枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

沢田研二・辺野古

2019年09月07日 | Weblog

 待ちに待った日。台風は逸れたようでほっとする。珈琲を挽いて淹れ、新聞を読んでいくが、報道の内容に痛ましさも感じる。日本は、地震大国であり、山を切り崩して家を建てれば、何が起きるかを思えなかったのか。以前、富良野に行った途中で、あちこちに売り出しの土地を見たが、寒さに後ずさりした。

 その時に、偶然視えた映像が、あの地震であったとは。予知夢には違いないが、正確な日にちや時間等、状況迄は不明だった。それが解ったとしても、どうすれば信じてもらえたのだ。根拠も何もない、加えて無関係の者が、危険を知らせても、鼻で笑うだけだろうし、却って業者から商売の邪魔だと訴えが出。 

 冬瓜と干瓢の区別も判らず、然も、包丁で切ることも出来ない。飾り物のように棚に並べているのを、包丁を研いでから切り、ラップをして冷蔵庫に入れておく。朝食に作ると言う上司の頼みに、勤務時間を早目に行ってした。職員の中には、そういった事を労しては嫌だが、使うのは勝手と言うのも居て呆れ。

 包丁は鈍らにする。(食器乾燥機に突っ込み、長時間熱風をかける)切れなくなったら研ぐこともせず、賑やかに言うばかり。砥石を持って行って研ぎ、調理の下拵えをしておくわたくしは、コケにされていると思うばかり。介護の仕事の基本には、こういった一連の取り決めはない。でも、裏方は必要なのよ。

 介護の仕事に加えて掃除もある。感染予防という名目だが、ここで生活している者には、自分の家も同様だ。洗面台もトイレも、台所も然りである。水浸しや黴が蔓延していては、心地好いとは限らない。細かい所も綺麗にし、不快な思いにならないように、常に心掛けるのも、介護職の仕事だと自負している。

 忙しいとか、暇が無いとかでなく、すればいいことである。苦手なことは避けていけば、忽ちにして塵屋敷(施設)となる。でも、一人であらゆる箇所をするのは、相当にきついし、無理があるのだよ。身体の不調の原因にもなる。と言って見過ごせないのも現状なのだ。要は、人員の削減で負担ばかり増える。

 ディズニーランドの入り口からも見えた。中央の通りに目印のように、でんと屹ていた。

 

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