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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

優しさの意味

2009年04月28日 | Weblog
 やさしいことって、何だろう?反対に強い、と言われるのは、どういうことであろうか。私は、決して強くもないし、かといって、優しくもない。自分に厳しいだけですよ。感情に負けそうで、心は絶えず揺れている。またいつも迷うことばかりです。前に進もうとしても、路がなかったり、絶壁に立っていたりする。

 四面楚歌にもなるのです。けれども神さまが導いてくれて、往くべき路へと誘ってくれる。但しその路は険しく困難で、とてものことに往けそうもない。挫けそうな弱い心にばかりなる。じっと考えてみたり、立ち止まって四方を見渡したり、時には逆立ちもするのです。答えが見つからないことの方が多いけれど、諦めないでいます。

 体中が血まみれになっても、何処からか清らかな水が沸き出でて、洗い流してくれるのです。辛抱すること。耐えること。信じることで生かされてきました。私は自分のような人を見たら、往くべき路を示したくなる。けれどもそうしたからと言って、安楽な路ではないし楽しいばかりの路でもない。

 示してあげれるのは、努力をすることを薦めることです。そういう心がなかったら、元の木阿弥。気泡です。弛まぬ努力の結果として、予言した姿が手に入るのですよ。何もしないでいて、素晴らしい約束された人生はありません。人間は誰しも弱い生き物です。

 だからこそ知恵を使い、勇気を奮って、歩いていくのでしょう?逃げていては何も始まりません。めげたり、しょげたり、泣きたくなることもあって当たり前です。むしろそういうことがないことの方が怖い。親が全てを解決してくれるかしら?できるかもしれないね。

 でもそれでは人間としての、成長はないでしょう。壁にぶつかって痛みを感じ、次からはぶつからないように、気をつけていくのです。自分をいつもいじめる奴には、念入りに奴の弱点を調べ上げ、鼬の最後っ屁をかましてやりましょう。江戸の敵は長崎で。というところでしょうか。

 自分自身の生き方です。親が決めるのでも、兄弟が命令するのでもありません。不服ながらもそうしているのは、自分自身の気持ちなのです。そうなっておいて自分より他の人間を批判するのは、至って簡単なことですよ。でも、やはり。そうしようと自分で決めたことに、違いはありませんよ。

 西遊記の、孫悟空が一人で天竺に行くには、何等困難はありません。けれども人間の三蔵法師を伴い、仲間と協力して、お師匠様を守っていくことにこそ、真実の心が生まれてくるのではないのでしょうか?その中に、化け物や妖怪は怖くないが、人間の悪心ほど怖いものはないよ。とありました。妬み、嫉み、差別。人間とはこうも欲深な者かと心が苦しくなりました。文庫が出ていますね。ハードカバーもありますが、やっぱり買うことにしたよ。

 勤務先の裏手に、鈴蘭の群れがあります。我が家にも、半日陰になる玄関の左に植えていたら、繁殖しています。まだ小さな鈴です。人間の心の中にも、こんな小さな鈴があるのかもしれないねぇ。
コメント
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