪問して下されば出かけるが、内容的に馴染めない方も。機械に疎いので機能的なことは遠慮しており、性格も悪いのだと自覚。

 それがわたくしであり、他の誰でもないのだが誤解を受けることが多いのよ。便利で快適な環境には落とし穴が待ち受けてて、PCくらいはと悔し紛れに遣り始めて今では後悔頻りなのです。師匠も最近はどうしているやら、さっぱり音沙汰無し。水野英子氏の書籍だけは返して!今は手に入らないプレミアム品。

 午前中、役場に書類を持って行き銀行に入金してAさんちに行く。退院されて帰っておいでのようで一安心し、水を分けて貰っての途中図書館に寄り返却。藤原仲麻呂をやっと読み終えたのだが、次に光明皇后を予約した。奈良時代の人物でも、枇杷葉に関係な書籍に偏る。奈良にも足を運びたいが人出が…。

 

 
コメント (8)
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