二十四節気 秋分の日 太陽黄経180度、昼夜等分に分けられる日で、秋分と言う。またこの日は、秋の彼岸の中日となる。毎年、九月二十三日頃である。昼夜の長さが等しいと言うが実際には、少しずれて昼の方が長い。台風一過で、晴れ間の覗く日となったが、暑さが戻ってきて、夏物が仕舞えない。冷房を止めて網戸に。
蒟蒻を鍋に入れて温め、痛みの有る患部に、枇杷葉の生葉と乗せている。まだ当分は施行しておかないと、歩けなくなってしまう。祈る気持ちで手当てをする。寒いのはいけないので、ひたすら蒟蒻を温める。鍋も手拭いも専用のにしている。蒟蒻は、小さくなっても使えるので捨てない。頭痛の時には、常温の蒟蒻を頭に載。
枇杷葉は痛みを和らげる効果があり、蒟蒻は毒素を吸い出す働きをする。その二つを使えば更に効果も上がる。でも、肝心のことは、援けて貰おうと縋る想いと、信じて施行することに尽きます。安易な気持ちだけでは、持続しませんし、治ってはくれません。木村秋則さんの林檎に対する想いには、感謝と祈りがあればこそ。
枇杷葉も同じです。どうでも好くては植えられません。心の支えになってくれ、何かで困った時に使わせてもらうことが、祈りと感謝でしょう。そういった気持ちを籠めての作業です。対価は、決まってはいませんが、心根が大切なのは言うまでもなく。持ちつ持たれつであり、言葉もそういった想いが籠る。至福の時が存在。
今朝は、すばるのトイレを換える。昨日は、パソコンの写真を、ブログ用に直していたので、時間が掛かってしまった。その後、スターウォーズの、4・5・6を観ていたら、午前になってしまった。気温の変化も激しくて寒かった。動きが怠慢になるのを、枇杷葉温圧療法で乗り切った。蒟蒻は、食べるより施行するのが多いな。
パソコンの背景も替え、県立図書館のパスワードを入れようとしたら、ネットが繋がらない。諦めてDVDを観た次第。樹木希林さんの著作がトップらしい。テレビを観ないので、先日の回顧録は知らなかったが、人生フルーツやそういった物が、YouTubeだけでなくDVDで観られるなら買おう。好きな時に観たいものでして…。
来月の事業計画に介護フェスタがある。全国での取り組みであるから、県としては行うのだが、各施設でも同じ事をやる。毎年内容も変化がなく、付け焼刃の格好だけに終わる帰来がある。丹念にすることにも限度があるのか。病院との合同でもあり、テーマもまちまちできりきり舞いをする。入退所者が複雑で、決まっていても変更になるのだが、人間らしく生きるのは、個々に違っていていいのでないかしら?とも。
昨年の枇杷葉。花芽の付き具合にも、生り年と裏年の差が出て来る。香りは変わらず、馥郁と。