「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

奈半利町からの野根山街道"入り口 "

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

根木さんと一緒に、西尾壽公さん(なはり浦の会に案内をしていただきました。

 

奈半利町からの"野根山街道"入り口まで・・・いつか是非、全行程を歩いてみたいと思っています。 

野根山街道(のねやまかいどう)は、高知県東部の奈半利町東洋町を結んでいる尾根伝いの街道。

 

野根山街道は奈良時代養老年間に整備された官道で、奈良土佐国府を結ぶ街道「南海道」の一部である。高知県安芸郡奈半利町と東洋町野根を尾根伝いに結ぶ行程約36km、高低差約1,000mの街道古くは『土佐日記』の著者紀貫之の入国の道として、また、藩政時代には参勤交代の通行路として使用された。現在は「四国のみち」環境省ルートとして整備されている。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

野根山街道

 

奈半利町HP:観光・イベント情報 野根山街道

 

奈半利自然保護研究会 野根山街道 

 

出典: フリー百科事典 野根山街道 

 

 

HN:サカチャン

 

野根山街道 に関する記事 

 

奈半利町内の見所・ウオッチング 

 

HN:サカチャン さんの記事

 


野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。車に4人が乗車し、高知市内を8時30分頃出発しました。

車中で話に花が咲いているうちに、一時間ちょっとで奈半利町の米ケ岡自然体験学校に到着でした。

米ケ岡自然体験学校では、ちょうど恒例のイベントが企画されて、70人余の参加者が下から歩いて来るとのこと・・・現地では「なはり浦の会」事務局長の西尾さんたち10人くらいが、獅子鍋?・もちつきなどの準備をされていました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

 

米ヶ岡生活体験学校 に関する記事

米ケ岡自然体験学校では、ちょうど恒例のイベントが企画されて、70人余の参加者が下から歩いて来るとのこと・・・現地では「なはり浦の会」事務局長の西尾さんたち10人くらいが、獅子鍋?・もちつきなどの準備をされていました。

 

 

 

 

 

奈半利町:野根山街道

野根山街道は奈半利町から東洋町野根までの約40kmを尾根づたいにつなぐ山道です。
未開の奈半利に文化の光を灯したのは、野根山街道の開発があげられます。この街道は、国司、流人の移動、調庸物搬出の道として開発され、約千二百七十年前の昔にはすでに利用されていました。幕末の激動には、中岡慎太郎をはじめ志士達の脱藩の道、二十三士動乱の道でもありました。
長い歴史の中で、この街道にまつわる事象は数多く生まれていますが、それぞれの時代に歴史の要路として、重要な役割を果たしてきた街道です。街道には旅人の道標となる塚が高札場(横町)を起点に、一里塚まで残されており、藩主の休み場として、朝休みから茶屋の段まで五ヶ所あります。
岩佐関所跡には、番士の屋敷跡や墓所などもあり街道には多くの史跡や多くの民話も残っています。歴史と伝説に富んだ街道で、今もなお、当時の面影をそのままとどめた全国的にも珍しい歴史の街道です。  
現在は四国の道としてハイカー達の道として復活し、シーズンにはにぎわいをみせています。

 

 

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

 

 

 

奈半利自然保護研究会:野根山街道 

野根山街道は、奈半利町から野根山連山を尾根伝いに東洋町野根に至る延長35km余りです。

 養老2年(718年)以後の官道です。官人達の往来の道であり、調庸物搬出の道であり、もちろん庶民の生活道でもありました。

 街道の両側に、当時そのままの姿で残された一里塚~五里塚や、旅人が一夜をしのいだという宿屋杉、参勤交代の昔をしのぶ朝休み場お茶屋場装束峠の敷石、岩佐関所跡屋敷跡の石垣や墓地等、数々の史跡が残されています。

 また、土御門上皇が名付けられたという岩佐の清水旧藩林天然林等、自然に富んだ街道です。

 なお、幕末には中岡慎太郎が脱藩の道とし、清岡道之助以下二十三士が獄中の武市瑞山を救おうと武装屯着したのもこの野根山でした。

 近年、自然遊歩道として人々に親しまれ、また、平成8年11月1日には文化庁の「歴史の道百選」に選ばれました。

 昔ながらの風情が楽しめるこの神秘な街道を一度散策してみませんか。

 

奈半利自然保護研究会:白石神社(しらいしじんじゃ)

およそ300年前、北川村野友の庄屋白石伝左衛門が土地の百姓の二、三男対策として、水田開墾を志し願い出たが、許されず仕方なく無許可のまま山を焼き開墾を始めたため、取り調べを受けるはめとなった。しかし、彼の誠意に藩庁も動き、後年、年貢を納めることを条件として許可が下り、現在の米が岡の水田が開かれたと伝えられている。参勤交代の要路として栄えた米が岡の人達は、宝永5年(1628年)に死亡した彼を米が岡開拓の恩人として白石神社に祭っている。 

 

 

HN:サカチャン 

野根山街道・・・白石神社の登山口                                         

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事




野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

落葉が沢山の、フカフカの道をしばらく上りました。

 

 

奈半利自然保護研究会:六部様(ろくぶさま)

六部遍路を祭ったもの。ここで亡くなった六部遍路が水に飢え息絶える時、杖をついて所から水が湧き出たといわれ今もそのあとがある。

六部様(ろくぶさま)の標識の道の反対側に小さな祠がありました。 

 

 

HN:サカチャン 

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま) に関する記事                                         

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事




野根山街道・・・わらい栂

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

 

参勤交代の昔をしのぶ お茶屋場。殿様が回りに幕を張っただけで、小休止をしたところとか・・・野根山街道には何箇所かあるようです。

 

 

 近くには大きな杉の木がそびえていました。

 

 

奈半利自然保護研究会: 笑い栂(わらいつが) 

嘉永年間、米ヶ岡の浜渦寿之助という伐木夫が入山の途中、頭上で「深山に居る」と天地も震えんばかりの叫び声を聞き、驚いて下山にかかった。途中、木の下で休んでいると樹上で奇怪な笑い声を聞いた。逃げ帰ってみると足の指がすべてなくなっていたという伝説が残っている。

 

 

HN:サカチャン 

野根山街道・・・わらい栂 に関する記事                                         

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事




野根山街道・・・旧藩林

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

奈半利自然保護研究会:旧藩林(きゅうはんりん)

江戸末期の造林の杉林であり、藩政時代は藩主の命令で街道の崩れを防ぎ、また日陰をつくるために街道の両側15間(45m)の伐採を禁ずる御留山にしていたといわれている。盗伐には、はりつけや耳そぎの刑がくだったという。樹齢150年以上の見事な杉林が残っている。この街道の左手には、北川村野川から登ってきた道と合流する。 

安芸森林管理署:野川山旧藩林

四国のみち「野根山街道」のみどころの一つとして紹介されている旧藩林は、江戸末期に造林された樹齢約170年生のスギ林です。

 この旧藩林が植林された5年後の天保9年(1838年)に、北川村で中岡慎太郎が生まれ、元治元年(1864年)には、清岡道之助をはじめとする二十三士が、旧藩林の前を通り抜けて、「岩佐の関所」に武装屯集したとされています。
 
 藩政時代に土佐藩は、御留山制度を設け一般の伐採を禁止し、藩が直接管理していました。御留山には、幕府への献上木を伐採する「御用木山」、藩財政確保用の「御国用山」という区分がありました。野川山は「御用木山」であったようで、1683年の「御用木山改帳」に度々御用木を仰せつかったという記述があります。当時の伐採跡は「ぼうが」に任せたままでしたが、野川山は良材を産出する「お宝山」又は「土佐の十宝山」と称されていたことから、藩の直営事業として植林が行われました。古文書によると文政9年(1826年)頃から野川山に植林が行われていたという記録が残っていますが、野川山旧藩林がその頃に植えられたという実証が得られていないことから、天保4年(1833年)に植林したと推定されています。

 

 

 

 

 御留山(おとめやま) 

御留山というのは江戸時代(藩制時代)、にお役人の、許可がないと入れない山を意味していた。有益な資源が有るので、お役人の管理下に置いて管理させていた山なので、伐木禁止、採掘禁止させる意味で、立入を禁止の地域なのです。

 

HN:サカチャン 

野根山街道・・・旧藩林 に関する記事                                         

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事




野根山街道・・・「中岡慎太郎」を顕彰する看板が

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

野根山街道・・・旧藩林

 

旧藩林の看板があったすぐ東に、「中岡慎太郎」を顕彰する看板がありました。

 

 

奈半利自然保護研究会:野根山街道

幕末には中岡慎太郎が脱藩の道とし、清岡道之助以下二十三士が獄中の武市瑞山を救おうと武装屯着したのもこの野根山でした。

 近年、自然遊歩道として人々に親しまれ、また、平成8年11月1日には文化庁の「歴史の道百選」に選ばれました。

 

 

 

街道の真ん中に、二箇所でイノシシかシカ?の"ヌタ場"がありました。

ヌタ場転がりをご存じであろうか?
四つ足の動物が、泥地や、砂場で転がりながら、背中の虫をとったり
「かゆいのに手が届かないから、ころがってかく動作」
のことである。
動物によっては、自分たち専用のヌタ場があったりするらしい。

 

 

HN:サカチャン 

中岡慎太郎 に関する記事                                         

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事




野根山街道・・・三里塚

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

野根山街道・・・旧藩林

野根山街道・・・「中岡慎太郎」を顕彰する看板が

宿屋杉のすぐ手前に、「三里塚」は在りました。

 

 

 

 

 

 奈半利自然保護研究会:三里塚

この三里塚は県下で確認されている数少ない「里程塚」の中でも原形を残している。道を挟んで東には周囲を石で築いた埋土の中央に杉の大きな古株が残っており、西にはモミの木が立ち枯れている。

 

 

HN:サカチャン 

野根山街道・・・三里塚                                         

野根山街道 に関する記事

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野根山街道・・・宿屋杉(やどやすぎ)

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

野根山街道・・・旧藩林

野根山街道・・・「中岡慎太郎」を顕彰する看板が

野根山街道・・・三里塚

宿屋杉は、「三里塚」からすぐ(80m)のところでした。

 

 宿屋杉の周りの地面に、緑色の苔が一面にありました。そこを踏むと全体が5cmほどの霜柱で持ち上げられており、ザクザクと靴のそこが沈んでいました。

東屋やトイレもあり、野根山街道での素晴らしい休憩所です。

 

奈半利自然保護研究会:宿屋杉(やどやすぎ)

三里塚から10分程の所に大きな杉の根幹がある。かつての宿屋杉は周囲16、6m、高さ32mに達し、樹齢は1000年以上といわれていた。昭和9年の室戸台風により倒壊したが、昔は根幹は中が空洞になっていて広さは四畳半敷程あり、旅人の4、5人はゆっくり泊まれたという。今でもハイカーたちの憩いの場となっている。

 

 

 

 

 

 

HN:サカチャン 

野根山街道・・・宿屋杉(やどやすぎ)                               

野根山街道 に関する記事

HN:サカチャン さんの記事




魚梁瀬森林鉄道遺産・・・全体 に関する記事

2010-12-06 | 魚梁瀬森林鉄道遺産

旧魚梁瀬森林鉄道施設 に関する記事

「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」
お問い合わせ
奈半利町教育委員会  TEL:0887-38-8188
北川村教育委員会   TEL:0887-32-1223
田野町教育委員会   TEL:0887-38-2511
馬路村教育委員会   TEL:0887-44-2216
安田町教育委員会   TEL:0887-38-5711

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・全体 に関する記事

ひろめ市場 "ふるさとふれあいギャラリー"で魚梁瀬森林鉄道の企画展
イラストで訪ねる懐かしの魚梁瀬森林鉄道
「旧魚梁瀬森林鉄道施設 重要文化財指定記念シンポジウム&見学会」のご案内
国指定重要文化財 ー旧魚梁瀬森林鉄道施設ー


魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ①エヤ隧道

2010-12-06 | 魚梁瀬森林鉄道遺産

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ①エヤ隧道を「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」の清岡博基会長に案内していただき訪ねました。

 

安田町の重要文化財 安田川線 エヤ隧道

      場所は安田町別所エヤシマにある。

      全長は33,2mで川に沿って緩やかにカーブしている。

      トンネル断面は、路盤に対して側壁が垂直に立ち上がり、半円ボォールトのアーチが載る形式である。

 

 

      画像が曲がっていてすみません。

      内法(ないほう)3,540mm、内法幅3,045mm、路盤から(かさ)(いし)上端(じょうたん)までの全高5,295mmである。

      側壁は幅300mm長さ465mmの切石を7段、アーチの追石は要石(かなめいし)まで17石、いずれも布積で積み上げ、要石は5角形の(たて)型である。

      ウイングはアーチしたまで7石、アーチ下端(したはし)より笠石下端まで10石積み上げである。

      笠石を(高さ300mm)一列載せている。

      南北両側ともに、隅石右側の下から6石目に1の刻印がり、(ローマ数字でⅠ)安田川線最初の隧道である。

  

建設は田野~馬路間が開通した明治44年と考えられる。

 

 

 

もう一方はふさがっていました。

 

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 

①エヤ隧道

  

HN:お宝探検隊

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 エヤ隧道 に関する記事

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・全体 に関する記事 

魚梁瀬森林鉄道遺産 に関する記事

 


魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ②バンダ島隧道

2010-12-06 | 魚梁瀬森林鉄道遺産

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ②バンダ島隧道を「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」の清岡博基会長に案内していただき訪ねました。

安田町の重要文化財 安田川線 バンダ島隧道

 

 

 ●      場所は安田町与床バンダ島にあり、町道に利用されている。

●      全長は37,6mで緩やかにカーブしている。

●      内法高3,494mm、内法幅3,050mm、路盤から笠石上端までの全高5,275mmである。

●      側壁は幅280mm長さ340mmの石材を7段、アーチの追石は要石まで17石、いずれも布積で積み上げ、要石は5角形の盾(たて)型である。

●      ウイングはアーチ下まで7石、アーチ下端より笠石下端まで10石積み上げである。

●      笠石を(高さ250mm)一列載せている。

●      南側坑門の隅石右側の下から6段目に2の刻印がり、(ローマ数字でⅡ)安田川線2番目の隋道である。

●      建設は田野~馬路間が開通した明治44年と考えられる。

 

 

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 

 

②バンダ島隧道

 

 HN:お宝探検隊 さんの記事 

HN:お宝探検隊

魚梁瀬森林鉄道遺産 ②バンダ島隧道 に関する記事 

魚梁瀬森林鉄道遺産 全体 に関する記事 

魚梁瀬森林鉄道遺産 に関する記事


魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ③オオムカエ隧道

2010-12-06 | 魚梁瀬森林鉄道遺産

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ③オオムカエ隧道を「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」の清岡博基会長に案内していただき訪ねました。

●      場所は安田町小川オオムカエにあり、明神口橋の南に位置し、町道として利用されている。

 

建設は田野~馬路間が開通した明治44年と考えられる。

 

●      全長37,7mで、ほぼ直線である。

●      北抗門は岩盤の切り抜きの隋道であったが、現在はコンクリートで補強されている。

●      内法高3,790mm、内法幅3,060mm、路盤から笠石上端までの全高5,375mm、

●      側壁は石材を6段、アーチの追石は要石まで14石、いずれも布積で積み上げ、要石は5角形の盾(たて)型である。

●      ウイングはアーチ下まで6石、アーチ下端より笠石下端まで9石積み上げである。

●      笠石を(高さ280mm)一列載せている。

●      南抗門隅石右側の下から6段目に3の刻印がり、(ローマ数字でⅢ)安田川線3番目の隋道である。

 

 

IMG_3106-1.jpg

 

安田町の重要文化財 安田川線 

 

③オオムカエ隧道

 

HN:お宝探検隊

魚梁瀬森林鉄道遺産 ④明神口橋と③オオムカエ隧道 

魚梁瀬森林鉄道遺産 全体 に関する記事 

魚梁瀬森林鉄道遺産 に関する記事

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魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線  ④明神口橋 

2010-12-06 | 魚梁瀬森林鉄道遺産

魚梁瀬森林鉄道遺産・・・安田川線 ④明神口橋を「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」の清岡博基会長に案内していただき訪ねました。

 

      安田町小川オオムカエにある鉄橋である。

 

 

 

      橋の全長は43,2m、幅4,640mm、全高は6,280mmである。

      大正元年に木造トラス橋として建設され、蒸気機関車の導入に伴い、昭和4年2月に鉄骨トラス橋に架け替えられた。(南口にプレートの取り付けがある)

      下路式のプラットトラスで、リベット、トラスの特徴を良くあらわしている。

下流から上がっていくと、山深い渓谷に真っ赤なトラス橋が映える印象的な景観が目にはいってくる。周辺の自然環境にも溶け込んでおり、林鉄を代表する遺産である。

 

 

 IMG_3106-1.jpg

  

 

安田町の重要文化財 安田川線 明神口橋

 

HN:お宝探検隊

魚梁瀬森林鉄道遺産 ④明神口橋と③オオムカエ隧道 

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野根山街道・・・野川林道を横切る

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

野根山街道・・・旧藩林

野根山街道・・・「中岡慎太郎」を顕彰する看板が

野根山街道・・・三里塚

野根山街道・・・宿屋杉(やどやすぎ)

宿屋杉からほんの少し行くと、野川林道に差し掛かりました。

足に自信がない方でも野川林道を利用すれば・・・宿屋杉などは楽しめるなーと思いました。

安芸森林管理署の知人に聞いたところによると、一部崩壊があり、現在工事中のようです。2月中頃?には終了するのでは・・・でした。北川村?などの関係機関に問い合わせてからお出かけください。

 

 

 

野川林道  林道の位置:野川林道

高知県 北川村  ダート : 14.0km 通行状況 : 通行制限なし

装束峠の三叉路 から 奈半利川に架かる橋のたもとの丁字路 まで

隣接林道 蛇谷林道、須川林道、上杉林道、野川須川林道

 

 

 

出典:奈半利町装束峠 ~蛇谷林道、野川林道、須川林道、須川野川林道、上杉林道~

高知県奈半利町装束峠の地図~蛇谷林道、野川林道、須川林道、須川野川林道、上杉林道~

 

 

 

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野根山街道 に関する記事

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野根山街道・・・マウンテンバイクの若いご夫婦に会いました

2010-12-06 | 野根山街道 に関する記事

正月3日に野根山街道を散策することが出来ました。

米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口には10台くらいの駐車場があり、ここから徒歩で野根山街道を登りました。

野根山街道・・・米ケ岡自然体験学校の上の白石若宮神社、登山口

野根山街道・・・二里塚と六部様(ろくぶさま)

野根山街道・・・わらい栂

野根山街道・・・旧藩林

野根山街道・・・「中岡慎太郎」を顕彰する看板が

野根山街道・・・三里塚

野根山街道・・・宿屋杉(やどやすぎ)

野根山街道・・・野川林道を横切る

宿屋杉からほんの少し行くと、野川林道に差し掛かりました。

足に自信がない方でも野川林道を利用すれば・・・宿屋杉などは楽しめるなーと思いました。

野川林道を横切って、険しい登りをしばらくいくと、電波塔へ500mなどの標識のある場所で一休み・・・

 

 

 

 野根の方からマウンテンバイクで来た、若いご夫婦に会いました。大阪から来られたそうで、このルート結構きつかった・・・と元気に話していました。

私たちが登ってきた街道を奈半利町に向かってスイスイと下って行きました。

 

 

HN:サカチャン                        

野根山街道 に関する記事

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