滋賀県愛知郡愛荘町にある金剛輪寺は、奈良時代の中頃、
天平13年(741)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山された。
言い伝えによると行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、
木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、
粗彫りのまま本尊としてお祀りされた。
後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、
全国の観音信徒より篤い信仰を集めている。
平安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、
天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となった。
元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された本堂は、
鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。
堂内には御本尊をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など
平安から鎌倉時代の仏像が安置され、
その多くが国の重要文化財に指定されている。
また、三重塔(鎌倉時代)および二天門(室町時代)も国指定重要文化財で、
桃山時代から江戸時代の中期にかけて造られた本坊明壽院の庭園は近江路随一ともいわれ、
国の名勝に指定されている。(金剛輪寺HPより)
重要文化財 三重塔
国宝 本堂
第3世天台座主 本堂内の慈覚大師像
重要文化財 二天門
境内には2000体以上とも言われる水子地蔵が並んでいる。
紅葉の見ごろが過ぎていたとはいえ、趣のある庭園だった。