まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

これが世界だというように

2021-08-01 00:14:39 | 日記
「ともしび(Hannah)」監督=アンドレア・パラオロ

僕はよく「映画らしい映画」という表現をします。定義という程の定義はありませんが、それはつまり、泣けて、笑えて、最後はハッピーエンドで終わる、というような映画のことです。
しかし、この映画は全く「映画らしい映画」ではなく、むしろ、写真集のような映画なのであって、さらに、娯楽性には富んでおらず、まるでポートレートだけの写真集の如くなのです。
任意の10人でこの映画を見たならば、その内の7人は途中で寝てしまうでしょうし、さらに、残りの3人のうちの2人は、不愉快な思いを抱いてしまうかもしれません。
そうして、最後に残った1人は言うでしょう。「面白くないかもしれない。おすすめは出来ない。けれども、とっても印象に残る映画でした」と。

さらに、僕は「介護職としての視点で」という表現もよくします。
そういう意味で僕が思うに、この映画は、男と女の行く末や、家族の脆さの表現に、破綻がありません。
シャーロット・ランプリングが演ずる主人公のハンナは、全体的なトーンとしては暗い感じなのですが、家政婦として糧を得ており、演劇クラブに通い、スイミングスクールに通い、日常生活(食事や入浴や掃除など)もおろそかにはしていません。夫の面会に行き、子供や孫たちに会いに行き、愛犬を譲渡し、浜辺に打ち上げられた鯨を観に行きます。ほぼ全てが自分の意思であり、つまり、行動的なのです。だからこその酸いも甘いもを、噛みしめている、ということ。そう、少なくとも、ぼんやりとテレビを見てしまうようなタイプの女性ではありませんし、祈るシーン(宗教的な行為)もありません。

この映画は、物語そのものが意図的にトリミングされており、余分な解説や説明がまるでなく、それらは全て観客に委ねられ、想像力を問います。
まるで、現実ってのは、すべからくそんな構成に基づいているでしょ、と言わんばかりに。
老いることの現実を描きたかったのでしょうか?
僕は違うと思う。ドキュメンタリーではないのだし。

老いてなお、現在進行形で美しい女性の、凛とした生き方を提示したかったのではないでしょうか。
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