あさノンの日常(※「住宅を建てたい!岡山の工務店㈲ハウジングアトリエ」から改名しました)

日々のことを書いていきます!楽しんでいただけるとすごくうれしい♪

たまごの保存

2015-08-01 09:12:49 | あさノンのつぶやき
お弁当を作ることになりました。

とは言え、この暑さ。
腐ってしまったら、台無しです。

&朝から火を扱いたくない、

&私のメンドクサイ病が起き出しそうです。


三日目から既に、この体たらく。




やはりここは、アンビリーバボーな箱に頼るしかない!!

=冷蔵庫・冷凍庫

(最も感謝されるべき家電だと思う。)

作り溜めて、凍ったまま持っていく☆


私の場合、残り物のおかずを弁当に入れる形で
銀紙に入れタッパーで冷凍。

ご飯は晩御飯炊いたものをオニギリして弁当に詰めて冷蔵。

当日、冷蔵と冷凍合体させて持っていく。
(2段タイプなので、おかずが上で、冷気下の凍っていないご飯を
冷やしてくれる…と思ってる)

大体は冷凍してもイケる。

唐揚げとかの揚げ物系は、物によるかも。
冷凍食品に頼る。

でも、ゆで玉子は残念な感じ。
手っ取り早く大量に作れるんだけどな。
(そう言えば、殻付きのまま冷凍を試してない)

だから、玉子焼きを一本作ったらそのままラップに包んで
冷凍。当日切り出す。これは成功。
ただし、凍らせたらなぜか色が山吹色っぽくなったけど。


こうすれば楽(^^)

組合せでバリエーションつける。

学生時代、毎日同じものをリクエストしていた
私に比べれば、十分だ。

夏バテで食欲なくしてても、冷えてると、
食べてくうちに食欲回復する気がする。


皆さん
くれぐれも、食あたりに気をつけてくだされ~


何でもない話

2015-07-01 00:00:02 | あさノンのつぶやき

放っとかれっぱなしのこのブログ。
数か月、半年、1年でも放っておかれることがある。(汗)

のに!!

さっき何とはなしにランキング?確認したら、順位がついていた。

あんまり沢山毎日ブログが生まれているから、順位表示は”-”で
ランキング外なのが普通だと最初の1・2年で思っていた。
その時は今の半分位しかブログ数はなかったと思う。

gooブログは現在220万件を超えている。

私の順位は5ケタあるんで、そんなに驚く事もない順位だが、放置が
常のこのブログで!?(日によって6万~9万を上下している)

知人以外、誰も読んでいないのではと思っているこのブログで!?

コメント来ないから、コメントの確認さえ忘れたりしているこの・・・(略)


とはいっても、作った後更新してない人とかいくらでもいる。

それでも、定期的に見に来てくれている人がいるとは衝撃だ。
いやはや・・・。謎。世間が謎。

なぜそんなに色んな物に目を通す余裕があるのか。

私なんて読もうと思った本さえ、読まずに図書館に返しているのに。
借りた&表紙をみた覚えはあれど、内容を忘れたのか読んでないのか
分からずに悩む、どうしようもない私には、謎です。

フェイスブックも、ツイッターも、ラインも・・・・

  ①下手に人間関係を担って欲しくない「触らぬ神に・・・」位に、
  近寄らないようにしている。(FBは登録だけした)

  ②そんなに毎日私には処理しきれない。返答逃しとかしそうで怖い。

この2つが理由で、主に②が理由で逃げているのに、最近の人ってマメ!!
尊敬に値します。



という、なぜだか数字で「見てくれている人がいるよ」って感じさせる
ブログランキングなるものが私にプレッシャーを与えた(笑)っていう
何でもない話。

12年のお付き合いのシャツ

2015-06-30 18:27:12 | あさノンのつぶやき

今回のテーマ、引かれやしないか心配だが、それも仕方ないものである。

そんなに丁寧に扱う訳でも、当初からお気に入りだった訳でもない物。
そうした物ほど、長持ちし、愛着がわき、その物の良さを感じたりする。

素材が良い物や高価なものでしっかりした造りのものなら、皆さんにも
納得していただけるだろう。

しかし、今回はその対極である、柔らかな素材で安価に買った何気ない
日用品。

ばばば~ん!

12年もの長きにわたって愛用しているシャツ。


品質表示のインクはあとかたも残っていない、多分綿100%(もしかしたらコットンと表示)
の男性用シャツ。

学生時代に、Tシャツの上に羽織って日除けにする為に買いました。
ガーゼのような織りで(2重になってて透けない)、
肌触りもよくてクシュっと皺の入ったデザインだったのでアイロンいらず、
鞄につっ込んでも良いからと3000円以下で購入した気がします。

最初のうちは当初の目的通り。最近は専ら部屋着です。1年の多くがコレ。
吸水性、柔らかさ、使いやすさ(素材の厚み・丈の長さ)で
ベストパフォーマンス賞をあげたい。

とはいえ12年、傷みもします。
唯一袖口の部分が糸の表面がすりへって(破れてはいない)ます。が、気にしな~い。

(写真は袖が見えるように畳んで写してみました)
それ以外は型くずれ・・・といっても柔らかいシャツだったので
元々こんなものだったかも。

生地が引っかかって糸が飛び出したりしてすぐ痛むかと思ったが、
確認できたのは1箇所だけです。

長持ちしますね。
意外なものが手放せなくなりました。・・・まだ使うつもり(笑)

私の箪笥には、さらに5年長く活躍し続けているジャージ(ズボンのみ・傷みほぼなし)
が冬まで眠っているし。なくなったら困る。


もっと情熱をかけて買った服はあっという間に手放しているのにね。
部屋着という低いハードルが長持ちさせているのか?
しかし、その分ヘビーローテーションで使っているわけだし。

やっぱり謎なくらい、私に付き合ってくれている相棒。

集まったもの キャラクターもの 02

2015-06-04 21:27:51 | あさノンのつぶやき

探し物をしていた。
物置と成果てている部屋で。

世間的に何て名前がついているんだろう?
「組み立てるスチール棚」でわかりますか?

支柱となる4本の棒状に、等間隔で沢山孔があいていて、
ボルトと受けを好きな高さに取付けると、棚の高さが
フレキシブルに変えられます。

使わない間、組み立てたままでは邪魔なので
バラしていたのが災いして、その部品である
ボルトと受けが見つかりません。

どうにも見つからない。

兄弟の探し物を代わりにしているので、どこに仕舞った可能性が高い
のやら見当さえつかない。
奥儀の「にんにく」を叫んだとて、今回ばかりは駄目みたい。
丁度私の探していた物は、叫んだら見つかったんだけど^^;

結局、わが家には失くしたものとは他に、似たタイプの棚が
あったので、その余りのボルトを代用しました。

と・・・ここまでスチール棚を紹介しておきながら、
今回書きたい内容は、探している最中に見つけた物のお話。(笑)
ゴメンナサイ。


ジャジャ~ン♪(使われていない机の引き出しより)



子供の頃買って貰ったハッピー○ットのおまけのおもちゃ!
以前にも、プラスチックの持ち手付きケースを紹介しました。

う~ん・・・マックには子供の頃あまり連れて行って貰え
なかったけど、なぜか出てきますね。
多分、めったにない「幸運の出来ごと&おもちゃへの感激」に、
大事にしてたので、捨てなかったんでしょう。
兄弟共有のおもちゃのひとつでした。

さて、ご覧の通りディ○ニーのピノキオの”セル画?紙芝居”
のおもちゃです。
レンズに目を近づけて、おもちゃの後ろから光が差し込むように
して覗き込みます。
(レントゲン画像を後ろから照らして見る要領で)


カメラで写すと遠い・・・


上の写真を拡大するとこんな感じです。
実際にはもっとはっきり見えるのですが。
何十年も経つのに、ほとんど劣化してないのが凄いですね。

黒い部分をカチッと音がするまで押すと、次のセルに切り替わり
ます。
最後までいくとはじめの題名にループします。
題名等を入れて26枚です。

ピノキオを観ていなかったので、ストーリーは全くわからず、
母に聞いて、「嘘をつくと鼻が伸びちゃう話」とざっくり理解。
様々なキャラクターが映し出されるので、好き勝手に
「いじわるな顔してるな、きっと悪い奴」などと想像してました。

ディ○ニーの映画見たくなった子供も多いでしょうね。
良く考えられた広告でもあります。

私は後日、図書館で本を借りて、でも難しくて理解できなかった
ような。漢字があって読めなかったのかもしれない。
とにかく本でじっくり読んだ覚えがない。
小学生になってテレビで放映されたのを見て、
こんな話だったのか~と思いました。 


子供の手のひらにすっぽり入る小さなサイズで、大人の私が
扱おうとすると、手のひらで支える持ち方にはならないので、
子供ほど安定して持てません。子供サイズです。

それにしても当時としては画期的なおもちゃでしょうが、
昔のものは渋いですね(笑)
今の子供だと紙芝居にあれほど喜ぶのか、興味を持つか・・・う~む

ハイテクに馴染んでいないので、テレビと同じクオリティの
絵が現れる事や、こんなちっちゃい絵をどうやって作ったのかなど
驚きのつまった特別なおもちゃでした。
(光を当てたまま顔を遠ざけると、セルが見えたままで
とても小さいものだと実感できる)

「こんなものが、食べ物のおまけとしてついてくる
 マク○ナルドってすげ~!!」って。


それまでおまけっていうと、グ○コのキャラメルについてくる単純な
(でも好きでしたよ!)ものだと思っていたので。

他には、チューインガムの銀紙を更に巻いている紙が、
張り付けたい場所で上からコインや爪でこすったら
絵柄が下に移るものとか。(懐かし~。)

今考えるとおまけにかけている価格が違うだろうって話ではありますが。


さて、大人になった私でも捨てられないおもちゃでした♪

流行りのコンマリ術でいう”ときめくかどうか”で、子供の頃のときめきを
引きずっているのか、瞬時にときめきを感じてしまう一品です。(笑)








やっと心に落ちた詩2 (永訣の朝)

2015-02-19 21:43:51 | あさノンのつぶやき
つづき


彼が信心深かろうと、妹の死は実際は24歳であろうと、別の詩からのエピソードがあろうと、裕福であろうと、私には”最初に感じた詩”がこの詩そのものだ。

高校の国語の先生らしき授業の進め方を書いたウェブページもあった。
詩なのだから、解釈は多少の個性が出るはずなのに、融通のない「問い」と「解説」にちょっと驚いた。
朗読して、生徒の意見を出させてから問いを投げかけて解説に入るようなのだが、
  「宗教的な心境になっている」
  「私もとし子だけでなく皆の為に生きたい」
これがラストのまとめ。これが教師に勧められているスタンダードな解釈なのだろうか?

この詩が試験問題になったら、私には点が取れると思えない。
(元々そんなに勉強できないだろってつっこみは置いておいて)

まだ死んでいないとし子から執着が消えて、急に自分のあり方を考える事に気持ちが移るのは、
「人の為に何かしたい」というとし子の遺志を継ぐとはいえ、
それまでの「とし子が全て」の賢治との熱量のギャップが、違和感。

薄情というか、思考停止というか、単純な人間の出来上がりというか、弱ってる時って極端に走るよね・・・って(その終わり方だと)私は思う。
私がひねくれているのかなあ。

更に、”人の為”が宗教観から来る言葉として解説される、そうなると、
宗教をただ信仰する人のおそろしさをも見た気がする(宗教に対してどうこういうわけじゃなく、言われるがままに受け入れる事や急な思想変更や極端さの姿勢の問題) 
生徒が誤解して総括すると、「愛する妹の死の辛さから宗教にのめり込む賢治の話」、という事になりそうな(驚愕)

他の2篇でも宗教を匂わせるから、その受け取り方が正しいのか・・・(とし子の死を描いた3編はセット扱いされる)

私が授業の解説を覚えていないのは納得できなかったからの気がしてきた。
この詩はそんなんじゃないと解説をシャットアウトしたのかも。

↑に書いた教師がどうのでなく、それぞれの作品に合わせて柔軟な方法で授業を展開してほしい。
高校生になってまで、受け止め方が分かれそうな言葉数の限られた詩で、「1つだけの解釈の解説」は必要なのか?
なにも、授業で答え合わせのように一つの解釈に納得させる必要はない。紹介に留めるだけで十分だ。
小中までで推し量る力はそれなりに培われているでしょ? 細部までは分からなくとも心には伝わる
一辺倒な解説こそ、詩から読み解く力を育む妨げとなりはしないか。

なぜふたわん食べるのかといった「問い」はあった方が考えるきっかけになる、そして感想文なりに纏めさせれば自分で答えを見つけられるだろう。
何より、詩はひとりで感じる文章だ。全体の言葉の流れや音が伝える感覚を楽しむ事が重要ではないか。



ってことで、私が当時感じたものを前提に理解し、今言葉にすると↓となる。
○年越しの「感想文」≠「解釈」だ。
大変だったが↑でえらそうな事を書いたから、執念でまとめた(笑)


↓全て私の勝手な解釈なので、気を付けて下さい。出来れば、前回の記事で原文だけで楽しんでから(^^)


※並列させる為に文字サイズ小さくしました。見にくい方はPCの表示を拡大してみて下さい。Ctrlを押しながらマウスのホイールを上や下にコロコロするとサイズが変わるのではないかと思います。

:賢治、聡明で11歳程
:とし子、6歳程、病気が長く年齢よりも精神的大人に賢治には見える
   追い目があるのか聞きわけが良く、それが兄には寂しく感じられ、不憫に思う気持ちはより強くなる
 2人が子どもである様子を思い浮かべたのは、とし子の言葉が幼い子が言っている様に思えたため
  子どもでないとしたら、賢治は子どもの頃のような気持ちでいる。
  2人の間の世界は、子どもの頃の盲目的な兄弟の繋がりから殆ど変化していない。病気がそうさせたとしても、とし子への想いが強い、純粋すぎないか。排他的に生きてきたのか。
 両親はいないのかもしれない。
・治る見込みがないので自宅で看取られている
・霙を取りに言っている最中に妹を想う詩、動いてはいるがずっと賢治は屋外にいる
・とし子が言った言葉の順番は
 ①(うまれでくるたて こんどはこたにわりゃのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる)
 ②(0ra 0rade Shitori egumo)
 ③(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
 であり、ショックから頭が働きだすと共に遡り思い出す
 なぜなら、あめゆじゅを聞いて飛び出してきたのに、その後にとし子が言うはずもないから
 「」でなく()であるから今発した言葉ではない。
 終わりの方でも一面の雪を賢治は見ているから、賢治はずっと外にいて回想している
 この順番なら、とし子が言った言葉の賢治の反応をとし子は見ている。あめゆじゅにとし子の想いがあったかも
・egumoの後に続く言葉が意図的に抜けているか
・とし子は熱い息を吐きながらしゃべるので、白い息が見える 私の心も熱くなっているので、私の息も白い
 ひらがなが多いのは白い息と 一言ずつゆっくり伝える現実を表現 
 ひらがなの繊細さもこの詩の張りつめた死の間際のもろさやもどかしさ、心を感じさせる
 対照的に、賢治が考えた気持ち以外の事柄は漢字  
・ひとわん→ふたわん はとし子が人にしてやれることを望んでいたから(↓で説明)    
・賢治の”強い”宗教観を元にする考え方があるが(多くの解釈はそう捉えている)、私は賢治らを一般的な兄妹に見立てた
 なぜなら、①子どもとして捉えている為信心深すぎるのは違和感がある、②最後の部分が”とし子”から宗教的な気持ちの方が強くなってしまってはこの詩の流れが途切れるようで望ましくない
・喉を潤す為の雪を持って行ってやれただけでは「救われる」が軽くて、初めの方に出てきたひと言というだけで終わってしまう
 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」に賢治が一生救われる この詩の一番肝心なのはそこではないだろうか
 単なる贖罪の気持ちから救われるのでなく、”とし子の望みを叶えさせてやれるかもしれない”と光が見えて祈る
 
 そこが私の解釈の完結点


改行が上手くいってないけど、左が原文、右が私の捉えた補足。水色賢治、ピンクとし子。
原文も読みながら見て下さい。


「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ (外に出たら夢の中にいるようだった、だから心でとし子に語りかける)
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ なあとし子、こんなに不憫な時のはずなのに、どうしてこうも世界は明るいのか
                     (明るさに現実感がなく少し放心状態)

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)    (つい今しがたとし子に言われた言葉が頭にこだまする、まだ頭は働いていない)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる      (私はただ霙に打たれている)
   (あめゆじゅどてちてけんじゃ)    (こだまする)「雨露とってきてちょうだい」  
青い尊菜のもやうのついた         (ひとつひとつの事柄を確認するように頭はゆっくり働いて現状把握をする)
これらふたつのかけた陶椀に        (陶椀は妹との繋がりをこれまでを体現する 
                     並んであった陶椀を2つ掴んできたのは、いつも一緒だと言う思いからふいに2つを
                     手に取った後、望まれたものを嬉しさのあまり沢山持って行こうと思ったから)

おまへがたべるあめゆきをとらうとして   (何も助けられない思だったが、甘えたように頼んでくれ私ができることを見つけた)
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに  (壁や引き戸にぶつかりながら)
このくらいみぞれのなかに飛びだした    (絶望の中、駆け出してきた)
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)    (こだまする)「雨露とってきてちょうだい」
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる      霙は重く、あたる度に私に沈んでくるようだ
ああとし子                ああとし子、お前からは私の後ろの明るい外が見えたのだろう
死ぬといふいまごろになって        死ぬという今でさえ     
わたくしをいっしゃうあかるくするために  きっと私の為にねだってくれたのだろう 
こんなさっぱりした雪のひとわんを     苦しみの中のお前の迷いない目を思い出す 私がしてやれることを与え、
おまへはわたくしにたのんだのだ      また、明るい下に私を出し、心を整える時間をくれたのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ  私がお前の喉を潤し苦しみを和らげる事で、何もできないと憤る私の心を
                     慰めてくれるつもりではないか

わたくしもまっすぐにすすんでいくから   お前のように強くありたい どうかひたむきに生きるから、安心しておいで
   (あめゆじゆとてちてけんじゃ)    (こだまする)「雨露とってきてちょうだい」 (とし子のくれた言葉をかみしめる)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだか   苦しいだろうに私の事を想ってくれたのだ
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの  この世界の全てのものの中から一番きれいな
そらからおちた雪のさいごのひとわんを…… おまえが口にする最後のものをすくっていこう
…ふたきれのみかげせきざいに       (きれいな雪を探す事に集中)
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろなニ相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ (雪を手に入れ、とし子への想いに意識は飛ぶ)
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ      (死ぬとわかってはいても もうすぐそこだと認めたくはない)
   (0ra 0rade Shitori egumo)      (ふいに とし子の言葉が遡ってよみがえる 
                     意味を理解したくない心が言葉として受け取るのを拒否していた為ローマ字)

                     (「私は私でひとりで逝くけれど、後を追ってはきちゃだめよ」と
                     とし子は言ったが賢治は聞きたくなくて途中で言葉を理解するのさえ拒んだ)

                     …あれは自らの死を受け入れた言葉だ とし子は受け入れているのだ
                     聞き入れない私を見て そして私をこの明るい下に連れてきたのだ 
                     お前は何て強い子なのだろう 許してくれないのだ
                     もう 生きるしかないではないか (後追いも諦めた 回想終了)
  
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ   本当にひとりで逝ってしまう(実感 認めた)
あぁあのとざされた病室の         (庭からとし子のいる部屋をぼんやり見ている)  
くらいびゃうぶやかやのなかに       最後というのに閉ざされた中で
やさしくあをじろく燃えてゐる       静かに、命は燃えている
わたくしのけなげないもうとよ       けなげに生きている
この雪はどこをえらばうにも        雪の一番きれいなところをと思ったが
あんまりどこもまっしろなのだ       どこもそこもまっ白で、お前には多すぎる
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ        とし子の尊さにきっと天がこれほどの美しいものを贈ってくれたのだろう
   (うまれでくるたて          「今度は私の事ばかりにならないように丈夫に生まれるから」
   こんどはこたにわりゃのごとばかりで (=お兄ちゃんが優しくしてくれたように、私も人の為に何かしたい)
   くるしまなあよにうまれてくる)    
                     苦しみの中でさえ人の為に何かしたかったと言う尊い子         
おまへがたべるこのふたわんのゆきに    ひとわんを口にし、もうひとわんは死ぬ時にとし子に持たせてやろう
                     そうすれば、あちらでとし子は人にこの雪を分けてやれるだろう?

わたくしはいまこころからいのる      お前への天からの贈り物のような綺麗な雪に願う
どうかこれが兜卒の天の食に変って     死にゆくおまえが口にする最後の食事となるこれが
                     天の食べ物のように美味しいものであって欲しい

やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを  そして、あちらでとし子とみんなの喉を潤おすものであるように願ってやまない
わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ お前は”人の為に”雪を分け合う、死んで望みを叶えるのだ
                     私は何もできなかったが この雪が手助けとなるならば、
                     それは正に私のただ一つの幸いである 
                     わたしはそれだけで救われるのだ
                     一生救われるのだ



当時漠然と読みとったものを掘り下げて、今の私が書き出したものです。
(文字にすると伝わり難くて、言葉を足したり修正するとちょっとくどくなりました。)
やっと私の中でこの詩を理解できて、心に落ちてきた。

心を静かに保とうという意識や、朝の静けさ、厳かな物のように雪をすくい、心の嘆きは激しいのと対象に、息をひそめるように願う最後。(思わず私の呼吸も浅くなる。)
妹の望みが叶うのを願うことで、完全に妹の死を受け入れ、ある意味、死を願ってやれる。
賢治は雪に願うが、その結果はわからない。しかし安らかな死を願えるそれは、賢治は既に救われているように思える。

そうならば・・・完ぺき・・・・(私的に)

(とし子は、意図して賢治を救ったなら既に望みを叶えているが、満足のいく行為とまでは思えないだろう。そうでなくとも、”次は人の為に”と口にした子ならば取り乱さず、家族の状況の方をうれいていたと思う。心は穏やかで、安心させる為に笑おうとしていたんじゃないかな)

私の心も救われる~(TT)
それにしても、日本語、奥が深すぎるぞ~

沢山の人に愛される詩だ。様々に解釈されながら、何度も出会える詩。素敵です。

やっと心に落ちた詩

2015-02-19 21:42:36 | あさノンのつぶやき

少し前の事、母と車の中でした会話から。
確か、会話の流れはこんな風だった。

 良い曲はいつになっても良い曲で、ふと口ずさんでしまうよなぁ
 (どっか心に残ってるんかもなあ)
 歌だけじゃなくて、気になる(心に残る)言葉ってあるよなあ
   どんな?
 ん~難しい言葉じゃなくて、「クラムボンはカプカプ笑ったよ」とか
   ?何それ?知らんなあ
 (びっくり。小学校の国語に載ってたとか、泡の精だった気がするだとか、川を流れながらカニが出てきたりといった説明をする。)
 教科書も中身が変わるけんな~ でも他にもいっぱいあるじゃろ?
 ごんぎつねの「おめめがちんちんする」とか「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とか。
   何じゃ~知らんよ!
 宮沢賢治知らんのん!?(小学校の分野は仕方ないにしても)雨ニモマケズと同じ位有名じゃろ~
 病気の妹が霙を取ってきてって頼む、ようは忘れたけど、めっちゃ悲しい話。本当に知らん?
   知らん。そんなん習ってないわ~。


といった感じで思い出した私の中にずっと残っていたひっかかるもの。
ネット検索してみたら出てきました。

「永訣の朝」
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)※
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはぴちょぴちょふってくる
   (あめゆじゅどてちてけんじゃ)※
青い尊菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじゃ)※
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろなニ相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
   (0ra 0rade Shitori egumo)※
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あぁあのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
   こんどはこたにわりゃのごとばかりで
   くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜卒の天の食に変って
やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいはいをかけてねがふ

註※あめゆきとってきてください
 ※あたしはあたしでひとりいきます
 ※またひとにうまれてくるときは
  こんなにじぶんのことばかりで
  くるしまないやうにうまれてきます

 ※「永訣の朝」には、初版本、宮沢家所蔵本手入れ、藤原嘉藤治氏所蔵本手入れの、少なくとも三つのテキストが存在する。
 初版本は
 どうかこれが天上のアイスクリームになって
 おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

 である。


さすが。。。改めて読むと、隙のない美しさに感嘆。

(○○の朝ってつくと悲しい話になるのか、私はレナードの朝もトラウマ的になっている。
 朝なのに、明るいのに、終わりが近いという物悲しさ。)


検索したら、北海道大学の方が教材の為の作品研究、としてまとめたPDFがヒットした。
そんなにがっつり勉強するつもりもないのだが、とても分かりやすく纏められていたので、興味深く拝見。
様々な方がこの詩の解釈を考察されたものを列挙してあるので、多角的な捉え方が見えて楽しい。

そうした見方を見ていくと、私の思う捉え方と合致した部分としなかった部分がわかる。
微妙な違いだが、全てを合わせてみると大そうな違いに思える。

私が最初に読んだ時の事を思い出す。
胸がぎゅっと掴まれ、痛んだ。何度か読み返して泣いた。
けれど私の幼さではわからない部分が、疑問があった。
中学か高校の教科書で読んだのだろうが、先生の解説を覚えていない。
夢中になって読んでいたから聞き逃したのか、先生の解説が単に理解できなかったのか腑に落ちなかったのか、忘れてしまった。
疑問は疑問のまま私の心に浮かんだままになった。

今回読み返す事で、やっと心に落ちた。
着地した。
私なりの理解が出来たので、それでいい、という気分だ。
どんな解説を聞こうが、これだけの無駄のない詩であるということは、必要な物は全てつまっていると思う。
読んだ文面からのみの捉え方で(宮沢賢治からしたら)いいのではないか、そう思えるからだ。

ちょっと長くなったので、一旦区切ります。


ソチ五輪 ガンバレ!

2014-02-12 07:51:17 | あさノンのつぶやき
ソチ始まりましたね~

私は何にも知らないのに、日本選手が頑張って戦ってるのを見るだけで、

(頑張ってきたんだろうな。涙が出るくらい頑張ってきたんだろうな。)

と、勝手に涙腺弱くなってます。


女子モーグルの上村さんには本当にメダルあげたいって思いました。

少なくとも銅の演技だと思ったから。
報道番組で、判定の理由を見た母から、メダル選手は頭のブレが少ない
からという結論を聞いても、それでも私の感覚(何の頼りもないが、
一流のプレイに共通して受ける感動があった)では上村さんに
もっと高得点が出るべきだと思いました。
きっとどんな説明を受けても、感動は変わらない。


オリンピックのメダルが手に出来なかったのは、結果として受け止めるでしょう。
けれど、「多くの日本人が感動する演技を大舞台で出した」として、
国内で表彰できないのかな、なんて事まで思ったりします。

メダルの影響力がその後の人生にどう左右するのかも分かりませんが、
今後の彼女の仕事の選択肢が広くあることを願っています。


さて、これからますます熱くなるソチ五輪。

応援が温かいからこそ、きっとプレッシャーも沢山あるんだろうなと思います。

メダル云々よりも、悔いなく力を出し切って欲しいのは大前提。
だけど、「メダル」という形でも彼らの頑張りを残せたら、いいのにと思う。

何よりも、応援している殆どの人が彼らが喜んでくれたら十分、なんですけどね。

彼らの頑張りを知っているから、それが結果を出して喜ぶ姿を見守れれば嬉しい、
称えてあげたい、そして一緒にその瞬間を共有できたら幸せな気持ちになる。
そう思っている応援だから、プレッシャーを良い意味で力に変えて
欲しいと思います。

頑張ってきて下さいね。皆で応援しています。



ほこもち

2013-12-10 00:16:45 | あさノンのつぶやき
さっき気になったのですが、
「ほこもち」って漢字変換できなかった。

まさか方言?と思って辞典(国語辞典&漢字辞典)を調べても出てこない。
検索しても出てこない。
(鉾持ちの儀式だとか、元となったのかなってものは出ても、
 私の理解している意味で使われているって説明が出てこない。)

日本人なら当然知っている言葉ですよね?
大人の90%は知ってる言葉だと思うのですが。
こんなに出てこないと、きつねにつままれた気分です。

確かに、最近耳にした覚えはない。

う~ん。私が間違って覚えてる?
朝が来たら広辞苑開いてみようかな。


私には難しすぎるのかもしれない

2013-12-09 23:11:04 | あさノンのつぶやき

本を読むとはあまり言えない。だって年間100冊とか読む人は
いくそうですが、ちっとも及びません。どんな速度で読んでるのか?

小さい頃は「ち/び/ま/る/こ/ちゃん」でさえ、衝撃が強くて見れない
時があった私は、精神的に衝撃の強い本は避けていました。
泣ける本とかも、泣きすぎて引きずってしまう。
軽い本ばっかり読んでいたから、とんと小説は読まなくなっていて。

でも、頭を使っていない気がして・・・最近は少しずつ、慣らそうと実行。



読後感がいいという伊坂さんの「ゴ/ー/ル/デ/ン/ス/ラ/ン/バ/ー」から
はじめて、ちょととずつ。
あっさりというか、漫画みたいにあっという間に読めるものも多いと
わかりました。

さて、今回のつぶやきは伊坂さんの「P/K」
少し前に読んだ本です。私には難しすぎるのかもしれない。

最近の本は難解なのか(TT)と読んだ後嘆きました。
理解できない時はノートにあらすじ追っていって、勉強の域です。
伏線多いよ~

私の頭が良くはないというのは薄々気づいていたけれど。
(自らほこもちを汚す必要もないので、”悪い”とは書かない)
ノートに書いてもイマイチすっきりしない。ネットで解説探してしまった。
「難しい」との声もいくつもみつけて、よくわからない安堵をしたけども。

解説にも納得できなかった。

以下、読んでいない方に不親切です。


※ネタバレ注意されたし


3話が別々の作品だと思ってしまえば、それで終わる話ですが。



あらすじは大幅割愛します

「PK」「超人」「密使」の3部で
タイムパラドックスを起こさずに耐性菌蔓延の未来からより良い未来を目指す。
些細なことの積み重ねが未来を大きく変えてしまう様を想像させる。


その解説には、
「PK」は「密使」で青木が目指した世界だが、同時間軸の「超人」によって妨げられ、
「超人」が実在オリジナルのAの世界(A’でもA”でもない)
とあった。それだけの解説じゃあ私の疑問は晴れないままなんです。

私が勝手に理解したのは、



解説通り実在の世界が「超人」で、(A)として考えるなら

・「密使」の「私」はゴキブリを送り込んだら”絶望的な変化”を受けて消えてしまう
 唯一人だった。
 それが「僕」によってゴキブリが盗まれた事で、実行されず消えなかった。落下した感覚。
 (=誰も死なないドミノ)
 そのゴキブリで耐性菌の抗生物質を作り出せる。

・ゴキブリが盗まれたということは、作家の浮気が妻にばれてしまう
  (=悪い変化だが受け入れる他ない)
 「堂々と落ち着いていればどうにかなるもんだ」と息子の大臣は聞かされて育った。
 大臣は過去の机上の空論となりつつある政策を通せと圧力を受けている。
 父の「堂々と」受け入れるか。信念や勇気を持って進んでいけるか悩んでいる。
 27年前本田毬夫を助けた事で、こんな男が救ったかとがっかりされないように
 必死で意外に真面目に生きてきた(=良い変化?)。
 本田は大臣に「間違いは、それを正すのを拒むまで間違いとならない」と言う。

 予想→大臣は間違いを認め、圧力を撥ね退けた事で、次のより良いドミノの分岐となった。
    


青木の目指した世界

・作家(大臣の父)ゴキブリにより妻との関係悪化は防げる。「子どもに恥じない選択」
 という妻の白昼夢に従って(?)小説の改稿をしなかった。社会の秩序を失うことを
 恐れ、作品にも沢山の想いを込めている「臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する」。
 小津はPKをわざと外そうか迷う。落下した子どもをキャッチした時を思い出し、
 勇気が伝染した小津が、ワールドカップ予選のPKで多くの人に勇気を与える(?)

 予想→「勇気は伝染する」その言葉で、圧力を撥ね退けるように大臣を変えたいのか。


疑問
・僕(三上)は将来、過去に行ってスーパーマンのように透視したり、飛んだり、できるのか?
 猫は何だ?
・Aの世界はどれか。「私を説得する男」の世界ではないのか?
 「超人」と僕のいる世界がAなのか?
  説得する男がAの未来から来たなら、パラドックス起こしてないか。
・私=本田か?ベランダから落ちている瞬間に「私」を匂わせる。
 未来で未来からの男と接触したor落下の臨死体験により超能力が目覚めた?
・「PK」の一部はAに関連している。大臣は本田をキャッチしたから。
 が、Aの過去ではないというのはゴキブリが出たから。
・時間軸がはっきりしない。



・・・結論。私には難しすぎた。
さすがに良い台詞とか沢山あって面白かった。
ところが、頭に靄がかかったように解決にいきつかない。
それも意図されたところなのか。

黄金のまどろみの方が分かりやすいです。
何年経っても言葉なく信頼しあえる人と別れてるのはさびしいけど、「だと思った」とか
「大変よくできました」とか泣けます。
色々失っても、皆の温かさを受け取ったし、「痴漢は死ね」で救われました。笑った。

そういう意味で大きく見ると、「PK」の大臣も秘書官も三島と田中も本田も僕もなんか
可愛いキャラでした。最後の「失言に気を付けないと」に集約されて。


気になる事

2013-03-14 22:12:09 | あさノンのつぶやき

最近の文房具は楽しいものがいっぱいで、見てるだけでも感心します。

フリクション・ペン(?)って今とっても人気なんですってね。

ボールペンなのに、熱によって消えるインクが使われているらしく、
ケシゴムのようにこすって熱を与えて消すことができるそうですよ。
ノートなども彩り華やかにできます。

確かに、とっても便利そう^^

その応用で、そのインク技術を印刷機に利用し、打ち出した後不要になれば
専用の機械にかけてまた元の白い紙に戻す・・・といったエコ商品が
打ち出されるというのをテレビで拝見しました。

まあ まあ まあ!
とっても便利ね。


そう思っていたんですが、ふと気になる事が。
手書きでなく、印刷機になるからこその怖さを孕んでいる気がしてきました。

というのも、大切な書類が、その技術で作られて、何も知らないまま
サインや判子をついてしまったらどうなるでしょう?
サインや判子は何も知らない人は普通の消せないインクですよね。

同意した書類が、あっという間にサインのみ残った状態で白い紙に戻り、
別の文章が上書きされてしまったら・・・倫理的に問題が・・・

ひとめで普通のインクと違うとわかるのならばいいのですが。
そうでなければ一般には出回って大丈夫なのか。

行政機関の内部文書のみで使われるならあるいは。
(そういう所こそ、消せたりすると煩雑になるのかも)

強制的に印刷時に文書の隅に「消えるインクを使用しています」と表示するように
したとしても、B4サイズで出してA4にカットされたらわからなくなるし。


どうなんでしょうね^^?

やはり消せるというのは、手書き範囲の物に留まっておくのが個人的には
しっくりくるかなあ。

手書きじゃない打ち出されたものは変更がないものと認識する習慣がついて
しまっています。


ともあれ、開発者さんがそういった部分を難なくクリアされて販売をされるのを
楽しみにしています。

その時には、感嘆の気持ちを込めて「・・・おみごと!」、と呟きます(それだけか~い!)