北の旅人

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長嶋茂雄・松井秀喜氏の国民栄誉賞は、今が妥当だったのか?

2013-04-04 16:15:35 | Weblog

球界のスーパースター長嶋茂雄氏とゴジラ松井秀喜氏が、国民に夢と希望を与えたとして、国民栄誉賞が贈られることになった。先ずは、「おめでとう!」と申し上げたい。お二人とも、もちろん受賞の資格があるとは思うが、果たして「今」の授与が適切だったのかどうかについては、ちょっと疑問が残る。


 

                    

長嶋氏については、はっきり言って、もっともっと早く授与されるべきだった。王貞治氏は現役だった1977年に受賞している。この年、王氏は756号のホームラン世界新記録を放った直後の受賞だった。時の首相・福田赳夫氏によって国民栄誉賞が創設されて、王氏が第一号となったのだ。

国民栄誉賞授与の基準は、国民の幅広い敬愛を受けていること、国民に親しみのある分野、前人未到の業績、国民的盛り上がりだという。だとすれば、長嶋氏の受賞は当然だ。1958年の入団(昭和30年半ば)から引退する1974年までの現役時代は、まさに日本の高度成長期に当り、王・長嶋両氏の活躍ぶりは「ON時代」と言われ、国民的なヒーローだった。

個人的なことを言えば、実は大学1年生のとき、後楽園球場でビールやジュースの「売り子」のアルバイトをしていたことがあり、わが青春時代とON時代が完全にオーバーラップしているのだ。私は、長嶋派であったが、その後のサラリーマン生活においても、夢や希望を与えてくれたことの功績は誠に大きいものがある。監督時代も含め、文字通り国民的な盛り上がりという点でも全く異論はない。

一方、松井氏については、巨人時代の本塁打・打点の二冠を2回、セリーグMVP、ワールドシリーズで日本人初のMVPなど、その活躍ぶりは賞賛に値することは間違いない。しかし、日本人大リーガーへの道を切り開いたのは、何と言っても野茂英雄氏だ。あの当時、日本人選手が大リーグで活躍出来ると思った国民が、どれほどいただろうか。野茂が自らの信念に従って、勇気ある挑戦をし、見事な実績を上げてきたことは、実に素晴らしいことだ。

大リーグ11年間で123勝、アメリカン両リーグでのノーヒット・ノーラン達成は史上4人目。そして日米通算201勝(日本では5年間で78勝)は、燦然と輝く記録だ。本人は多くを語らないが、フロンティア・スピリットの体現者として、その功績は偉大である。そうした、パイオニアがいてこその、今日の日本人選手の活躍があることを忘れてはならない。そういう意味で、松井氏の今回の受賞には、割り切れないものを感じる。

松井氏は、これから球界のために、まだまだ寄与するだろうことを思うと、長嶋氏とセットでの受賞でなく、単独での受賞が相応しい時期が間違いなく来たであろうと思われる。そう考えると、師弟関係というのも分からないではないが、国民栄誉賞の重みという点からは、少し疑問に思われる。今後の国民栄誉賞授与に当っては、もう少し検討の余地があるのではないか。