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「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・ミーム

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」
{ミーム}                             情報プラットフォーム、No.189、6(2003)


  親が身を賭して子を守ることがある。人間や哺乳動物だけではなく、鳥類や魚類にも見受けられる。これを美談や感動的と思うことは自由である。しかし、どんな自己犠牲的な行動も利他的な行動も遺伝子にとっては利己的で合理的な振る舞いと考えると納得できる面がある。つまり、全体のための部分犠牲でしかないと考えるのである。

生物の個体(個人)は遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子は何時でも乗り換える用意をしているとの考え方である。生殖活動が終わり、遺伝子を次代に伝えれば、存在価値はなくなる。個体が消えて役立つ例も多い。産卵を終えて死を迎えた鮭は孵化してくる稚魚の栄養源になる。

 生物の授業で「獲得した形質は子孫に伝えられない」と教えられた。しかし、生殖能力を失っても生きている人類は、父母に加えて祖父母も一緒に暮らす人類は、文化・伝統を他に伝えることが出来る。衣服や食物の様式、儀式、習慣、芸術、建築、技術、工芸、これらはすべて歴史を通じて、地域の中で、集団の中で極めて速度の速い遺伝子的進化のように伝達すると考えることが出来る。

 この新種の自己複製子をミームと名付けている。gene(ジーン)が遺伝子。ギリシャ語で模倣が「mimeme」であり、文化遺伝子を「meme」と命名している。その特徴は、世代を継ぐとは関係なく多くの脳に伝達できること、群の個体同士なら血縁に関係なく伝達されること、最後に、遺伝子よりもコピーミスが多いことである。

  このミームはジーン以上に自己中心的であり、排他的であり、自己犠牲を嫌わない。思想や神は人間の脳の中にだけ存在するもので、非常に強い伝達能力をもったミームとして実在している。信仰が盲信へ進むと全てを正当化し、あらゆる手段で人の心の中で増殖を始める。政治的な盲信、文化的な盲信もある。人類の歴史はミームの間の生存競争の歴史でもある。今、中東で起こっていることも含めて。

ご感想、ご意見、耳寄りな情報をお聞かせ下さい。

鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

 高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・田村遺跡群

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                情報プラットフォーム、No.188、5(2003)
{田村遺跡群}


  土佐電鉄の住吉通り下車5分程、高知東工業高校の斜め向かいに高知県埋蔵文化財センターがある。ガラス越しに大きな壷が見えるので、車で前を通る度に気になっていた。田村遺跡の発掘品をもう一度見ることができると思っていたからである。平成11年1月の田村遺跡群の現地説明会に出た。ジャンボ・ジェットが離着陸できる高知空港にするために500m延伸し、滑走路を2,500mとする工事にともなう発掘現場の見学会である。

  「物部川のほとりのこの遺跡群は、川の氾濫で壊されることは無かったのですか。水の便は大変良いと想像できますが」と案内をしている活発な女性に質問をした。発掘調査に携わったであろうジーパン姿のその女性は「こちらへ」と目を輝かせながら、私達を遺跡群のはずれに連れて行った。「丸い石ばかりです。ここまでが川でした」と堀下げた地面を誇らしげに示した。自然堤防の小高い地形を選んで古代人は居を構えたのである。

  展示場は少し広めのエントランス・ホールだけであり、女性職員の受け答えも要領を得ず、多くを期待できそうもないことを感じ始めていた。展示の中心は田村遺跡ではなかった。しかし、母屋に続く奥には倉庫のようなプレハブの作業棟がある。曇りガラスの引き戸の向こうでは、あの彼女が大きな壷のジグソウパズルを黙々と楽しんでいるに違いないと思ったのである。そこに製造工場のような見学コースを作れば良いのにと思った。

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

 高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154

出典: 田村遺跡群と発掘調査


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・車輪のある生物

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.187、4(2003)
{車輪のある生物}


  中学生の頃、生物の時間に、「車輪のある動物が何故居ないのだろう」と、ふと疑問が湧いてきた。「車輪の直径と地面の凸凹の大きさが同程度なら車輪動物は動けなくなる」が先生の答だった。「分かりました。でもそれならば、スクリューの魚やプロペラの鳥が居ても良いのでは」との質問に先生は答えられなかった。「回転部分に栄養が回らず、車輪や車軸を成長させることができない」とそれらしい理由の一つを思いついたのは高校生になってからである。

  本川達雄氏は「なぜ車輪動物がいないのか」を一つの章を設けて説明している(1)。走るよりも速く、楽に移動できる自転車のメリットを考えながら、傍目には大変と思う車椅子なども例に挙げて、エネルギー的に得な車輪の効用を述べている。しかし、ふかふか絨毯や凸凹の砂利道に差し掛かったとき、カートやベビーカーで苦労する状況を思い出せば、車付き動物の大変さは理解できるだろうと述べている。車輪で生きることのできる(活動できる)世界は平滑が条件である。バリアフリーとか、ユニバーサル・デザインは人間の文明社会でこそ実現可能なシステムである。

  回転部分を持つ珍しい生き物がある。数ミクロン以下の大きさのある種のバクテリアは渦巻き形状の鞭毛を持っている。このバクテリア鞭毛の付け根には、イオン濃度差による回転駆動型のモーターが付いており、回転させながら進んでいくのである。

(1)「ゾウの時間 ネズミの時間」、本川達雄著、中公新書,1087、(1992)

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・テレビジョン

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.186、3(2003)
{テレビジョン}


 山本忠興は土佐山田町出身である。鈴木梅太郎、御木本幸吉、本多光太郎らとともに、10人の大発明家の一人に数えられている著名な科学者である。山本先生は岩村小学校、県立第一中学校(追手前高校の前身)、第一高等学校を経て、東京帝国大学電気工学科を卒業。その後、カールスルーエ大学で学び、ゼネラル・エレクトリック社で電気機械設計の研究を続けた。創設と同時に早稲田大学理工学部に招かれ、その後理工学部長になっている。

 山本忠興はテレビジョン放送の草分けである。昭和5年3月、戸塚球場からの野球を上野や浅草へ送信した。今のような電気的方式とは異なる方式、回転円盤を同期させる機械的方式である。一辺が2メートル大の画面であった。

  お茶くみ人形も再現されている。ものづくりの原点に立ち返って、格好の教材として、このテレビを再現し、送信実験が出来たら楽しいと思う。研究として役に立つものでなくても良いではないか。先人の工夫から、若者に感動を伝えたいと思っているのだが。

 

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・出雲のたたら

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                   情報プラットフォーム、No.184、1(2003)
{出雲のたたら}  

                      
 島根県横田町にある日本刀剣保存協会(日刀保)の「たたら操業」の実際を見たことがない。2月の初旬に操業がある。ハイライトは11日の早朝の「送風停止」であり、その後の「ケラ出し」である。10日は岡山で会議がある。懇親会をスキップしても会議の終了は18:00である。岡山から伯備線で米子へ北上、松江を経て木次線で出雲横田へ南下することになる。これでは10日中に船通山のホテルに入ることは不可能である。

出典:たたら製鉄の里、奥出雲を訪ねる

 

 一時は見学そのものを断念しようと思った。地図を眺めて気が付いたのは、伯備線を途中下車し、山越えをする方法である。特急「やくも」は生山(しょうやま)で停車する。ホームページを開き、調べ出し、電話をした。山越えのタクシー代は¥7,000ほど。前日までの積雪も心配であったが、「大丈夫です。お待ちいたします」との心強い返事である。18:20岡山発、20:03生山着。特急を降りたのは数人。改札口を出る間もなく、「鈴木様ですね」と運転手さんが声を掛けて来る。時間を買ったのだが、安い買い物である。

 早朝、現場では大勢の人達がたたら場の建家の壁に張り付くようにして、赤い炎を吹き上げている炉を見守っている。暗い部屋であるが目が慣れてくると、操業は上手く行っていると感じた。炉の状況で素人が判断できるものではない。村下(むらげ)を始めとして作業している人々の安堵の顔つきから、そのように感じたのである。

 

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・たたら製鉄

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                情報プラットフォーム、No.184、1(2003)
{たたら製鉄}  

                                  和鋼博物館に展示されている高殿の模型                        
  中村市の釣り具店主が自分で工夫を重ねながら、たたら製鉄を試みている高知新聞のコラムに目が留まった。高知工科大学開学の前年である。早速連絡を取り、四万十川に掛かる橋の袂にあるそのお店を訪ねた。岡田光紀さんである。

                    出典:たたら製鉄とは

 

  窪川の鍛冶屋の梶原照雄さん、宿毛の段松靖さんと三人で試行錯誤の中で、砂鉄から鋼を造り出していた。操業記録を見せて頂いた。最初は、砂鉄は磁石に付くのだから、鉄そのものであり、加熱して叩いて固めれば鉄片が出来ると単純に考えていたそうである。

  平成9年に開学。一期生だけの秋の学園祭で「出前たたら」をお願いした。学生達や先生方、それに家内も含めて総勢25人ほどで、四万十川河口から東に位置する入り江「金浜」へ砂鉄の採取に行った。海岸の渚の跡は幾つもの黒い筋になり、これが全て数センチの厚さに堆積した砂鉄である。スコップで掘れば充分、磁石は不要であった。土佐山田町商工会主催の「刃物祭り」と日程を合わせた学園祭は盛況で、キャンパスに隣接する鏡野公園での「たたら操業」は大好評だった。「もののけ姫」の上映とセットにした。

 

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・時期尚早と先見の明

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                     情報プラットフォーム、No.183、12(2002)
{時期尚早と先見の明}   


Office14.jpg         
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  積年のゴミの整理をしていると、色変わりした印刷物に混じって3.5インチのフロッピーディスクの入った箱が出てきた。80年代に私が書いた論文・解説や書簡がこれに記録されている。しかし、アルバムのように懐かしみながら見渡せない。英語は「書くべえ」、日本語は「松」と云うソフトだったと思う。コンピューターはNECの88である。また、5インチという大きなFDもあったが、残っては居ない。


 東京工業大学の正門の右に奇妙な形の創立100年記念館がある。その地下の資料展示室には歴史的遺産として星野凱先生の試作したシンクロリーダーも展示されている。SPレコードの大きさ(12インチ)の磁気ディスクに記録する装置である。キャノンから1959年に発売されたが実用化の段階には至らなかった。先取りであり、先見の明があったのだが、時期尚早だった。撤退を余儀なくされた。


  キャノンはこの時に集めた人材をその後有効に使って、会社を発展させている。機械器機製造メーカーから電気・電子機器メーカーへと転身するきっかけとなったのである。以外に禍が福に変わることが多いのではないだろうか。座していてはもちろん駄目であろうが。

 

 

 

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・最上階からの眺め

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                       情報プラットフォーム、No.183、12(2002)
{最上階からの眺め}   


  出典:大座礼山のブナの巨木 

 

    
  札幌での住まいは地下鉄の自衛隊前駅の道路を隔てた向かい側であった。次が終点の真駒内駅である。我が家の真下は、雪祭りの第二会場になる自衛隊の真駒内基地。最上階の10階だったから、360度の展望が利いた。ここで見える目立つ山を全部を登ろうと決心した。

 

  藻岩山はルートを変えて何回も登った。その山続きの硬石山も行った。札幌岳、空沼岳、恵庭岳。樽前山とその横に並ぶ風不死岳にも登った。北側の窓から遠くに見える暑寒別の山々へも、見えない大雪山系の旭岳、十勝岳、利尻富士へも行った。

  高知でも市内のマンションの最上階の11階に住んだ。南に竹林寺のある五台山と浦戸湾を挿んでの筆山、北には北山スカイラインが見える。もちろん北山は縦走した。登るべきは四国の背中の山々である。千本山、剣山、次郎笈、三嶺、御在所山、矢筈山、奥工石山、大座礼山、寒風山、伊予富士、天狗高原などに登った。私にとって、剣山は深田久弥の選んだ日本百名山の中の60番目の山になった。

 古い地層があり、植物種の豊富な横倉山は牧野富太郎の研究フィールドであった。横倉山も、その登山口にある自然の森博物館にも、何度も行った。大座礼山の尾根筋にある巨木のブナ林には感動した。登るにつれて照葉樹から落葉樹に変わっていくのが西日本の山の特徴であろう。稲叢山のあけぼのつつじも見事だった。

 鶴松森は四万十川の源流であるが、もう一つの源流、自然林の不入山にも行かなければならない。吉野川の源流の瓶ガ森、四国最高峰の石鎚山には是非とも行かなければならないと思っている。

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

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鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・いもけんぴ

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

  
「ぷらっとウオーク」                  情報プラットフォーム、No.182、11(2002)
{いもけんぴ}   

出典:土佐高知の「けんぴ屋」

                        
 空港で始めて高知の土に降り立ち、迎えの車に乗って市内に向かうとき、「いもけんぴ」を知った。「けんぴ」は堅干であることを知ったのは、ずっと後になってからである。本来は充分に干して堅くした干物を意味するのであろう。お菓子に限れば土佐の言葉か?


  ところで、「いもけんぴ」、「大学いも」の「いも」も、「ポテトチップス」、「フレンチフライ」の「いも」も原産地はアメリカ大陸である。コロンブスによる新大陸の発見以来、玉蜀黍やトマトや煙草と同じように世界各地に拡がって行ったことはご承知のとうり。


 中国では「さつまいも」を蛮藷(甘藷)と呼び、琉球では「唐いも」、薩摩では「琉球いも」、そして関東では「薩摩いも」である。高知でも年寄りは「唐いも」と言っているようだ。「ジャガイモ」はインドネシアのジャカルタに由来すると言われている。いずれにしても、直接の渡来先や近くの取寄せ先がものの呼び名になることが多い。なお、「馬鈴薯」は中国名である。この文では既に使い分けをしているが、薯、藷、芋の違いは。
                                                     

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鈴木朝夫   s-tomoo@diary.ocn.ne.jp

高知県香美郡土佐山田町植718   Tel 0887-52-5154


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・分離信号とは

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                     情報プラットフォーム、No.181、10(2002)
{分離信号とは}

画像出典:歩車分離信号普及全国連絡会


  同じ場所で、同じ時間に一緒になれば、ランデブーであり、時には奇遇と感じる出会いでもあり、遭遇の相手によっては果たし合いになる。遭遇チャンスを積極的に作る産学連携や異業種交流のような仕事もある。ハローワークもその一つ。店舗を構え、営業時間を決めるのもその一つ。通販や電子商取引もその一つ。道路上では交通事故になる。


 でも、交通事故は避けたいものの一つである。自動車同士の接触事故、歩行者や自転車乗りと自動車の接触事故は圧倒的に交差点で起きている。「陸橋や歩道橋、またはトンネルにする」は平面的な交差を無くすことになる。「信号機を付ける」、「遮断機を設置する」は時間差を与えて遭遇(接触や衝突)を防ぐことになる。しかし、横断歩道での死亡事故は交通死亡事故件数の8%で毎年変わらない。信号による分離が不十分なのである。


 立体交差は投資額が大きく、弱者にしわ寄せが来る。信号機による時間差が最も現実的であり、優れている。現在、直進の青で車が左折・右折できるルールが良くないのである。例えば、車や歩行者の直進と車の右左折に時間差を付ける必要がある。分離信号である。スクランブル交差点もその一つ。

道路幅や混雑度で臨機応変にシステムを変えることは必要であるが、自動車優先を考え直す時期に来てはいないだろうか。ある程度の道路の渋滞は覚悟しなければならない。人命尊重を徹底すべきである。歩行者が横断歩道手前で立ち止まっていても、止まってくれる車は殆ど居ない。
                                                        [suzuki@joho-kochi.or.jp]


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・オートバイ

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.180、9(2002)
{オートバイ}      

ライラックスポーツLS38後姿。
ライラック号の特徴のシャフトドライブが良くわかる写真です。

DSK、Aー50
1956年頃の製造です。BMW,R51-3型をフルコピーして作られました。製造会社は大東製機(株)
外観だけでなく、その性能まで忠実にコピーされています。当時の国産車の中では、最高級車でした。

出典:ライラック友の会創立30周年記念イベント報告

 

カメラと同じように乱立しており、AからZまで揃うと言われた位である。エムロ、カワサキ、クロガネ、キャプトン、コレダ、トーハツ、スズキ、天馬、BIM、ホンダ、ポインター、丸昌、ミズシマ、メイハツ、メグロ、ヤマハ、山口、ライラック、陸王などを思い出す。この中で現在も残っているのは4社だけである。


 我が愛車は250ccのライラックであった。日本で唯一のシャフトドライブのオートバイである。BMWのコピーと言っても良い。チェーンがないので、後輪の足回りがすっきりしいる。エンジンは縦置きになっており、回転軸は車体に平行である。従って、右カーブと左カーブでは旋回性能にジャイロ効果の差が感じられる筈と考え、高速でカーブ走行を繰り返していたのを思い出す。


 (ジャイロ効果:回転軸の方向を変えようとすると、戻そうとする力が働く効果。回転しているコマが倒れない理由。ジャイロコンパスがある。)
                                                        [suzuki@joho-kochi.or.jp]

                  
  石の風車が見える大正町の道の駅で自動二輪のライダーの一団を見かけた。その中に2台のBMWがあった。懐かしかった。
 「かみなり族」が流行語となった昭和30年代に私はオートバイに熱中していた。メーカーは200社位あったようである。

鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・発眼卵放流

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

{発眼卵放流}                「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.179、8(2002)   

出典:アマゴ発眼卵放流 

 稚魚は出きるだけ大きく育てて放流する方が良いに決まっていると信じていた。生存率が高くなると思っていた。ところがそうでもないことを知った。

卵の中で目玉がくりくり動く頃に、虫かご様の箱に入れて渓流に固定する方法がある。発眼卵放流という。孵化した後、逃げ込む場所があることで、天敵から身を守る術を知ることになる。生存率の極めて高い方法である。日本各地でアメゴ(アマゴ)やヤマメの増殖に適用されている。高知の川で試みている方もいると聞く。

  「可愛い子には旅をさせろ」とはこのことであろう。過保護は良くない。放任も良くない。最近、高校や大学で、あるいは行政でも、盛んに行われるようになったインターンシップ(社会体験・企業体験)は発眼卵放流に似ているところがある。

 産業振興センターの役割である地域の活性化や中小企業育成・創業支援も、元気の良い卵かどうか、発眼しているかどうかなどの確かな目利きとアドバイスが重要である。
                                                        [suzuki@joho-kochi.or.jp]


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・投げる、焦げる

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

{投げる、焦げる}            「ぷらっとウオーク」                    情報プラットフォーム、No.179、8(2002)
                                                 
 北海道大学に赴任した直後に、スペース確保のために数々の古い装置の廃棄処分を決めた。翌日、「本当に投げて良いのですね」と確認に来た若い技官に「投げるのだけは待って下さい」と答えて笑われたことを覚えている。雪は、雪掻きと呼べるほど風流なものではなく、なるべく速く、遠くへ投げたい邪魔者なのである。雪投げや雪はねは生活実感を伴ったその土地で見事に通用する言葉だと感心した。


 夏の炎天下、麦藁帽・作業衣姿で土佐山田の我が家の庭の雑草と格闘していると、ご近所の方が「そんなところで働いていたら焦げる。朝か夕方に仕事をすりゃええ」と独特のアクセントで言われた。東京では真夏の日差しでも「日に焼ける」で通用するが、ここ高知では本当に「焦げる」という表現が最も適していると感じた。


 言葉にはその地域の歴史・風土や生活実感が込められている。そしてその言葉は共通語よりも豊かな表現力を持っている。土佐弁ではなく、土佐語と名付けるべきであると思っている。                                               [suzuki@joho-kochi.or.jp]


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・高知と韓国

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

 {高知と韓国}          「ぷらっとウオーク」                  情報プラットフォーム、No.178、7(2002)   

 

  田内千鶴子さんの記念碑が1997年10月に出来た。生誕の地に近く、五台山の見える橋のたもとである。高知に来て、知寄町二丁目のマンションに私達が住んで間もなくの頃である。そこは散歩の距離である。動乱の中で行方不明になった韓国出身の夫の意思を継ぎ、木浦共生園で3000人の孤児を守り育てた彼女は韓国孤児の母と慕われている。


  晋州(Chinju)公立農業学校の校長を20年間、務めた今村忠夫さんの頌徳碑が土佐市の彼の旧家の跡、土佐市民病院前に建っている。彼は戦前、日本統治の厳しい時代に、民族の違いで分け隔てをしない親身の教育を行った。今なお多くの人々からの尊敬を集めており、日韓両国の教え子達により十数年前に建立されたものである。


 このように高知は韓国と深い縁があって、高知工科大学や高知大学は、晋州産業大学(前身が晋州農業学校)との間で学術交流協定を結んだのである。共同開催のワールドサッカーの報道を聞く度に思い出されるのである。


 注:奥物部に矢筈峠、別名アリラン峠がある。強制労働で日本に連行された人たちが、戦後、道路開削工事に従事したとき、故郷を偲んでその名を付けたと案内書にある。何があったのかと思い悩む地名である。                        [suzuki@joho-kochi.or.jp]


鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」 ・・・ホームページ

2010-11-20 | 鈴木朝夫の「ぷらっとウオーク」

 {ホームページ}     「ぷらっとウオーク」                情報プラットフォーム、No.177、6(2002)      

PCimage07.jpg

 

 サーチエンジンで検索できることは素晴らしい。昔は、ほんの少し前までは、図書館に、本屋に走らなければならなかった。このシリーズを書くに当たって最大限に活用している。不確かなものを確認できることは、書くときの自信につながる。新しい発見もある。

  「めだか」を聞いて内容を確認できたのは、落語の収集をなさっている忠三郎さんを探し当てることが出来たからである。秩父三十四カ所観音巡りを成し遂げ、次は四国八十八カ所に挑戦したいとのホームページの記述が、テープの音源を厚かましくお願いするきっかけを作って呉れたように思う。

この大型連休の始めから四国へ向かう予定とのメールを頂いた。高知を通過するときは是非とも電話を下さいとお願いした。お会いできるのが楽しみである。(記:4月24日)


  お会いすることができなかった。遠慮されたのである。連休明けに携帯に電話をして見ると既に今晩は須崎市安和の泊まり、明日は三十七番札所岩本寺を打つ予定とのこと。遅すぎた、しまったとの思いである。時々、携帯で連絡をと反省している。(記:5月12日)
                                                        [suzuki@joho-kochi.or.jp]