百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

弱兵解除

2011-07-21 18:34:02 | 私の青春時代

7月21日  平成17年1月1日より 2,393日目
                 歩いた歩数         その距離 m
本日   
  14,129 歩            9,890 m
総計 33,364,080 歩 23,354、85
6 m
イラン・トルコ、ギリシャを経てシシリー島カタニアを経てイタリヤ半島ナポリに向かう。後 193,402 m
 

 社協からNPOに活動に対する助成金を支給するので申請するよう書類が来ていたので、申請書を下書きして持参すると、これで結構と言われ受理されてしまった。ほかに特記することも無いので、戦争秘話第3話を書くことにした。

 昭和20年の初夏、沖縄玉砕の頃の話。【弱兵解除】の指令が参謀本部から来た。本土決戦を覚悟して居た状況の中でなぜ?と勘繰ったが、本土が戦場になれば軍人も市民も無い、国民全体で戦うのだ。そうなれば、役に立たない弱兵の兵役を解除して軍人と市民の食糧配給の差額分を食い延ばそう、という作戦だとか言われた。

 私の中隊からも弱兵を選考することになったが、私の戦友(真の戦友とはベットの両側の兵士を指す)のM上等兵は一流大学出ながら幹部候補生にもならず、暗号兵だったが、痔を患い、中隊から招魂社へ位牌書きに通っていた。彼が私に「日本は負ける。負ければ捕虜になって金玉を取られて一生奴隷だ。俺には嬶も子供もいる。頼むから弱兵に入れて呉れ」と懇願された。私は気の毒に思って彼を名簿に記入した。

 20年8月1日除隊命令が出た。彼は「一生恩に着る。礼するものは無いが、俺の時計をとって呉れ。俺は兵隊の記念に編上靴が欲しい。俺が弾薬庫の土手から声を掛けたら投げて呉れ」と云った。

 それから15日で終戦になってしまった。翌年の春、城山の花見で出会った。彼は地元の女子高の教師になっていた。そして「あの時は世話になったが、実は今も独身・・・」と言って頭を掻いた。

 その後、彼は高校の先生と結婚、教育界に活躍する著名人になったが、これ以上は語らないことにする。