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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

クシナダ姫

2019年09月04日 | Weblog

 勤務に出てみれば、身体が動かなくて、介護はできないと判断する。以前に比べれば足の痛みも痺れも軽くなっているが、用心するので歩き方がおかしいのだ。従って、炊事の方に回り、重労働は避けた。同僚のしていることを見れば、可能なことが少ない。事故も心配して、転ばぬ先の杖とする。

 リエさんの勤める会社の方から、出版したばかりの本を贈ってもらう。予期せぬことでびっくり!枇杷葉のお礼だと、手紙が挟んであったが、よかったとの安堵感にほっとする。継続するということには本人の意志の強さに、相手を想う愛情が籠められる。その気持ちこそ、回復力に勝るものなの。

 以前、職場の若いのに枇杷葉茶を毎日、煎じてポットに淹れ持って行った。子どもが直ぐに風邪を引くので、と言うのを真に受け、来る日も来る日も心を籠めて煎じた。1年程経った頃、ポットを壊したので、と言いながら一向に買って来ない。我が家のを貸すと、何時までも返さないので止めた。

 これって非常識でしょう?自分の物ではないのは、早急に返す。朝の多忙時を、煎じて持って来て貰うのであれば、容器は常に確保しなきゃ。子どものために持って行っているのを、親が飲むのか?こちらの行為を無にする態度に呆れると同時に、してもらうことしか考えないことに無意味を悟る。

 世の中に無料な物は有りません。お金で買えないことをして貰うのであれば、気持ちに報いる行為が必要でしょう。無償の行為等、何処にも有得ません。口先では何とでも言えますが、腹の中では思惑が動く。尤もわたくしの場合は、皆が歓んでくれると、単純に想ってしまう莫迦さが間違いなのだ。

 勤務を終えて、Aさんちで水を貰い帰宅する。明日も早出なので、夜更かしは出来ない。ジュリー祭りだけは観よう。本日は、語呂合わせで櫛の日だそう。須佐之男命とクシナダ姫が出て来る、八岐大蛇を思い出す。古事記や日本書紀には戒めの話が多いが、神の存在に神秘さも、不気味さも感じる。

 ディズニーランドで、スターウォーズに並んでいた時に、ふと観あげた天に懸かっていた。

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