新しいパソコンは、実は巧みに持ち主を試しているのだ。と機械に疎い自分を嘆く。パソコンお助けマン出動を依頼。昨日は、日曜日なので連絡を控えて、今朝になって訊ねると、何ともあっさり繋がったのにも厭きれる。然し、めげてはいられない。ブログの更新に邁進しよう。
空白の一日は、神さまがせめてもの休日に。出窓の掃除をしていて見つけた、蜂の巣は、何と駐車場の、新車の上にぶら下がっていて、可なりの大きさになっている。今まで刺されなかったと、Aさんちに水を分けて貰いに行き、荷物を下していた時に事件は起きた。叫ぶ暇も無。
水を持っていたから、咄嗟には防げず、頭と肩を刺された。起き上がろうにも立てずで、左足は怪我し、腕にも痛みが走る。何とか玄関までたどり着き、枇杷葉エキスを手拭いに浸し、患部に貼り付けた。気分の悪さは半端でない。そのまま小1時間を経過して、毒が抜けるのを待。
右の首筋を触ると、数ヵ所膨らみがある。そこを集中的に、枇杷葉エキスを何度も浸して当てた。痒みも痛みも薄く、気分の悪さだけが残る。やっとのことで起きるが、医者に行かなかったのが救いだ。尤も、あの状態で、病院に行けるとは思えないが。枇杷葉エキスがあって安堵。
で。その一日が、パソコンの方も伝わったのか、ネットへの接続が出来なくなってしまう。仕方がないので、図書館だけには行こうと、返却に出向き、序でに佐野洋子さんのと佐藤愛子さんの著作を借りた。タイトルが面白い。そうはいかない。へそ曲がりには丁度よく、直ぐに読めた。
ふたつの夏も、何となく不可思議な世界が入り組んで、話の中心が読み取れず、とても難しかったが、読み終えると酷く懐かしさがこみあげてくる。虹は消えた。自然現象であるから、これも至極ご尤もなことで、虹の出ている間にも、人生は移っていくことに気づくのだ。当たり前だ。
今朝は、早めに起きたので、蒲団を干し、洗濯機を回す。毛布も洗っておかねば、と奮闘する。鎖骨と、右の肩が痒いが、枇杷ローションを塗っておく。少しばかり膨らんでいるのは、勿怪の幸いで、身体中に毒が回ったにしては、助かったものだ。その後、噴霧して撃退し、巣を撤去。
今年の台風は、可なりの強風が予想される。これに加わる地震と津波で、再稼働への打撃は少なくない。沖縄の基地の返還と言うが、体のいい言い回しで、嘘ばっかりである。沖縄だけに犠牲をしくのは止めよう。また、アメリカの言い成りにはならない。白洲次郎氏のような人物皆無。
ジュリー祭りを観ていて、思いだした。沢田研二さんの誕生日だわ。喜寿になられたんですな。この映像と然したる違いはないようだが、それでも10年経過すれば、体力的にもきつくなるだろう。一般庶民とは違うだろうが、ステージの激務さは生半可ではないと察する。後、2週間。
庭のあちこちに植えている花が、季節と共に芽を出し、咲いていく。芍薬も、薬草なので植えている。