あさノンの日常(※「住宅を建てたい!岡山の工務店㈲ハウジングアトリエ」から改名しました)

日々のことを書いていきます!楽しんでいただけるとすごくうれしい♪

ムコ多糖症と戦う方を心から応援します。

2009-05-22 17:51:12 | こどもたちを今想いたい。
5月の9日、10日に某社会奉仕団体の私の所属する岡山・鳥取・島根県の
地区大会へ行きました。

今期の当地区の代表が取り組もうと動いてきたのは

”進行性小児難病のムコ多糖症”の支援活動。


海外では使用されている薬を、日本で承認され使用するまでに何年もタイムラグが
発生したりする「ドラッグラグ」や

そういった難病を発見できる機械の導入が金銭的、その他理由によって
遅れている問題。

認知度の低さ。

その他沢山の問題に阻まれて、沢山の小さな命が傷ついているのです。


今回の地区大会は、そういった支援の集大成でもあり、メインプログラムでは
講演でムコ多糖症を学び、その後開催地であった米子市で募金・署名活動を
各地で行って来ました。

まだまだ、こういった難病はいくつもありますが、ドラッグラグなどはその他
沢山の病気にも繋がる問題で、ムコ多糖症の運動がそのカンフル剤ともなり得る
のです。


やはり、小さな子ども達が病気に立ち向かわなければならず、
その「負けるもんか」と頑張っている姿を目にすると、なんとも言えない思いが
胸にせりあがります。

確かに助けてあげたいけど・・・今の私で何ができるだろう?
とそれまで思っていたのですが、大きすぎる事を望んでいるのではない。

それこそ出来る事は、募金活動や署名でしかありませんが、出来るなりの事
をする事だと感じました。

沢山の人が少しずつ、思いやりを持ってちょっとの協力をすれば、大きな力と
なって大きなものを動かせるかもしれません。

とても良い経験をさせて頂きました・・・という言葉に終わらず、
今後も継続して何か力になれていけたらなあと思いました。


報告書 抜粋

2007-07-04 12:58:20 | こどもたちを今想いたい。
「 駆け出したくて 」







随分間が空いてしまってすみません。

バタバタしてる為、苦し紛れに前回の学童保育の報告書を加工して載せてみます。
長い・・・・暇を見つけた方はどうぞ。

********************

目的・・・
学童保育にて、どんな様子で子どもたちが過ごしているか、
今後どのように関わっていけるかを学んでくる。

メンバー・・・5人


報告・・・
学童の土曜保育に参加してきました。
通常は1年生~3年生までを受け付けており、長期休みや
土曜日など、学校で給食が出ない日にはOBとして
4年生以上の子が参加できるそうです。

学童保育へ行く前には
「懐いてくれるのか」「子どもに怪我をさせないか」
などの不安を抱きながら、自分の目の前にいる子だけ
でなく、全体を見ることを忘れないようにしようと思
いながら臨みました。

その日来た児童は9人で、空いている時間は思い思いに
勉強をしたり、本をよんだり、お絵かきをしたり、けん
だまや工作をしたりして過ごしました。

 以下は当日の日程です。
8:30~ 集合はじめ
9:30~ 朝の挨拶
9:45~ おやつ
10:00~ 某大学のボランティアに参加 ゲームをして遊ぶ
11:30~ 昼食作り
12:00~ 昼食 (私達はここで終了)

 私が声を掛けた子は人見知りをしていたようで、数十分話かけ
たりしましたが、声さえ聞かせてもらえませんでした。

 私はどうにか溝を埋められないかとその子の頭をなでたりもし
ましたが、そのうちに私から逃げるように一人遊びを始めてしま
い、他のメンバー達は随分子ども達と仲良くなっていて、なんと
も言えない気持ちでした。

 しかし、ここで他の子にその子以上の関心を寄せた風にすると
更にその子の気持ちが離れてしまう気がして、その子を度々目で
追いました。

たまたま大学のボランティアによるイベントがあり、体育館で
ゲームを1時間半に渡り楽しんだ後、子ども達4人(そのこも含む)
と私一人で施設に戻る状況になり、順々に話し掛け、その子の頭
をなでてやると、笑顔が返って来て、話しかけてくれ、叫びたい
ほど本当に嬉しかった。

 私はその子に対して、最初は”相手を子どもとして見ていた”の
だと思います。なんとか心を開いて貰おうと思ってからは、無意
識に一人の人として友達になる為の行動をしていました。

 理解していたはずなのに、どんなに小さくても子どもだと思って
接してはならないと教えて頂いていたのにと今回体験し、今度こそ
私の中に残った、と感じています。

(ここからしばらくは前回とかぶります)
終了してからの感想は、終始学童の先生の素晴らしさでした。
・どこまでやっていいのか
・どういう注意の仕方・怒り方がいいのか
・どこまで甘やかしていいのか、我を出してきた時にどうすればいいか
・叱るタイミングがどれほど重要だったか
(その時違いを正してやらないと、次のときはなぜ前良かったのにと
こんがらがってしまう)
・声の出し方・声の調子の変え方
・注意の引き方
・怒り方と(笑ってか・冗談か・静かにか・諭すようにか・質問するか)怒るライン
・子どもによって褒めるのを多くするか・触れてやるか・任せてやるか

 等々たった数時間だが学童の先生は非常に大きな重責を担っている
のが感じ取れました。
 見守っていてくれる大人として 叱ってくれる大人として 甘えて
もいい存在として 話を聞いてくれたり 褒めてくれたり 抱きしめ
てくれたり 無言の言葉をくれたり こんな大切な存在は、他に 
どう見つけ出そう、というほどに。

 私の体験したように、子どもは人の心にとても敏感です。その子ど
もたちと、ただの友達になるのではなく、大人として一定の距離を持
ちながら、関係を持続させていく。考える以上に関係を築き上げるの
は大変そうです。
 常に客観的に自分を見つめて、律し、子どもたちを見つめ、そして
更に、親御さんの方もしっかり見つめている。そうすることが、学童
の先生という仕事であり、人間関係を作り出すことなのだと、感じま
した。

 今回訪問させていただき、子どもたちと触れ合って、学童保育とは
仕事を持つ親の救済だけではなく、子どもにとっても 親と離れるこ
とを知ることであり、違う大人と付き合うことであり、自律すること
に繋がっていくものだと思いました。 

 ゲームで遊んでいる状況を見ても、母親に連れられて来ている子は、
どこか母親を気にしながら遊び、母親は子どもが振り向いた事に喜ん
で手を振る。遊びの時は遊び、学ぶ時は学ぶ、その切り替えが出来る
事も自律へと発展していくことです。もちろん、母親に連れられた子
たちも次第に身に付けていくでしょう。
 しかし、本当は寂しいと感じながらも自分の気持ちを切り替えなが
ら、遊びに集中していく彼らを、力強く 逞しいと、嬉しくなりまし
た。

以上 報告書 一部抜粋

なんだかコレだけを見ると 非常に硬い活動をしているようですね。。。
よく考えると、私の記事の中で こども・・・が一番まじめです。

会社の方をさしおいて?

・・・いいのです。いいことに・・・^^;




学童保育でこどもたちと遊んだ日

2007-06-17 03:15:13 | こどもたちを今想いたい。
昨日、学童保育へ行きました。


どうしてって?
---ある団体での活動で、といったら受動的になってしまいますが、
今の子ども達に関わっていけたら・・・とメンバーで話合って、
学童保育に参加させていただくことになりました。---


今の子ども達の環境はどうなんでしょうか?

不審人物にピリピリしたくないし、

スモークガラスなんて嵌めたくないし、

私だって子ども達が遊んでいる状況の報告写真を撮っているのを見る
親御さんの視線に気付きたくないし、

そこらにいる子ども達に声かけたい。
悪いことしてたら叱りたいし、遊んであげたい



でも今では"知り合いの大人"というポジションなしには近づけない

子どもたちには 大人とふれあう 時間が確実に足りない



子どもにとっては親というのは絶対的な人で
嫌われたくない と必ず思うし、喜んで、とも思う訳で

その為にガンバル
同時に一番好かれたい人だから、緊張もするようになる



関わるのが両親だけで、
いつも緊張して、大人に対していつも
相手の心ばかりを追ってしまったり
不慣れにならないで欲しい

いつも叱ってくる近所のおじさんがいて、
嫌われてもいい、全ての人に好かれなくてもいいんだと
力を抜いて成長して欲しい

友だちとそのおじさんの悪口をいいながらでも、

自分の気持ちを、

怖かった感情や、

悲しかった涙や、

悔しかった事、

ビックリした事、

そういうもやもやした心を 霧散 させる方法を

日々学んでいける時間をなくさないで欲しい




-----と、ちゃんと大人になりきれていない私もおもう。



---学童の先生は、本当に大きな重責を担っていた。

見守っていてくれる大人として

叱ってくれる大人として

甘えてもいい存在として

話を聞いてくれたり、褒めてくれたり、抱きしめてくれたり、
無言の言葉をくれたり

こんな大切な存在は 他に どう見つけ出そう というほどに

そして更に、親御さんの方もしっかり見つめている

---私は昨日一日で 先生たちを 心から 尊敬してしまった。