「キャパの十字架」著者=沢木耕太郎におけるキーワードがひとつあるとするならば、それは、次の一文に尽きると思います。
<同じ「視るだけの者」としての哀しみを見出し、「同類」としての共感を覚えるようになった。>
キャパも、沢木さんも、だからこそ、当事者であろうと、痛々しい「努力」をした。むろん、天性の才能を持ち合わせてはいた。キャパにとっては、カメラが武器になったし、沢木さんにとっては、それがペンだった。いずれにせよ、決して「同類」ではない、軽く三途の川を飛び越えてしまうような「行動力」という才能への憧憬があったということは、間違いないように思う。そしてそのことは、私自身も、「同類」として、共感を覚えざるを得ないことなのだ。
結局、私があなたの天性の行動力に憑かれているのは、そういうことなのです。「同類」ではないことの哀しみと、それゆえの、悦び。だって、そこにきっと、新たな強さとハーモニーが生まれるはずであろうから。お互いのコンプレックス、劣等感の中から、何かが生まれるはずだろうから。
<同じ「視るだけの者」としての哀しみを見出し、「同類」としての共感を覚えるようになった。>
キャパも、沢木さんも、だからこそ、当事者であろうと、痛々しい「努力」をした。むろん、天性の才能を持ち合わせてはいた。キャパにとっては、カメラが武器になったし、沢木さんにとっては、それがペンだった。いずれにせよ、決して「同類」ではない、軽く三途の川を飛び越えてしまうような「行動力」という才能への憧憬があったということは、間違いないように思う。そしてそのことは、私自身も、「同類」として、共感を覚えざるを得ないことなのだ。
結局、私があなたの天性の行動力に憑かれているのは、そういうことなのです。「同類」ではないことの哀しみと、それゆえの、悦び。だって、そこにきっと、新たな強さとハーモニーが生まれるはずであろうから。お互いのコンプレックス、劣等感の中から、何かが生まれるはずだろうから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます