まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

昭和食堂の夜(かたやんに)

2019-04-30 11:20:03 | 日記
平成の最後は、寒いですなぁ。

こんな日ですから、あえて、とっておきの「昭和男」を偲んでみましょう。

かたやんと貫太郎さんと3人で、昭和食堂で焼肉をつついていたのは、1992年、あるいは、1993年のこと。僕は入社1年目、あるいは2年目でした。

で、かたやん、本気で怒るんよ、「早よ彼女をつくれ」って。

しかも、貫太郎さんにも彼女はいなかったのに、その怒りが僕に集中するんです。

というのは、たぶん、僕は変な理屈、言い訳をこねたんでしょう、ですから、怒りが増したのでしょう。

はっきりと覚えていますけれども、僕、涙目になって、貫太郎さんに慰められていましたもん。

あの頃のかたやんは、60歳手前だったんじゃないかな。その何年後かに(定年後に)、「片山急送」を興していましたので。

しかし、今にして思うと、有難いことでしたねぇ。

だって、仕事のことじゃないんだもん。

野暮じゃない、というか、まぁ「粋」な類の説教でしょ。

今、たぶん、かたやんみたいな偏屈なジジイ、そんな存在、滅多にいないよ。

仮に、僕なんかが、引き継いでいるようなつもりがあったしても、とてもとても、あの大きな器には適いませんので。

そういえば、かたやんと卓球をしたこともあったなぁ。あの時も貫太郎さんと一緒だったのかなぁ。

で、かたやん、上手かった。ちっちゃな身体でしたが、俊敏でした。テクニックや年齢(による衰え)がどうの、そんなんではなく、負けないぞ、と、その気迫。

かたやんは、嫁さんや息子を愛し、会社を愛し、同僚たちを愛し、とにかく素敵な人でした。

女好きでもありましたが、若い娘は、「小便臭い」な~んて、見向きもしない。年増限定で口説く。

あんなクソ爺になりたいけど、永遠の憧れだなぁ・・・。

最後に付け加えておきます。

3人で昭和食堂の夜、勘定を持つのは貫太郎さんなのです。

かたやんは出しません(笑)

さらに付け加えておきましょう。

あの夜から、しばらく経って、「彼女できました」って、かたやんに報告したんです。

「そうか」って、にやっと笑って、それでおしまい。
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