百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

軍隊は運隊 (第5話)

2011-07-28 21:15:31 | 私の青春時代

7月28日 (木)  平成17年1月1日より 2,400日目
       歩いた歩数     その距離 m
本日    14
,524 歩      10,167m
総計 33,456,618歩     
23,419、633

 イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 128,625m

         
                       日赤で

          孫の貴ちゃんが妻の入院見舞を兼ねて来てくれた。

軍隊は運隊 (第5話)

 私は軍隊には幻滅を感じたし、かなり批判的にはなったが、班内ではぬるま湯に浸かったような厚遇を受けていた。

 私は4中隊(猪隊)第5班に配属された。此の班は「鍛錬班」と呼ばれていた。鍛錬班と云えば如何にも怖いようにとられるが、虚弱体質の兵隊を一人前に育てようという有り難い考えから、食べ物にも優遇され、特別の配給品まであった。最初は(肝油最中)などが特配されたが、後には繭の蛹になった。中には苦手で食べない者が居たので私はその分までご馳走になることが出来た。

 次に私たち兵隊の教育係のK兵長は、初年兵時代、私の出身地の同性のK軍曹に可愛がられたという恩義から、私には特別の扱いをして呉れた。また聯隊に知ってる者が居るかとの質問に「歩兵砲中隊の副官S大尉は私の家の隣の会社の社長です」と答えたのも効いたようだ。

 それに私の職業が小学校教員となっていたので、一目置いて呉れたようだ。私は暗記力が弱い方だが、軍人勅諭の暗証は一度も指名されなかった。私より3か月早く入隊した同郷のU君は少し斜視だったせいもあって、「目がもの言った」と咎められては軍人勅語の復唱をさせられて、つかえては殴られて居た。

 またある日の曹長室当番の時、曹長のパンが無くなるというハプニングがあったが、お前は先生をして居ったと聞いている、お前がパンを食う筈はないとすると相棒が食ったに違いないと決めつけられて、仕置きされた。後で他中隊の兵隊であることが判ったが相棒はとんだ災難だった。