北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

1956-「14歳の心象風景」<36>

2010-01-19 13:57:47 | Weblog

<作文>

                 お正月
                        (M・K)

クリスマスを迎え、そして大みそかをむかえ、僕達はお正月を迎えた。大人でも、又、僕達にとってもお正月は一年中で一番楽しい行事である。前の年の、いろいろな行事を思い浮かべ、そして僕等のやった行事、しっぱいなどを思い出し、そして、ふきだし残念がる。

 さて、お正月の元旦は学校で式がある。一日の朝は寒かったので何だか学校へ行くのがいやな気がする。けれども、新しい年の一番初めの日だと思うと行かないわけにはいかない。九時頃、友達がさそいに来たので僕は学校へ行った。まだ、大して来ていなかった。式は10時半頃終ったので、ぼくが友達と家に帰って来たのは11時頃だった。

 そして、今年のお正月は、釧路行って来た。ここのお正月と釧路のお正月とは、くらべものにはならないほど釧路はにぎやかだった。そして、今年のお正月は、あまりカルタもしなかった。お正月の一番の遊び物であるカルタをしないと言う事は、僕にとっては大変さびしかった。

7日頃からは、そろそろお正月気分がぬけて来た。友達の家でも、あまりカルタやトランプなどをしなくなった。あちらでポツンとカルタをやり、こっちの家でカルタをやっているうちに、お正月はなくなってくる。お正月は6日迄、そして7日は7日正月、20日は20日正月といって、お正月の行事は終る。

お正月は、どこの家でも門松を玄関につける。お正月というのは、松飾りをすると大変お正月らしく見えるものです。まず、お正月は松飾りをするのと、もちがあることによってお正月が始まるような気がします。

今年のお正月が終っても、又来年、さ来年といって毎年来るものです。このお正月によって、僕達は楽しく勉強し、遊んだりしている様な気がします。こういう行事は日本にとっても一番良い行事ではないでしょうか。          

             ☆           ☆

そうだ、確かに50年以上のお正月は、新しい服を着て学校へ行ったものだ。校長先生の話を聞き、生徒代表の挨拶もあった。私も、「今年も元気で学校生活を送りましょう!」などと、真面目くさった挨拶をした記憶がある。子どもなりに、新しい年を迎えて心機一転、頑張ろうという気持ちがあったのだと思う。

あの頃、お正月の遊びと言えば、カルタ、羽子板、トランプ、たこ揚げ、などであった。特に、カルタは盛んであったし、私も一番好きだった。このカルタ、実は北海道では「下の句かるた」といって、下の句を読んで下の句のかるたを取るという独特のものだ。そもそもは、北海道の開拓期に、屯田兵によってもたらされたというが、はっきりしたことは分からない。

「下の句かるた」は、「板がるた」とも呼ばれるように、縦約8センチ、横約5センチ、厚さ6ミリの板に草書体の墨文字で書く。特に、出だしの字を大きく書く。1チーム3人の団体戦が基本で、「守備、中堅、突き手」と、役割分担がある。私は、結構上手い方で、突き手が多かったように思う。友達同士より、むしろ、近所の大人たちに交じって遊んでもらった。

冬休みなどは、夜10時~11時頃まで遊んでいて、よく親に怒られたものだ。しかし、大人たちと一緒なって遊ぶというのは、大人の世界を覗くようで、何となくうれしい気がした。田舎だったせいもあり、地域における人間関係が濃かった。何とも懐かしい。