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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧小正月・大潮

2020年02月08日 | Weblog
 寒いが底冷えと言うのでもない。洗濯物を干しながら、気温の変化を思うが、未だ暖かさには程遠い。それでも確実に春は訪れており、庭の梅も蕾が見え始めた。枇杷葉も、花芽の綻んだのもあって安堵する。既に咲き終わっているのもあるが、気温の異変で中々咲かないでいる。今年の白枇杷がそうで、剪定をしたこともあって数芽しかない。

 暁子さんのは、殆どが満開をして、結実がどうなるか怪しいが、幾つかは生るだろう。何時も通りなのが長崎茂木で、剪定をする枝を決めてしているが、結構咲いてもいるし、結実もする。自分ちで食べる分には不自由しない。サンタさんのが少し多くなって、りささんのは難しい。初花芽が付いたのは淡路田中で、これは実を買って種を移植。

 木には、植えた年数が無関係ではないが、その年の気温や環境にも因るのだ。況してや売り物ではなく、愉しみにしているのでは、自然に委ねることが多い。あらゆることに感謝しての出来。従って小さい割には甘くて美味しいのだ。自然は気紛れなのであり、人間の勝手にはいかないもの。何もかもが思うようになるなら、人工で育つだろう。

 だがそこには、思わぬ落とし穴があるもので、安全と謳われ、安心と云われることには危険が隠されている。そんな素晴らしい物が存在するなら、文明は高度な成長を遂げ、人類が戦争するには至らずだろう。地球は誰の物でもない筈で、他国になった謂れは、神を畏れなかったからではないか。人類は未だに、心に刻み顧みることを忘れてる。

 地球が嘆き、哀しみの深い想いになっていても、自国の利益のために諍い、壊していくのは堪らない物があるに違いなく、地震や津波でしか現わせない。それなのに気づこうともしない愚かな人類を、きっと見限ってしまうだろう。命は何よりも大切と言うが、それは何を基準にして?人間だけが棲むのではない。生命には終わりがなく存在が。

 リエさんの書いた、はやたろうが映画になったそうで、うれしく喜ばしい。狐の童子も挿絵が素敵なので、気に入っているが、これはこれでよかったね。リエさんの題材には、派手さはないが、基本がしっかりしているから面白い。何でもこつこつと続け、現わして行くことには忍耐もあるが、自分の目指すところがはっきりしていていいのね。

 寒さが厳しくなると、西の天に輝く金星。内合になっているので、宵の明星と呼ばれる。光度もマイナスで眩い。
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