2006-0611-yms057
あれこれの煩わしさで里居して
ずいぶん長く経ちましたわよ 悠山人
○紫式部集、詠む。
○略注=1005(寛弘2)年暮れに出仕した紫は、翌春三月に里居(里帰り)したが、「宮の弁のおもと」(中宮の女房)が、いつごろ戻られるのかしら、と書状を寄越した。ここから、新潮版と平王ク(061)の歌番号が、大きく乱れる。私は新潮版による。
¶宮の弁のおもと(御許)=新潮版は、「中宮の女房。素姓未
詳。」とするが、平王クは<『紫式部日記』で「宮の」があるのは「宮
の弁」のみ。中宮付きであることを強調する意味があるか。また、式
部は自分より上の女房を「君」と呼ぶのに比べて、同格の女房を「お
もと」と呼んでいる。この宮の弁のおもとも、中あたりなのだろう。左
大弁源扶義の妻、掌侍藤原義子か。>と詳記。
¶うきこと(憂き事)=新潮版は、宮中での「何かいやなこと」の推定に留
めるが、平王クは、他書になり情交嫌悪説とでもいうべきものを、次の
ように紹介する。<式部が初出仕後いくばくもなく自邸へ戻ってしまった
原因を、いずれも同僚女房による式部への冷遇というよりは、道長が新
参女房に対して挨拶(儀礼)として行う情交に憤りを感じたからだとしてい
る。諸注釈書には、もっと穏やかな原因しか挙げられていない。>
□紫057:うきことを おもひみだれて あをやぎの
いとひさしくも なりにけるかな
□悠057:あれこれの わずらわしさで さといして
ずいぶんながく たちましたわよ
2006-0611-yts164
仲人と潮来の小さき舟に乗り
花嫁さきく眼居のすゑ 悠山人
○短歌写真、詠む。
○行事の名として「嫁入り舟」が使われている。ジューン・ブライドの顔は幸せそう。
□なかうどと いたこのちさき ふねにのり
はなよめさきく まなこゐのすゑ



