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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

長月二十九日・大潮

2021年11月03日 | Weblog
 文化の日でもある。同じく、手塚治虫氏の生誕日。最近は、ネット配信でのコミック閲覧可能だがこれは苦手。活字には紙が似合うしで、どうにも読む気が起きないのである。既に何十年も経っているのであちこち汚れや傷みが見え、綴じた箇所も離れている。ふと思い出したように手に取って惹きこまれていく。

 晴天・朝方に濃い霧が巻いていたので、天気になるとの確信あり。洗濯をしたり布団を干しての慌ただしさで、時計を見たら11:11分なのだ。今までにもきっと遭遇していたとは思うが、然程気にしていなかったのも事実。1010のプレートも度々目撃はしているが、無関心であったことも大きいと想えても既に過去。

 天に大きな手が現れたのを見た時には、ナンバー4444の車に遭遇。このブログの中に写真を添付した記憶があるものの、何時か覚束ず。わたくしくらいの感能力は誰しもにあって、退化していく場合と多少の訓練で成り立つこともある。危険を察知して其処に行かなかったり、急に体調不良になり避けてしまう事態も。

 日常でそんなことにばかり気持ちを向けているのは、正直・疲労困憊状態で体力も保たない。所謂身体と心のバランスが巧くいかないと、倒れてしまうでしょ?例えれば身体中の骨が無くなって、ぐにゃぐにゃ状態に陥る。其処から元の処に還ろうとしても無理で、暫くはそのまま空間を漂ってしまう。何だかなあ…

 昨夜、ふと思いついて出しっぱなしにしてあった写真に眼がいく。30代後半だろうか?中学の時の親睦会をしませんか?と呼びかけられ参加した時のだ。珍しく笑顔で写っている。そっかこの時には初恋の人が来ていたんだ…すっかり舞い上がっているわ、と想いながら数時間を愉しめた記憶に戻り懐かしさ溢れる。

 写真を撮られるのが苦手なのと、笑っていなければと無理させるのが厭で口は何時も真一文字だ。この時は初夏だったので、グレーのサマーニット姿をしている。ミニだったから今は穿けませんです。中学校の思い出には嫌なこともあるが、大半は学びに部活に楽しい時間ばかりでどんなことにも夢中になれた。

 この頃から、SFに傾いて行って海外物にも填まり込む。最初は、アシモフの子守りロボット・ロビィ。夏への扉も、宇宙戦争や異世界への時空を縦横無尽に翔けていた。NHKの少年ドラマシリーズが夕方の6時開始で、大忙しの屈託ない年代だった。高校生での青春は、新聞部に籍を置き漫画を描いて明け暮れたもの。

 庭の枇杷葉が、一気に黄色くなって葉が落ちる。花芽は固く未だ苞の状態だが、さて今月の中旬辺りかな?それにしても裏年なのに無茶苦茶付いている。大丈夫なのだろうか…今年は剪定をしておかないと、脚立に上がって落ちたら困る。厭、下りる時が問題なのです。意外と足を踏み外して、そのまま落下するの。
コメント (8)
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