昨日の話ではありません。その前に、シミとドライブをした時の話です。
あの日も我々は(ふたりとも夜勤明けでした)、その日の予定を全く立てずに、「そろそろ、飯、行くか」みたいな感じで合流しました。
それで、なんとなく思いつきで、というか、以前に行った時は閉店だったというリベンジを兼ねて、入間の有名店「古都」に行きました。
シミにとっては初めてのお店だったので、一見、そのごはんの量<まるでかき氷 by シミ>に驚いていましたが、私は重ねがさね繰り返し、このお店の本質はそのボリュームにあるのではなく、サービス精神にあるのだと、説いていました(シミも同意していたはず)。
「古都」のおかみさん。
私が介護の世界に入って、少しはその理想を追う中で、この人だけには絶対に敵わないし、だからこそ、学ばなくてはならない、吸収しなくてはならない、そう感じさせてくれる何人かの、間違いなくそのひとりが、「古都」のおかみさん。
サッカーのポジションで例えるならば、ミッドフィールダー。遠藤保仁さんのような、万能型のミッドフィールダー。
なんて視野が広いんだ!
全体を見渡す能力があって、しかも(奢ることなく)謙虚。
その後我々は、いろんなお店で買い物を楽しみつつ(シミに私の買い物を付き合わせつつ)、狭山の有名ラーメン店「燈の車」へ。
店外で並んでいた時に、「燈の車」のおかみさんが、待たせていることを(こっちが勝手に並んでいるにも関わらず)、お辞儀。
「ごめさん、45°、教科書通りのお辞儀でしたね」と、シミ。
「うん、なんかさ、こっち(我々)の方が頭が下がるよね」と、まぬけ。
サービス職、お客様商売をしている私たちにとって、お手本になるようなお辞儀であったことには、間違いがありません。
もちろん、その無化調魚介系ラーメンも美味しいのです。
最後に我々は、入曽の名店「ポルポ」に行きました。
で、「ポルポ」のご主人さんも凄い。特に記憶力が凄い(確実にその商売に活かされていることでしょう)。
私が思うに、飲食店で名店と呼べるお店には、(アルバイトさんではなく)この人がつくってくれているのだ、という安心感があるのです。
そういう意味でも、「ポルポ」は完璧。
ご主人が遠征している時は、お母さんのかき氷店になります。明石焼、たこ焼きは売らないのですから。
一方で。
まぬけさんは、いつまでもどこまでも、まぬけさんでしかありません。
そんなまぬけさんにも、いくつかの、仕事の流儀もどきはあるのかもしれませんが、それはきっと、単なる性癖に過ぎないのでしょうね。
しかし、勲章はあるよ。あったよ。
あなた(私のこと)がここにいてほしい(Wish You Were Here)、そんな想い、家族のような安心感を与えられたことがあったような、そんな実感がありますので。
さて、今日のお話。
「秋は寂しいなぁ。秋は寂しいよ」と、90歳を越えたおばあちゃんが、なんとも切なく、しみじみと仰いました。
「うん、秋は寂しいなぁ。独り身には辛いよ」と、私。
「枯れ葉の季節だしなぁ・・・」と、おばあちゃん。
共感。
共感するけれども、私はその寂しさの本当の意味をわかっているのでしょうか。
「昔の彼氏を思い出すよ」と、さらに、おばあちゃん。「いい男だったなぁ。いい男としか付き合ったことがないんだよ」
共感。
だってオレも、いい女としか付き合ったことがないもん!
誰も彼もを愛する、愛される、なんてことは、不可能ですな。
我々は人間である前に、動物なのですし。
お客様商売には、限界があるからこそ、プロフェッショナル的な?仕事の流儀が問われるのかもしれませんね。
あの日も我々は(ふたりとも夜勤明けでした)、その日の予定を全く立てずに、「そろそろ、飯、行くか」みたいな感じで合流しました。
それで、なんとなく思いつきで、というか、以前に行った時は閉店だったというリベンジを兼ねて、入間の有名店「古都」に行きました。
シミにとっては初めてのお店だったので、一見、そのごはんの量<まるでかき氷 by シミ>に驚いていましたが、私は重ねがさね繰り返し、このお店の本質はそのボリュームにあるのではなく、サービス精神にあるのだと、説いていました(シミも同意していたはず)。
「古都」のおかみさん。
私が介護の世界に入って、少しはその理想を追う中で、この人だけには絶対に敵わないし、だからこそ、学ばなくてはならない、吸収しなくてはならない、そう感じさせてくれる何人かの、間違いなくそのひとりが、「古都」のおかみさん。
サッカーのポジションで例えるならば、ミッドフィールダー。遠藤保仁さんのような、万能型のミッドフィールダー。
なんて視野が広いんだ!
全体を見渡す能力があって、しかも(奢ることなく)謙虚。
その後我々は、いろんなお店で買い物を楽しみつつ(シミに私の買い物を付き合わせつつ)、狭山の有名ラーメン店「燈の車」へ。
店外で並んでいた時に、「燈の車」のおかみさんが、待たせていることを(こっちが勝手に並んでいるにも関わらず)、お辞儀。
「ごめさん、45°、教科書通りのお辞儀でしたね」と、シミ。
「うん、なんかさ、こっち(我々)の方が頭が下がるよね」と、まぬけ。
サービス職、お客様商売をしている私たちにとって、お手本になるようなお辞儀であったことには、間違いがありません。
もちろん、その無化調魚介系ラーメンも美味しいのです。
最後に我々は、入曽の名店「ポルポ」に行きました。
で、「ポルポ」のご主人さんも凄い。特に記憶力が凄い(確実にその商売に活かされていることでしょう)。
私が思うに、飲食店で名店と呼べるお店には、(アルバイトさんではなく)この人がつくってくれているのだ、という安心感があるのです。
そういう意味でも、「ポルポ」は完璧。
ご主人が遠征している時は、お母さんのかき氷店になります。明石焼、たこ焼きは売らないのですから。
一方で。
まぬけさんは、いつまでもどこまでも、まぬけさんでしかありません。
そんなまぬけさんにも、いくつかの、仕事の流儀もどきはあるのかもしれませんが、それはきっと、単なる性癖に過ぎないのでしょうね。
しかし、勲章はあるよ。あったよ。
あなた(私のこと)がここにいてほしい(Wish You Were Here)、そんな想い、家族のような安心感を与えられたことがあったような、そんな実感がありますので。
さて、今日のお話。
「秋は寂しいなぁ。秋は寂しいよ」と、90歳を越えたおばあちゃんが、なんとも切なく、しみじみと仰いました。
「うん、秋は寂しいなぁ。独り身には辛いよ」と、私。
「枯れ葉の季節だしなぁ・・・」と、おばあちゃん。
共感。
共感するけれども、私はその寂しさの本当の意味をわかっているのでしょうか。
「昔の彼氏を思い出すよ」と、さらに、おばあちゃん。「いい男だったなぁ。いい男としか付き合ったことがないんだよ」
共感。
だってオレも、いい女としか付き合ったことがないもん!
誰も彼もを愛する、愛される、なんてことは、不可能ですな。
我々は人間である前に、動物なのですし。
お客様商売には、限界があるからこそ、プロフェッショナル的な?仕事の流儀が問われるのかもしれませんね。