オスとメスのことはわからない。
というか、例えば夫婦や恋人のことは、当事者同士でしか、わからない。語れない。
思えば、父が死んだ時の母は、現在の僕の年齢の頃だったのでした。
若くもなかったけれど、少なくとも今の母のように、後期高齢者でもありませんでした。
「人生、これから」みたいな、親友のIさんからの慰めというか、勇気付けの言葉、優しく前向きなアドバイスに対して、母は、反撥してしまった、と。
なんでやねん。
当時の母の悲しみは、息子の想像を超えていて、その事実は、周囲の人たちにとっても、意外なことだったのでしょう。
当たり前ですけど、感情ってのは、理屈ではないのでしょう。
僕だって、騙された、って、思いましたもん。
だって、生前の夫については、悪口ばっかり言ってたくせに、って・・・。
自由と束縛は、裏腹一体。
自由と孤独も、然り。
思い出すのは、こんなこと。
例えば、寒い日に、あなたの存在があったから、暖かかった、明るかった、とか。
外は寒かったけれど、家の中は暖かかった。
それは、あなたが暖房をつけていたからでもあるし、あなたが発熱していたからでもある、と。
寂しさを寂しさと感じさせないような、
どことなく仏教的な考え方(悟り)もありますが、
それだけだと、割り切れない思いもあって、
永遠には捉えられない、刹那だけの温もりを求めてしまうのは、
しょせん、哺乳類の動物だからなのでしょうか、ねぇ。
というか、例えば夫婦や恋人のことは、当事者同士でしか、わからない。語れない。
思えば、父が死んだ時の母は、現在の僕の年齢の頃だったのでした。
若くもなかったけれど、少なくとも今の母のように、後期高齢者でもありませんでした。
「人生、これから」みたいな、親友のIさんからの慰めというか、勇気付けの言葉、優しく前向きなアドバイスに対して、母は、反撥してしまった、と。
なんでやねん。
当時の母の悲しみは、息子の想像を超えていて、その事実は、周囲の人たちにとっても、意外なことだったのでしょう。
当たり前ですけど、感情ってのは、理屈ではないのでしょう。
僕だって、騙された、って、思いましたもん。
だって、生前の夫については、悪口ばっかり言ってたくせに、って・・・。
自由と束縛は、裏腹一体。
自由と孤独も、然り。
思い出すのは、こんなこと。
例えば、寒い日に、あなたの存在があったから、暖かかった、明るかった、とか。
外は寒かったけれど、家の中は暖かかった。
それは、あなたが暖房をつけていたからでもあるし、あなたが発熱していたからでもある、と。
寂しさを寂しさと感じさせないような、
どことなく仏教的な考え方(悟り)もありますが、
それだけだと、割り切れない思いもあって、
永遠には捉えられない、刹那だけの温もりを求めてしまうのは、
しょせん、哺乳類の動物だからなのでしょうか、ねぇ。