まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

例えば行政について、など。

2023-10-20 05:44:30 | 日記
昨日の日中の僕は、病院のたらいまわしに終始していました。
とっても無駄な時間でしたが、勉強にはなりました。あ~ぁ。

予約が必要だというのは、つまり、お得意さんを優先しますよ、ということで、
さらに言えば、急患や重傷者を優先しますよ、という、極めて当たり前の事実だったわけです。

まぬけな僕には、わかりませんでした。わかっていませんでした。
で、賢い紫苑さん曰く、「発熱外来に行かないからだ」と。確かに。

えっと、結果的に、検査キットによれば、単なる風邪でした。
しかし、具合が悪くなってしまったという事実以上に、僕らの仕事柄、感染症ってのは、敏感にならざるを得ない、そんな側面・言い訳があるのです・・・。

何らかの困窮者が、行政・役所・病院、そんな、いわゆる公共的な機関を必要とする時は、少しは賢く立ち回る必要がありそうです。当たり前か(笑)
金銭的な損・得、だけではなく、なんというか、それが他者との出会いや縁だったりもするわけでしょうし。

僕らの法人も、試行錯誤しつつ、ギブ&テイクのセーフティネットを構築しようとしています。
それは具体的には、住まいであったり、仕事であったり、安心システムであったり、総合的なサポートなわけですけれども、そんな施しは嫌だ、潔くない、という考え方、つまり、どんなに苦しかったとしても、己で解決するのだ、という意思もあることでしょう。

しかしまぁ、時には、誰かを頼っても、よろしいやん。
まぁ、頼られすぎて、うっとうしい時だってあるかもしれんけど、僕みたいなハードマゾ人間にとっては、それが生きがいだったりもするわけですし・・・。
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どのつらさげて

2023-10-20 05:17:51 | 日記
ごめんな埼玉県、とか、すみま千円みたいな、そんな、「まぬけ」語たちは、
しょせん、中途半端な立ち位置の埼玉県や、千円程度の謝罪に過ぎません。

一方で、心の底から謝りたい時に、合掌することしか出来ないようなことが、仕事柄でしょうか、ままあります。
だって、悲しいとか、切ないという感情を超えているからなのかどうか、言葉にならないんだもん・・・。

お世話になった(迷惑をかけてしまった)人たちに、恩返しは出来ないというか、刹那的に出来たと思う瞬間があったとしても、自己満足に過ぎないのかなぁ。
僕個人の過ちの原因というか、何が足りなかったのかということについて、何となく理解しているつもりだったとしても、それは結局、後の祭りなのかなぁ。

今宵は呑んでも呑んでも酔えません。
何か新しい機軸が必要なのかなぁ・・・。
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Don't get angry with me !

2023-10-20 05:02:05 | 日記
今日、ストーンズの新譜が届きます。
楽しみ!

先行シングルの「Angry」という曲は、勘違いするなかれ、
「怒ってます!」ではなく、「怒らないでよ!」という歌詞。

「 (I Can't Get No) Satisfaction」と同じ理屈で、
「満足してます!」という曲では決してないわけです。

今の僕の心境は、まさに、怒らない下さい、許して下さい、そんな気分なので、ぴったんこ(笑)
音楽があるから、(チャーリーがいなくなっても)くじけない、前進し続けている、僕はそんなストーンズが、好きだ!!
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飲食店の人材・人手不足

2023-10-20 03:57:54 | 日記
必要とされる人材に年齢は関係ないだろう、という話です。
年寄りという存在は、若者たちみたいには俊敏に動けないし、身体も丈夫ではないし、思考回路も硬直していますが、かつての経験と実績があるからこそ、誰かに、何かを伝える(教える)きっかけを与え得る可能性があるのではないでしょうか。
そういう意味で、年齢という負い目だけで、その才能を安く手放す必要はありませんし、そこいらは大人の知恵で、ずる賢く立ち回ることが出来るのではないでしょうか。
生きるために、生涯現役で働かないと金銭的に辛いという問題は、簡単ではない、というか、運不運にも左右されますけれども、解決できるはずだと、僕は思っています。


「Forever Young」Young@Heart
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男と女のことはわからない。

2023-10-20 03:32:10 | 日記
オスとメスのことはわからない。
というか、例えば夫婦や恋人のことは、当事者同士でしか、わからない。語れない。

思えば、父が死んだ時の母は、現在の僕の年齢の頃だったのでした。
若くもなかったけれど、少なくとも今の母のように、後期高齢者でもありませんでした。

「人生、これから」みたいな、親友のIさんからの慰めというか、勇気付けの言葉、優しく前向きなアドバイスに対して、母は、反撥してしまった、と。
なんでやねん。

当時の母の悲しみは、息子の想像を超えていて、その事実は、周囲の人たちにとっても、意外なことだったのでしょう。
当たり前ですけど、感情ってのは、理屈ではないのでしょう。

僕だって、騙された、って、思いましたもん。
だって、生前の夫については、悪口ばっかり言ってたくせに、って・・・。

自由と束縛は、裏腹一体。
自由と孤独も、然り。

思い出すのは、こんなこと。
例えば、寒い日に、あなたの存在があったから、暖かかった、明るかった、とか。

外は寒かったけれど、家の中は暖かかった。
それは、あなたが暖房をつけていたからでもあるし、あなたが発熱していたからでもある、と。

寂しさを寂しさと感じさせないような、
どことなく仏教的な考え方(悟り)もありますが、
それだけだと、割り切れない思いもあって、
永遠には捉えられない、刹那だけの温もりを求めてしまうのは、
しょせん、哺乳類の動物だからなのでしょうか、ねぇ。
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