あさノンの日常(※「住宅を建てたい!岡山の工務店㈲ハウジングアトリエ」から改名しました)

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やっと心に落ちた詩

2015-02-19 21:42:36 | あさノンのつぶやき

少し前の事、母と車の中でした会話から。
確か、会話の流れはこんな風だった。

 良い曲はいつになっても良い曲で、ふと口ずさんでしまうよなぁ
 (どっか心に残ってるんかもなあ)
 歌だけじゃなくて、気になる(心に残る)言葉ってあるよなあ
   どんな?
 ん~難しい言葉じゃなくて、「クラムボンはカプカプ笑ったよ」とか
   ?何それ?知らんなあ
 (びっくり。小学校の国語に載ってたとか、泡の精だった気がするだとか、川を流れながらカニが出てきたりといった説明をする。)
 教科書も中身が変わるけんな~ でも他にもいっぱいあるじゃろ?
 ごんぎつねの「おめめがちんちんする」とか「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とか。
   何じゃ~知らんよ!
 宮沢賢治知らんのん!?(小学校の分野は仕方ないにしても)雨ニモマケズと同じ位有名じゃろ~
 病気の妹が霙を取ってきてって頼む、ようは忘れたけど、めっちゃ悲しい話。本当に知らん?
   知らん。そんなん習ってないわ~。


といった感じで思い出した私の中にずっと残っていたひっかかるもの。
ネット検索してみたら出てきました。

「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)※
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる
   (あめゆじゅどてちてけんじゃ)※
青い尊菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじゃ)※
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろなニ相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
   (0ra 0rade Shitori egumo)※
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
   こんどはこたにわりゃのごとばかりで
   くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って
やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ

註※あめゆきとってきてください
 ※あたしはあたしでひとりいきます
 ※またひとにうまれてくるときは
  こんなにじぶんのことばかりで
  くるしまないやうにうまれてきます

 ※「永訣の朝」には、初版本、宮沢家所蔵本手入れ、藤原嘉藤治氏所蔵本手入れの、少なくとも三つのテキストが存在する。
 初版本は
 どうかこれが天上のアイスクリームになって
 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

 である。


さすが。。。改めて読むと、隙のない美しさに感嘆。

(○○の朝ってつくと悲しい話になるのか、私はレナードの朝もトラウマ的になっている。
 朝なのに、明るいのに、終わりが近いという物悲しさ。)


検索したら、北海道大学の方が教材の為の作品研究、としてまとめたPDFがヒットした。
そんなにがっつり勉強するつもりもないのだが、とても分かりやすく纏められていたので、興味深く拝見。
様々な方がこの詩の解釈を考察されたものを列挙してあるので、多角的な捉え方が見えて楽しい。

そうした見方を見ていくと、私の思う捉え方と合致した部分としなかった部分がわかる。
微妙な違いだが、全てを合わせてみると大そうな違いに思える。

私が最初に読んだ時の事を思い出す。
胸がぎゅっと掴まれ、痛んだ。何度か読み返して泣いた。
けれど私の幼さではわからない部分が、疑問があった。
中学か高校の教科書で読んだのだろうが、先生の解説を覚えていない。
夢中になって読んでいたから聞き逃したのか、先生の解説が単に理解できなかったのか腑に落ちなかったのか、忘れてしまった。
疑問は疑問のまま私の心に浮かんだままになった。

今回読み返す事で、やっと心に落ちた。
着地した。
私なりの理解が出来たので、それでいい、という気分だ。
どんな解説を聞こうが、これだけの無駄のない詩であるということは、必要な物は全てつまっていると思う。
読んだ文面からのみの捉え方で(宮沢賢治からしたら)いいのではないか、そう思えるからだ。

ちょっと長くなったので、一旦区切ります。


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