「ナミヤ雑貨店の奇蹟」監督=廣木隆一
「享年17歳の闘病ブログが10年後の今も残る意味」by古田雄介
ブログの類、つまりSNSって、始めるのは簡単ですが、終えるのは難しいですね。否、アカウントの消去や、あるいは、「あひる哲学」のように、消える、消すのは訳のないことなのでしょうけれども、僕が言いたいのは、図らずも命を失った場合、という意味においてです。
で、立石の追悼集を探したのですが、見つかりませんでした。残念。僕の記憶では、確か奴は、疵みたいに残るのが嫌、というようなことを書いていた(言っていた)はず。そいで、「ぴあ」 の余白に投稿することもあった、とか。それってまさに、今、僕が、パソコンのキーボードを叩いているのと同じような行為だったのかもしれないな。
YouTube の常套文句で、「今日もご視聴ありがとうございます」みたいな、そんなん、ありますでしょ。今の僕は、まさにそんな気分で、このブログに接して下さって、本当に有難うございます。感謝しています、って。でも、チャンネル登録はしなくていいよ。放置プレイが相応しい。
もし仮に、何年後かに、僕の存在が、あなたの役に立っていた、な~んて感じるようなことがあったとしても、そんなん、ただひたすらに、僕が愛した人たちからの影響を受け継いだ一部に過ぎず、あなたの努力や行いこそが、核にあるのだって、言いたいな。僕の人生なんぞ、第3系のビールみたいなもんで、少しだけ酔えたら幸いだけれども、本物とは違いますやん。
あ、「あひる哲学」だけは、誇りに思っています。あれは、あれだけは、面白い表現だったよなぁ・・・。
「享年17歳の闘病ブログが10年後の今も残る意味」by古田雄介
ブログの類、つまりSNSって、始めるのは簡単ですが、終えるのは難しいですね。否、アカウントの消去や、あるいは、「あひる哲学」のように、消える、消すのは訳のないことなのでしょうけれども、僕が言いたいのは、図らずも命を失った場合、という意味においてです。
で、立石の追悼集を探したのですが、見つかりませんでした。残念。僕の記憶では、確か奴は、疵みたいに残るのが嫌、というようなことを書いていた(言っていた)はず。そいで、「ぴあ」 の余白に投稿することもあった、とか。それってまさに、今、僕が、パソコンのキーボードを叩いているのと同じような行為だったのかもしれないな。
YouTube の常套文句で、「今日もご視聴ありがとうございます」みたいな、そんなん、ありますでしょ。今の僕は、まさにそんな気分で、このブログに接して下さって、本当に有難うございます。感謝しています、って。でも、チャンネル登録はしなくていいよ。放置プレイが相応しい。
もし仮に、何年後かに、僕の存在が、あなたの役に立っていた、な~んて感じるようなことがあったとしても、そんなん、ただひたすらに、僕が愛した人たちからの影響を受け継いだ一部に過ぎず、あなたの努力や行いこそが、核にあるのだって、言いたいな。僕の人生なんぞ、第3系のビールみたいなもんで、少しだけ酔えたら幸いだけれども、本物とは違いますやん。
あ、「あひる哲学」だけは、誇りに思っています。あれは、あれだけは、面白い表現だったよなぁ・・・。
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