あさノンの日常(※「住宅を建てたい!岡山の工務店㈲ハウジングアトリエ」から改名しました)

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やっと心に落ちた詩2 (永訣の朝)

2015-02-19 21:43:51 | あさノンのつぶやき
つづき


彼が信心深かろうと、妹の死は実際は24歳であろうと、別の詩からのエピソードがあろうと、裕福であろうと、私には”最初に感じた詩”がこの詩そのものだ。

高校の国語の先生らしき授業の進め方を書いたウェブページもあった。
詩なのだから、解釈は多少の個性が出るはずなのに、融通のない「問い」と「解説」にちょっと驚いた。
朗読して、生徒の意見を出させてから問いを投げかけて解説に入るようなのだが、
  「宗教的な心境になっている」
  「私もとし子だけでなく皆の為に生きたい」
これがラストのまとめ。これが教師に勧められているスタンダードな解釈なのだろうか?

この詩が試験問題になったら、私には点が取れると思えない。
(元々そんなに勉強できないだろってつっこみは置いておいて)

まだ死んでいないとし子から執着が消えて、急に自分のあり方を考える事に気持ちが移るのは、
「人の為に何かしたい」というとし子の遺志を継ぐとはいえ、
それまでの「とし子が全て」の賢治との熱量のギャップが、違和感。

薄情というか、思考停止というか、単純な人間の出来上がりというか、弱ってる時って極端に走るよね・・・って(その終わり方だと)私は思う。
私がひねくれているのかなあ。

更に、”人の為”が宗教観から来る言葉として解説される、そうなると、
宗教をただ信仰する人のおそろしさをも見た気がする(宗教に対してどうこういうわけじゃなく、言われるがままに受け入れる事や急な思想変更や極端さの姿勢の問題) 
生徒が誤解して総括すると、「愛する妹の死の辛さから宗教にのめり込む賢治の話」、という事になりそうな(驚愕)

他の2篇でも宗教を匂わせるから、その受け取り方が正しいのか・・・(とし子の死を描いた3編はセット扱いされる)

私が授業の解説を覚えていないのは納得できなかったからの気がしてきた。
この詩はそんなんじゃないと解説をシャットアウトしたのかも。

↑に書いた教師がどうのでなく、それぞれの作品に合わせて柔軟な方法で授業を展開してほしい。
高校生になってまで、受け止め方が分かれそうな言葉数の限られた詩で、「1つだけの解釈の解説」は必要なのか?
なにも、授業で答え合わせのように一つの解釈に納得させる必要はない。紹介に留めるだけで十分だ。
小中までで推し量る力はそれなりに培われているでしょ? 細部までは分からなくとも心には伝わる
一辺倒な解説こそ、詩から読み解く力を育む妨げとなりはしないか。

なぜふたわん食べるのかといった「問い」はあった方が考えるきっかけになる、そして感想文なりに纏めさせれば自分で答えを見つけられるだろう。
何より、詩はひとりで感じる文章だ。全体の言葉の流れや音が伝える感覚を楽しむ事が重要ではないか。



ってことで、私が当時感じたものを前提に理解し、今言葉にすると↓となる。
○年越しの「感想文」≠「解釈」だ。
大変だったが↑でえらそうな事を書いたから、執念でまとめた(笑)


↓全て私の勝手な解釈なので、気を付けて下さい。出来れば、前回の記事で原文だけで楽しんでから(^^)


※並列させる為に文字サイズ小さくしました。見にくい方はPCの表示を拡大してみて下さい。Ctrlを押しながらマウスのホイールを上や下にコロコロするとサイズが変わるのではないかと思います。

:賢治、聡明で11歳程
:とし子、6歳程、病気が長く年齢よりも精神的大人に賢治には見える
   追い目があるのか聞きわけが良く、それが兄には寂しく感じられ、不憫に思う気持ちはより強くなる
 2人が子どもである様子を思い浮かべたのは、とし子の言葉が幼い子が言っている様に思えたため
  子どもでないとしたら、賢治は子どもの頃のような気持ちでいる。
  2人の間の世界は、子どもの頃の盲目的な兄弟の繋がりから殆ど変化していない。病気がそうさせたとしても、とし子への想いが強い、純粋すぎないか。排他的に生きてきたのか。
 両親はいないのかもしれない。
・治る見込みがないので自宅で看取られている
・霙を取りに言っている最中に妹を想う詩、動いてはいるがずっと賢治は屋外にいる
・とし子が言った言葉の順番は
 ①(うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる)
 ②(0ra 0rade Shitori egumo)
 ③(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
 であり、ショックから頭が働きだすと共に遡り思い出す
 なぜなら、あめゆじゅを聞いて飛び出してきたのに、その後にとし子が言うはずもないから
 「」でなく()であるから今発した言葉ではない。
 終わりの方でも一面の雪を賢治は見ているから、賢治はずっと外にいて回想している
 この順番なら、とし子が言った言葉の賢治の反応をとし子は見ている。あめゆじゅにとし子の想いがあったかも
・egumoの後に続く言葉が意図的に抜けているか
・とし子は熱い息を吐きながらしゃべるので、白い息が見える 私の心も熱くなっているので、私の息も白い
 ひらがなが多いのは白い息と 一言ずつゆっくり伝える現実を表現 
 ひらがなの繊細さもこの詩の張りつめた死の間際のもろさやもどかしさ、心を感じさせる
 対照的に、賢治が考えた気持ち以外の事柄は漢字  
・ひとわん→ふたわん はとし子が人にしてやれることを望んでいたから(↓で説明)    
・賢治の”強い”宗教観を元にする考え方があるが(多くの解釈はそう捉えている)、私は賢治らを一般的な兄妹に見立てた
 なぜなら、①子どもとして捉えている為信心深すぎるのは違和感がある、②最後の部分が”とし子”から宗教的な気持ちの方が強くなってしまってはこの詩の流れが途切れるようで望ましくない
・喉を潤す為の雪を持って行ってやれただけでは「救われる」が軽くて、初めの方に出てきたひと言というだけで終わってしまう
 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」に賢治が一生救われる この詩の一番肝心なのはそこではないだろうか
 単なる贖罪の気持ちから救われるのでなく、”とし子の望みを叶えさせてやれるかもしれない”と光が見えて祈る
 
 そこが私の解釈の完結点


改行が上手くいってないけど、左が原文、右が私の捉えた補足。水色賢治、ピンクとし子。
原文も読みながら見て下さい。


「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ (外に出たら夢の中にいるようだった、だから心でとし子に語りかける)
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ なあとし子、こんなに不憫な時のはずなのに、どうしてこうも世界は明るいのか
                     (明るさに現実感がなく少し放心状態)

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)    (つい今しがたとし子に言われた言葉が頭にこだまする、まだ頭は働いていない)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる      (私はただ霙に打たれている)
   (あめゆじゅどてちてけんじゃ)    (こだまする)「雨露とってきてちょうだい」  
青い尊菜のもやうのついた         (ひとつひとつの事柄を確認するように頭はゆっくり働いて現状把握をする)
これらふたつのかけた陶椀に        (陶椀は妹との繋がりをこれまでを体現する 
                     並んであった陶椀を2つ掴んできたのは、いつも一緒だと言う思いからふいに2つを
                     手に取った後、望まれたものを嬉しさのあまり沢山持って行こうと思ったから)

おまへがたべるあめゆきをとらうとして   (何も助けられない思だったが、甘えたように頼んでくれ私ができることを見つけた)
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに  (壁や引き戸にぶつかりながら)
このくらいみぞれのなかに飛びだした    (絶望の中、駆け出してきた)
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)    (こだまする)「雨露とってきてちょうだい」
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる      霙は重く、あたる度に私に沈んでくるようだ
ああとし子                ああとし子、お前からは私の後ろの明るい外が見えたのだろう
死ぬといふいまごろになって        死ぬという今でさえ     
わたくしをいっしゃうあかるくするために  きっと私の為にねだってくれたのだろう 
こんなさっぱりした雪のひとわんを     苦しみの中のお前の迷いない目を思い出す 私がしてやれることを与え、
おまへはわたくしにたのんだのだ      また、明るい下に私を出し、心を整える時間をくれたのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ  私がお前の喉を潤し苦しみを和らげる事で、何もできないと憤る私の心を
                     慰めてくれるつもりではないか

わたくしもまっすぐにすすんでいくから   お前のように強くありたい どうかひたむきに生きるから、安心しておいで
   (あめゆじゆとてちてけんじゃ)    (こだまする)「雨露とってきてちょうだい」 (とし子のくれた言葉をかみしめる)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだか   苦しいだろうに私の事を想ってくれたのだ
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの  この世界の全てのものの中から一番きれいな
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…… おまえが口にする最後のものをすくっていこう
…ふたきれのみかげせきざいに       (きれいな雪を探す事に集中)
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろなニ相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ (雪を手に入れ、とし子への想いに意識は飛ぶ)
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ      (死ぬとわかってはいても もうすぐそこだと認めたくはない)
   (0ra 0rade Shitori egumo)      (ふいに とし子の言葉が遡ってよみがえる 
                     意味を理解したくない心が言葉として受け取るのを拒否していた為ローマ字)

                     (「私は私でひとりで逝くけれど、後を追ってはきちゃだめよ」と
                     とし子は言ったが賢治は聞きたくなくて途中で言葉を理解するのさえ拒んだ)

                     …あれは自らの死を受け入れた言葉だ とし子は受け入れているのだ
                     聞き入れない私を見て そして私をこの明るい下に連れてきたのだ 
                     お前は何て強い子なのだろう 許してくれないのだ
                     もう 生きるしかないではないか (後追いも諦めた 回想終了)
  
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ   本当にひとりで逝ってしまう(実感 認めた)
あぁあのとざされた病室の         (庭からとし子のいる部屋をぼんやり見ている)  
くらいびゃうぶやかやのなかに       最後というのに閉ざされた中で
やさしくあをじろく燃えてゐる       静かに、命は燃えている
わたくしのけなげないもうとよ       けなげに生きている
この雪はどこをえらばうにも        雪の一番きれいなところをと思ったが
あんまりどこもまっしろなのだ       どこもそこもまっ白で、お前には多すぎる
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ        とし子の尊さにきっと天がこれほどの美しいものを贈ってくれたのだろう
   (うまれでくるたて          「今度は私の事ばかりにならないように丈夫に生まれるから」
   こんどはこたにわりゃのごとばかりで (=お兄ちゃんが優しくしてくれたように、私も人の為に何かしたい)
   くるしまなあよにうまれてくる)    
                     苦しみの中でさえ人の為に何かしたかったと言う尊い子         
おまへがたべるこのふたわんのゆきに    ひとわんを口にし、もうひとわんは死ぬ時にとし子に持たせてやろう
                     そうすれば、あちらでとし子は人にこの雪を分けてやれるだろう?

わたくしはいまこころからいのる      お前への天からの贈り物のような綺麗な雪に願う
どうかこれが兜卒の天の食に変って     死にゆくおまえが口にする最後の食事となるこれが
                     天の食べ物のように美味しいものであって欲しい

やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを  そして、あちらでとし子とみんなの喉を潤おすものであるように願ってやまない
わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ お前は”人の為に”雪を分け合う、死んで望みを叶えるのだ
                     私は何もできなかったが この雪が手助けとなるならば、
                     それは正に私のただ一つの幸いである 
                     わたしはそれだけで救われるのだ
                     一生救われるのだ



当時漠然と読みとったものを掘り下げて、今の私が書き出したものです。
(文字にすると伝わり難くて、言葉を足したり修正するとちょっとくどくなりました。)
やっと私の中でこの詩を理解できて、心に落ちてきた。

心を静かに保とうという意識や、朝の静けさ、厳かな物のように雪をすくい、心の嘆きは激しいのと対象に、息をひそめるように願う最後。(思わず私の呼吸も浅くなる。)
妹の望みが叶うのを願うことで、完全に妹の死を受け入れ、ある意味、死を願ってやれる。
賢治は雪に願うが、その結果はわからない。しかし安らかな死を願えるそれは、賢治は既に救われているように思える。

そうならば・・・完ぺき・・・・(私的に)

(とし子は、意図して賢治を救ったなら既に望みを叶えているが、満足のいく行為とまでは思えないだろう。そうでなくとも、”次は人の為に”と口にした子ならば取り乱さず、家族の状況の方をうれいていたと思う。心は穏やかで、安心させる為に笑おうとしていたんじゃないかな)

私の心も救われる~(TT)
それにしても、日本語、奥が深すぎるぞ~

沢山の人に愛される詩だ。様々に解釈されながら、何度も出会える詩。素敵です。

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