あさノンの日常(※「住宅を建てたい!岡山の工務店㈲ハウジングアトリエ」から改名しました)

日々のことを書いていきます!楽しんでいただけるとすごくうれしい♪

おっちょこ

2013-08-18 22:05:19 | あさノンの とある日常
写真に意味はない。
仮にも会社からリンクするブログでこのテーマはいいのだろうか?
不安を与えかねない。
おっちょこと言えど、色々な人が確認しているから大丈夫と言葉を添えておかなければ。
そろそろ、個人のブログの体面を持つべきかもしれない。




母の話が続いたので、ついでに続けよう。

食器戸棚の角に小指をぶつけて悶えていたら、母に
「おっちょこじゃなあ~」と言われた。

自覚はある。が、私は母も大概おっちょこちょいだと思うのだ。
それよりも、私のそれは母の性質を受け継いだのではと思うのだ。

だから私は「お母さんも人の事言えんと思う」と反論した。
なのに「私はそれほどじゃない。あんたは多い」と信じられない切り返しだ。

その日、母の忘れものを取りに付き合わされたばかりなのだ。
それを言うと、「あれはおっちょこじゃない。」
なんてこった。
何て強引な+思考なんだ。

職場から持って帰ろうと思ったプリントが、帰ってみたら鞄に入っていなかったらしい。
持ったまま用事をこなしていたから、どこかに置き忘れたんだと思う。
と取りに行くまで聞いていた。

その後、帰ってきた母は、「ちゃんとロッカーに仕舞っていた。」と言った。
置き忘れるよりも、自分のロッカーに仕舞えた事を評価しているらしい。
どうしてそれがしっかりしている事になるのだ?

まあ、無駄に議論の必要はないと、そのままスルーした。
車中で逃げ場のない状況だ。面倒な口論は避けるべし。

その他にも、母の抜けていた場面は色々と知っている。

こうした事こそが正におっちょこではないのか?

足をぶつけるとか階段で転ぶなんてのは、おっちょこよりもせっかちだったり体の使い方が
悪いって事なんでは。
おっちょこもするけども。


ハウジングアトリエの年度末は7月末だ。

8月の現在、会計処理をしている。
母に数年前から引き継いだのだが、単純な入力以外を手伝う。

すると「これ何の項目だっけ?」というものが出た。
雑費だっけ?と昨年の総勘定元帳の出力ファイルを開く。

「雑収入がない。」
見つけやすいように、必ず赤と青に収支で色分けして見出しシールを貼っている。

ないって事は無いだろう。

母は「受取配当金のすぐ後よ。あろ~」
私の目が節穴という勢いだ。

「じゃから、ないって。」母の事だ。印刷時に失くしたのかもしれない。

さっきも「預り金」を散々さがしてたら、「預け金」と表記されていたという顛末だった。
赤と青を間違えているものもある。

はっきり言って、私は母を疑っていた。

何度も「雑収入」の前後を行き来してめくる。


・・・おや?

受取配当金のページが心なしかしっかりしている。

「お母さん~~~~(ため息)」

受取配当金の見出しシールで”袋とじ状態”になっていた。
どちらも1ページであったが為、不自然さもなく成り立っていた。

「そりゃ気付かんわ~」
と2人で笑う。

待て待て!やっとここでタイミング良くぐうの音も出ないチャンス到来だ!
「お母さんのおっちょこもやっぱり多いと思うよ」

「そうかもしれんな~」
はっきりとは認めないらしい。本人も人生で十分体験してるだろうから追求はしない。

続く母の言葉。「お父さんはおっちょこせんな~。」
「ありゃ?って言葉よう耳にするよ。よう忘れ物するし。」
「ああ、そうじゃ。そうじゃ。お父さんもおっちょこじゃ」
「お兄ちゃんは・・・よう分からんなあ。」
「お姉ちゃんは違うな。」
「お姉ちゃんも、最近は携帯忘れて帰ったりがようある。」
「ああ、昔はせんかったのになあ。」
「皆おっちょこじゃけん。・・・」
私は大したことない、と続けようとしてやめた。

あさノン家がおっちょこの可能性が高いだけで、私だけ正当化はできまい。

ましてや、両親ともにおっちょこちょいだ。
悲しい現実に突き当たった。

不毛なバトルだった。


何だか疲れ切った私は、外も暗くなったのを見ると十分頑張ったと自分を褒め、
パソコンを閉じる事にした。


(雑費と雑収入の記入間違えがありましたので訂正しました。)


蹴るスイッチ

2013-08-17 22:32:19 | あさノンの とある日常


最近体重計に乗れていない。

きっと2週間程前に乗ったのが最後だ。

一昨日体重計に乗ろうとしたが、電池が切れているのか起動しなかった。
母にそう言うと、
「そうなんよ~。電池替えて見たん見たんじゃけどなぁ。最近接触悪くなっとったから。」

「ああ~。確かに蹴っても一発でつかんようになっとった。」

「蹴る?」

「へ?蹴って電源入れるじゃろ?」

「何よん!(何言ってるの)手で押すに決まっとるが~」

「嘘じゃ~。あの位置にスイッチがあるんは、蹴るように作っとろう」

「そんな事言うたら扇風機も足でスイッチ押すん?下にあろうが手で押すもんじゃろう」

たまに。両手に物を持って移動するとかの時、足で押して切る事がある。が、
告白しなかった。行儀が悪い事は承知している。

「でも、手で押すんなら、持ち手の部分にスイッチ付けりゃあええ事じゃろ。
 なのに、あそこに付いとんよ?あれは蹴るもんじゃって。」

件の体重計は、電子表示部分と手で握るバーを持ち上げるタイプだ。
持ちあげずに体重のみを計る事もできる。


「いや~。蹴るから壊れたんかもしれん。」

どちらも譲らなかった。

こうして、熱い議論は行われた。

暑い夏を無駄に熱くした。









というのは冗談で。


熱くはあったが熱すぎはしなかった。
熱くて、思考も茹っていた。

ひどくどうでもいい事で、会話遊びをしていたに過ぎないのだから。
日常会話は、こんな他愛なさの積み重ね。



少女クラブ 大人から子どもまで

2013-08-15 22:54:12 | あさノンの とある日常

前回から随分空いてしまった。
思いもよらない人が読んでくれているということで、
恥ずかしくて遠のいてしまっていた。

あまりに下らない内容に躊躇してしまう事もある。

今日更新に至ったのは、更新を待ってくれているらしい事を
伺ったから。

昨日母とお墓参りに行ってきた。
丁度K夫婦とお会いし、更新しなければと至った。


といっても、そうそう大事件なんて日常起こらないし、
起こったら書いている状況でも、書けるとも、思えないのだが。

だから・・・・やはり私の些細過ぎる日常を公開するよりない。

耐えて下さい。
いつまでも変わりはしないだろうけど。


さて、遡る事数日。
私はUピンを探して鏡台の引き出しを開けた。
そこに、母のスカーフ留めを見た。

最近私は、とてもスカーフに心惹かれている。
現在6枚も集った。
その割に頻度は低い。

体質と(暑がりの私がスカーフを利用するべき期間は短い。手入れが
面倒なので汗をかきながら使用はしたくない)

スカーフに合う服が少ない事と

状況に悩む(童顔なので、さらっと使いこなすのが難しい。経験が必要だ。
同年代でスカーフ愛好者は少ないので、ぎょっとされないか自信を持てない。)

結び方に悩む

こんな感じで頻度は下がってゆくのだ。



母のスカーフ留めを見ながら、若者らしいスカーフ留めを売り場で
見かけないな、何て思っていた。

その脇に、私が処分しようとしていた安物のビーズとワイヤーのケースに
様々な小物が入っていた。中には見覚えのあるミツバチのピンやおもちゃの
指輪も見えた。子どもの頃私が使ったものだ。

その中に、馬の引く馬車のバッチ(?)があった。
軽いから高価ではないだろうが、何だか可愛い。
スカーフ留めに利用できないだろうか。
母に言ったらきっと貰えそうだ。

そのバッチを昨日、丁度母と出かけた時につけて出かけた。
欲しいと言うのを忘れそうだし、気付くかなと思って。そうすると切り出し易い。

結果、母ではなくKさんが気付いて話は展開する。

それは昔、母の子ども時代に「少女クラブ」という少女漫画雑誌の付録だった
という。現在は「フレンド」に引き継がれているそうだ。

いったい何年だ?
何て物持ちのいい。やかんの時も思ったが、侮るなかれ。私の母を。

そして、子どものおもちゃとして作られたものをいい年した私は恥ずかしげも
なく身につけるかどうか。問題だ。


きっと身につける。・・・問題だ。



帰りの車中で少女クラブについての話になった。

熱狂的に週刊誌を買いに行った思い出を話す。
学校から1番早く帰ったら買いに行き、1番に読む権利を得られるのだと。
皆でとても楽しみにしていたのだと。

7人姉妹の母。
「7人で回し読みか~効率ええなぁ。」と私は返す。
すると
「7人どころか、子どもだけじゃなく、おばあちゃんまで読んどった。」


それは、それは。
何だか微笑ましい絵が浮かんだ。

それにしても、大人から子どもまで楽しめた事に驚きだ。

今の少女誌とは少し違うのかもしれない。私の時代の少女誌でも、親まで楽しむ
ものではなかったと思う。

しかも、その頃は”漫画なんて読んだら頭が悪くなる”的な事を言われていた頃
ではないのか。
(特別な意味は含みません。昔そういった風潮があったという事で見逃して下さい。)

そんなに面白かったという漫画。ちょっと読んでみたい。

「へえ~。お母さんの頃なら、い/が/ら/し/ゆ/み/こ/とかベ/ル/バ/ラとか?」
「そうそう。ベルサイユは少女クラブじゃあなくて違う雑誌じゃったけど。」

なるほど。確かに、読みたくなるだろう。

しかし、あれほど私が学生時代に”漫画ばかり読むな”と下らないもの扱いだった
ものに母も熱狂していた事実。

今でも兄や私の集めた漫画が置いてある使われていない部屋に掃除機をかけては、
「捨ててやろうかしら。」と呟く母に恐恐としているのに。
(兄の漫画は私が守っている)

少し腑に落ちない気がする。


でも、読んでいない人から見たら、漫画は評価が低いのはどうしようもないのか。
私も母に読ませる所までいければ、あの戦いに(笑)勝っていたのかもしれない。

否、無理だな。思春期の好むストーリー、そして絵柄を、両親に見せる子どもが
どれだけいるものか。

それに、お小遣いの中から色々な誘惑に耐えて集めた本。
下らない扱いされながらも、辞めなかった本。母の自由にしないで欲しい。

これならきっと楽しめると、以前母に「読む?」と言ってみた事がある。
心温まるストーリーだ。期待していた。

「目が悪くなって、最近文字を読むのが辛いから。」と振られたのを思い出した。




やっぱり腑に落ちない気がする。

(後日写真添付しました)