極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

麒麟と鼈

2021年02月13日 | 近江歴史回廊



彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救
ったと伝えられる "招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤
備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした
部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクタ
ー。愛称「ひこにゃん」


                    
15 衛霊公 えいれいこう
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「人、遠慮なければ、必ず近憂あり」(12)
「これをいかん、これをいかんといわざる者は、われこれをいかん
ともするなきのみ」(16)
「君子はこれをおのれに求む。小人はこれを人に求む」(21)
「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」(30)
「仁に当たりては、師にも譲らず」(36)
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26.わたしの若いころには、心ある記録官なら、疑問の個所にぶ
つかれば空欄のまま残しておいたし、新たに馬を求めた者は、その
道の人にまず調教を依頼したものだが。これも今では語り草だよ。
(孔子)

子曰、吾猶及史之闕文也、有馬者借人乘之、今則亡矣夫。
Confucius said, "Could I refer to a lost tradition? Ancient
people lent their horse to others willingly. Nobody does it
nowadays."



日本文明を環境的側面から解明
元国土交通省河川局長として、日本のダム・河川事業に辣腕を振る
い、退官後はベストセラー「日本の謎は『地形』で解ける且PHP文
庫)を執筆するなど、作家としても活躍する竹村公太郎氏は、日本
文明を下部構造の環境的側面から解き明かすシリーズ。21世紀は
地球温暖化で海水面が上昇し、大規模季節変動する「海進時代へと
反転する時代」であるが、人工的環境問題の解決のために、国土交
通インフラとして何を準備すべきかそのヒントを探ってきた。今夜
は、シリーズ『日本文明を環境から解き明かす』(環境ビジネス、
2021年冬季号)より「桓武天皇の鬼門」➲「恐怖した比叡山の地
形」➲「上町台地と湿地帯」を通して「未来都市×国土基盤整備」
について考えてみる。
ところで、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』がこのコロナ禍で放送
が終了したが、亀山市ではご当地ドラマとして観光で盛り上がらな
いため「麒麟がこなかった」との落胆の声がきかれる。そもその麒
麟とは、アフリカ特産のきりん科の哺乳(ほにゅう)動物。くびと足
が長く、獣の中で一番背が高く、六メートル近い。からだは白また
は淡黄褐色で、褐色か黒褐色の大きなまだらがある。木の葉や芽を
食べる動物で、英語でジラフと呼ぶ。また、中国神話に現れる伝説
上の動物(瑞獣)の一種。泰平の世に現れる。獣類の長とされ、鳥
類の長たる鳳凰と比せられ、しばしば対に扱われる。ただし『淮南
子』によれば、応竜は建馬を生み、建馬は麒麟を生み、麒麟は諸獣
を生んだのに対し、鳳凰は鸞鳥を生み鸞鳥が諸鳥を生んだとされて
おり、麒麟と対応するのは正確には鳳凰より生まれた鸞鳥となって
いるが、日本語と朝鮮語では、この伝説上の動物に似た実在の動物
も「麒麟」(キリン)と呼んでいる。ビールメーカーのロゴでもお
なじみの幻獣で、麟は仁を重んじる聡明な存在であり、優れた王が
世を治めるときに出現するといわれており、戦乱の世に平穏をもた
らす“麒麟”を呼ぶのは誰なのか。そんな意味が大河ドラマのタイ
トルには込められているという。
滋賀県は2019年はの県内観光客数(速報値)が前年比132万
3300人(2・7%)増の延べ5394万9700人となり、過
去最多を更新したと発表した。5千万人の突破は4年連続で、この
うち宿泊客数は408万2300人となり、初めて400万人を超
えた。甲賀市信楽町を舞台にしたNHK連続テレビ小説「スカーレ
ット」の放送効果などが誘客につながったとみている。 ところで、
1986年に再建された福知山城天守閣(福知山市内記)の入館者
が、累計で120万人を突破した。城にゆかりの戦国武将・明智光
秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」が放映さ
れた効果で入館者が伸び、セレモニーでは関係者らが来館者ととも
に祝っている。が、滋賀県はどうだったのか。

信長の比叡山延暦寺焼き討ちの背景
1467年の応仁の乱をきっかけに日本全国で武士たちは領地を奪い合
う戦国の世に入っていた。1560年、日本中に衝撃的なニュースが流
れた。足利将軍家を支え、将軍職をも織ぐ実力を誇っていた今川義
元が討たれた。それもたった26歳の織田信長という若造に桶狭間の
山中で討たれたと。1562年、その信長は徳川家康と同盟を結び、濃
尾、尾張地方をまとめた。1568年、信長は頼ってきた足利義明を奉
じ上洛した。足利義昭は第15代将軍に就任。
1570年、信長、家康連合軍は琵琶湖を勢力圏にしていた浅井、朝倉
連合軍を姉川の決戦で打ち確り、朝倉軍は越前に逃げ込み、浅井軍
は小谷城に逃げ込んだ。それを見届けると、1571年、信長は直ちに
比叡山焼き討ちに向かっていった。僧侶といわず女人、子供までも
殺害し、寺院を焼き払ったと伝えられている。寺社の焼き払いの程
度の真偽はともか信長が比叡山の僧侶たちを壊滅させたことは事実
であった。なぜ、信長は神仏を恐れぬ比叡山延暦寺焼き討ちを行っ
たのか?



地形を怖れる信長
信長の延暦寺焼き討ちの理由は、さまざま語られている。延暦寺の
僧侶達が浅井氏に味方したため。信長はキリスト教を庇護しようと
したため。僧侶たちが仏道の戒めを依っていたので懲らしめるため。
寺社勢力の商業利益を我がものにするため。古い権力のシンボルを
破壊するため。などなどと上部構造の人文社会からの解釈は限りな
く広がって行く。しかし、下部構造から見ると、ぶれは少なく単純
となる。下部構造とは地形である。信長は、逢坂と比叡山の地形に
怯えていた。比叡山は京への侵入口の逢坂を見下ろしていた。最強
の織田軍団は、この大津から京都へ超えていく逢坂の地形を嫌った。
(図1)が逢坂と比叡山の位置同である。峠はどこも狭い。馬1頭、
せいぜい2頭が並ぶ程度の幅でしかない。このような峠越えでは、
軍の隊列は細長く伸びきる。そのような時、大将隊を横から攻撃し
て、前後の隊を切り離してしまえば、大軍はまったく役に立だない。
孤立した大将隊は簡単に崩壊してしまう。歴史上、そのことを一番
よく知っていたのが、織田信長その人であった。12年前、少数の信
長軍は袖狭間の戦いで、圧倒的な大軍の今川義元を討ち取った。桶
挟間の山中で今川隊が仲びきったところを、大将隊のみを狙って襲
撃した。戦国の世を制するには、京に上洛し、朝廷を抑えなければ
ならない。上洛するには、この挟い逢坂の峠を通らなければならな
い。その逢坂峠では、比叡山の僧兵が山猿のように、俊敏に飛び、
駆けめぐり、侵入費を手ぐすねを引いて待ち構えていた。

桓武天皇の鬼門
信長がこの逢坂を通過する800年前、この逢坂を怖れた天皇がいた。
それが桓武天皇である。西暦784年、桓武天皇は奈良盆地の平城京を
出て地形が開けた長岡京へ遷都した。長岡京は保津川、桂川、木津
川3川が合流する巨椋池のほとりであった。舟運の便がよく、稲作
に適し、淀川流域の森林にも恵まれていた。この地形が開けた長岡
京には、大きな欠点があった。東北の方角に危険な地形があった。
それは大津に通じる逢坂峠であった。畿内より先の東北は、いまだ
完全に制圧していない。その東北の人々は「夷」と呼ばれ、桓武天
皇はこの夷を恐れた。そのため、長岡京へ遷都したその年の784年、
大伴
大伴弟麻呂おおとものおとまろを征夷大将軍に任じた。役目はその名前の通り「夷
を征伐する」大将であった。桓武天皇は夷を征伐する武士軍団を東
北の地へ送り込んだ。桓武天皇は東北を攻めると同時に、東北から
長岡京への侵入口の逢坂峠を恐れた。その逢坂を「鬼門」とした。
逢坂を見下す比叡山に延暦寺を創建し、僧侶集団を配置した。それ
以降、延暦寺の僧侶達は武力を備え、東北から京へ侵入する者を監
視し、京を守らせた。

恐怖した比叡山の地形
比叡山焼き討ちの4年前の1568年、信長は足利義昭を奉じて上洛し
た。足利家は朝廷を支えてきた名門である。足利義昭は比叡山の僧
兵に対する人質であり盾であった。その僧兵軍団が見下ろすなか、
逢坂峠を越えてどうにか上洛した。その時、信長は逢坂の地形に恐
怖した。信長のその恐怖は、今川義元に桶狭間で味あわせた死の恐
怖であった。信長が琵琶湖周辺を制した直後、比叡山焼き討ちに向
かったのは当然であった。信長の比叡山焼き討ちの謎は、それほど
難しくはない。京への入口の逢坂峠を自由に行き来する。それが目
的であった。
比叡山焼き討ちの後、信長は足利義昭を追放して、室町幕府を完全
に崩壊させた。比叡山から僧兵は一人残らず消え、もう、義昭を盾
に使う必要もなくなっていた。信長が戦う地形はもう一つあった。
大坂の上町台地であった。



上町台地と湿地帯
21世紀の現在、上町台地は大阪のビル群のために上町台地の地形は、
人々の目には入りにくい。大阪の地形を(図2)で見ると、上町台
地が大阪平野の中に突き出ていることが見事に分かる。この図で、
海面を5メートル上昇させると、6,000年前の縄文海進となる。大
阪平野は海の下となり、上町台地だけがポツンと海の上に浮かぶ姿
となる。この地形が、信長が本願寺一党にてこずった理由であった。
上町台地は、地形上、難攻不落の土地であった。

中世から近世にかけ、日本の沖積平野はどこも不毛の地であった。
何しろ海だった低地に土砂が貯まっただけだ。少しでも雨が降れば、
北からは淀川が、南からは大和川が流れ込んできた。水は行き場を
失いそこで溢れ、この一帯は水はけの悪い湿地帯となっていた。
信長は津島で生まれ、清州から社会に出ていった。いずれも濃尾平
野の下流部の湿地帯に位置していた。湿地に育った信長は、湿地の
防御性と舟で素早く動ける機動性を熟知していた。
その信長が天下取りのために狙った地形が、湿地帯に囲まれた上町
台地であった。何しろ湿地では、大勢の兵隊を乗せた大船は動けな
い。小舟で近寄ってくる兵隊も、上陸する際には沼地に足をとられ
て身動きできない。そうなれば、台地の上から矢を射ぬかれ放題と
なってしまう。この上町台地に攻め入るには、台地の南の天王寺目
しかない。防御する側は、その尾根の入り目をしっかり固めさえす
ればよかった。1570年から1580年の11年間、信長はこの上町台地の
本願寺を攻め続けた。当時、最強の信長軍団が11年間も、本願寺の
信徒たちにてこずっていた。結局、信長は上町台地の本願寺を落せ
ず、朝廷の斡旋で和睦することとなった。
信長からの和睦の条件はただ一つ。本願寺はこの上町台地から出る
ことであった。その条件に従って、本願寺は上町台地から撤退し、
本願寺戦争は終結した。本願寺一党は信長に負けなかった。それは、
上町台地の地形が信長に負けなかった理由であり、これが後の徳川
と秀頼が戦った大阪城であった。

天下統一の大坂城
本願寺との和睦が成り、上町台地を自分のものにした直後、信長は
本能寺で急逝した。そのため、信長の上町台地の狙いと執着を、直
接証明することは出来ない。しかし、この信長の上町台地への狙い
は、豊臣秀吉の行動が証明している。
秀吉は、天王山で明智光秀を破った直後に、大坂城の建設に着手し
ている。信長の側近だった秀吉は、信長の案を自分のものにした。
1614年から1615年、徳川家康は大坂冬の陣と夏の陣で豊臣家と闘っ
た。家康の大坂城攻めは困難に陥った。真田幸村をはじめとする武
将以上に強かったのは、上町台地の地形であった。家康の敵は難攻
不落の上町台地の大坂城となった。信長は、湿地に囲まれた上町台
地と戦った。秀吉は、その上町台地に大坂城を築城して、上町台地
を味方にした。家康は、信長と秀吉の二人が創り上げた大坂城に苦
しみ、それをやっと陥落させた。
家康は信長と秀吉の上町台地を克服することで、真の天下人となれ
た。大坂城の上町台地は、信長、秀吉そして家康が、天下覇権をかけ
て闘った戦国100年を象徴する地形であった(竹村公太朗著「地形
を恐れ、地形と戦った信長」2021.WI環境ビジネス)。

わたしは、ブログ『彦根市民の飲み水を守る会』で安土城と織田信
長についてその思いを綴っているが、「兵站と地形」からの戦略の
観点は抜けている(むしろ鉄砲より火力・破壊力が強い大砲への転
換という戦術的側面に重点をおいている)。

  

ポストエネルギー革命序論 248:アフターコロナ時代 58
現代社会のリスク、エネルギー以外も「分散の時代」



 命を救う“驚異の数学”
数学なんて将来の役に立たないなんてとんでもない!10年かけて数
学の超難問(➲波の散乱の逆問題を数式で)を解明し人の命を救
った神戸大学教授で、起業家、発明家の木村建次郎氏。特技は数学
を駆使し「見えない物を透視する」こと!今まで見つけにくかった
タイプの乳がんや、リチウム電池の発火原因となる内部の異常、ト
ンネル事故につながるコンクリート内部のひび割れなどを可視化す
る製品を次々と発明。

ところで、「散乱の逆問題」とは、いったいどんなものなのだろう
か。木村教授は、散乱波による計測を、わかりやすい例えで説明す
る。「眼の前に大きな湖があって、その湖面の真ん中あたりに鉄塔
が立っているとする。湖の上には霧が立ち込めていて、湖岸から鉄
塔はまったく見えない。そこで、湖岸のある場所で水面を揺らして、
湖全体に波を送る。波はやがて(霧で見えない)鉄塔に到達し、一
部はすり抜け、それ以外は反射されて、様々な方向に散らばってい
く(これが波の散乱)。そうして戻ってきた散乱波を湖岸のあらゆ
る場所で観測し、どの場所でどんな強さの波が、いつ届いたのかを
データとして記録。それらのデータを解析することで、鉄塔が湖の
どの場所にあり、どんな形・大きさをしているのかを理論的に決定
できるだろうか。これが『散乱の逆問題』と呼ばれる問題。

世界初マイクロ波マンモグラフィ
この「散乱の逆問題」という、解決不可能と考えられてきた超難問
を、世界で初めて解いてみせた。木村教授は、多重経路の散乱場を
五次元の方程式で記述し、その解を求めることに成功。さらに「時
間と空間の極限操作」という手法を使って、散乱をおこす物体の三
次元形状を求める関数を導き出した。これを数式にしたのが下図。



「多重経路散乱場の逆解析」と呼ばれるこの理論は、学問上の成果
であるだけでなく、「散乱場の逆解析」という理論を実用的な応用
につなげる、革命的なブレークスルーとなり、世界の非破壊検査の
トップランナーに踊りでる。これで、医学だけでなく、電気自動車
のバッテリー解析検査として席巻してしまった「応用数学」でもあ
り、NHK技術研究所の4・8Kテレビジョン技術と融合する、デ
ジタル革命渦論での第4次産業(図画像処理技術)の成長に大きく
貢献する。



木村建次郎(Kenjiro Kimura):神戸大学数理データサイエンス
センタ教授。京都大学大学院で電子工学を専攻、博士課程を修了後、
JSTさきがけ研究者・A-STEP研究責任者を経て、神戸大学に着任。
2018年から現職。一貫して「モノの中を見る技術の開発」に理論と
実践の両面から取り組む。画期的な理論に裏付けられた成果の応用
先は、蓄電池、トンネル壁面、構造物、人体など多岐にわたる。
2012年、株式会社Integral Geometry Scienceを設立し、開発した
検査機器の製品化と社会への展開にも取り組む。

❐ WO2014129151A1 分布解析装置および分布解析方法
【概要】分布解析装置(20)は、センサ感受領域を介してセンサ
感受領域の回転角度毎および座標位置毎に独立して測定された場の
測定データを取得する取得部(21)と、場の分布を示す対象調和
関数と、測定面に平行な平面に対する有界なセンサ感受領域(34)
の断面の形状を示す形状関数との合成積が、測定面に垂直な方向に
対するセンサ感受領域の大きさと、場の測定データとを用いてラプ
ラス方程式を解くことで導出される暫定調和関数に等しいことを条
件として用いて対象調和関数を導出することで得られる演算式を用
いて、場の測定データから場の分布を算出する算出部(22)とを
備える。

❐JP6557747B2散乱トモグラフィ方法および散乱トモグラフィ装置 
【概要】従来、生体や建築物等の物体内部の情報を映像化する方法
として、X線CT(X線トモグラフィ)、MRI、PETなどの方法
が用いられている。具体的には、光、テラヘルツ、ミリ波、マイク
ロ波のような電磁波あるいは超音波、音波、弾性波などのフォノン
のような波動を観測対象物である生体や物体、あるいはプラズマに
照射し、その散乱波(反射波)を観測し解析することで、生体内部
や固体内部、あるいは、プラズマの内部の情報を映像化している。
また、最近では、波動に代えて磁場を用いて、生体や物体内部の情
報の映像化も行われている。一般的に、これらの方法では、物体O
に電磁波や超音波のような波動uを照射し、物体Oの回りの多数の
場所で物体Oから散乱される散乱波pを観測し、得られたデータを
映像化するという技術が採用されている(例えば、特許文献1〜3、
非特許文献1〜3参照)。特許文献1に記載の技術は、電波を用い
て物体内部の情報の映像化を行うものである。円周上に配置された
センサ素子で観測される散乱波のデータを、導電率や誘電率等のパ
ラメータで修正しながら、データの取得を繰り返し、映像化するも
のである。特許文献2に記載の技術は、超音波フェーズドアレイ技
術である。超音波センサ素子で受信した超音波のデータを平均ベク
トルで補正し、映像化するものである。特許文献3に記載の技術は、
物体に超音波を平面的に照射し、センサ素子で受信した超音波のデ
ータを映像化するものである。曲面形状の物体内部の情報について
は、観測データ数を増加したり近似や補正を行ったりすることで映
像化する。
非特許文献1に記載の技術は、マルチパスリニアアレイレーダに関
する技術であり、コンクリート内部の欠陥等の情報の映像化を行う
ものである。対象物の表面にセンサ素子を配置し、照射された波動
の散乱波をセンサで観測し、観測データを解析し映像化するもので
ある。
非特許文献2に記載の技術は、超音波を用いて物体内部の情報の映
像化を行うものである。物体に超音波を照射したときの散乱波を観
測し、観測データをボルン近似(キルヒホフ近似)して映像化する
ものである。
非特許文献3に記載の技術は、曲面上に設置したセンサ素子で得ら
れる散乱波を観測し、センサ素子ごとに得られる時間波形データを、
事前に取得したデータと比較し映像化するものである。
特開2003−177656号公報 /特開2009−288129
号公報/特開2004−512117号公報







トンネル覆工コンクリート検査用3次元映像化レーダを開発、三井
造船技報、No.184、p24、2005年2月 リニアアレイ
探触子を用いた欠陥形状イメージング法の開発、日本機械学会、講
演論文集、P679、2005年9月 可撓性アレイプローブを用
いた不規則面からの内部きずの超音波映像化、信学技報2012年
6月 ここで、物体に波動を照射した際に生じる散乱現象は、演算
子を用いて表すことができる。例えば、物体O、照射波u、観測デ
ータpで表される物理方程式を、演算子Aを用いてp=Au[O]
と表すことができる。ここで、物体O、照射波u、演算子(システ
ム関数)Aが既知である場合に、観測データpを求める問題は、順
方向問題と呼ばれている。順方向問題は数学的基盤が確かな方法で
あり、その解を求めることは普通の物理の教科書に書いてある方法
で可能である。 これに対して、医療や産業上で重要な課題は、照射
波u、システム関数A、観測データpが既知である場合に物体Oが
何であるかを求める問題である。この問題は、物理現象の因果関係
を逆方向に辿るという意味で、逆方向問題と呼ばれ、O=Au −1
[p]と表すことができる。波動を物体に照射したときの散乱波を
観測し解析して物体内部の情報を映像化するという方法(散乱トモ
グラフィ)は、この逆方向問題を利用するものである。 逆方向問題
は、順方向問題のように数学的基盤が確かな方法ではなく、現在ま
で確立した理論というものがないため、容易に解く事ができないと
いう問題がある。したがって、逆方向問題を利用して物体内部の情
報を映像化する方法では、例えば、物体の曲面形状等の条件が変わ
るたびに、理論や装置内部の構造等を変えてデータを再取得したり、
取得したデータを補正したりする必要がある。そのため、逆方向問
題を利用して物体内部の情報を映像化する方法は、汎用的な使用が
難しい。また、データを再取得したり補正したりする必要があるた
め、計算速度の遅延やメモリの大量使用という問題がある。そこで、
本発明は、逆問題の解析を汎用的かつ高速に行い、物体内部の情報
を簡便に映像化することができる散乱トモグラフィ方法および散乱
トモグラフィ装置を提供することを目的とする。上記の課題を解決
するため、本発明に係る散乱トモグラフィ方法は、物体に放射した
波動の散乱波を解析する散乱トモグラフィ方法であって、前記波動
を、曲面上に配置された複数の送信アンテナ素子から前記物体に放
射するステップと、前記散乱波を、曲面上に配置された複数の受信
アンテナ素子により受信するステップと、前記受信アンテナ素子に
より受信した散乱波を示す散乱波データを境界条件として用い、前
記物体の内部情報に関する画像を再構成するステップとを含み、前
記画像を再構成するステップにおいて、前記物体の内部情報に関す
る画像を再構成するための、後述する(式5)に定義される関数φ
をあらかじめ設定し、前記関数φが満たす、後述する(式10)に
定義される方程式を構築し、測定により得られた前記散乱波データ
から、前記方程式を解くことにより得られる、後述する(式24)
に定義される映像化関数ρを導出し、前記映像化関数ρにより、前
記物体の内部情報に関する画像を再構成する。また、本発明に係る
散乱トモグラフィ方法は、物体に放射した波動の散乱波を解析する
散乱トモグラフィ方法であって、前記波動を、曲面上に配置された
複数の送信アンテナ素子から前記物体に放射するステップと、前記
散乱波を、曲面上に配置された複数の受信アンテナ素子により受信
するステップと、前記受信アンテナ素子により受信した散乱波を示
す散乱波データから、前記物体の内部情報に関する画像を再構成す
るステップとを含み、前記画像を再構成するステップにおいて、前
記物体の内部情報に関する画像を再構成するための、後述する(式
27)に定義される関数φをあらかじめ設定し、前記関数φが満た
す、後述する(式39)に定義される方程式を構築し、測定により
得られた前記散乱波データから、前記方程式を解くことにより得ら
れる、後述する(式52)に定義される映像化関数ρを導出し、前
記映像化関数ρにより、前記物体の内部情報に関する画像を再構成
する。これにより、画像を再構成するステップにおいて、関数φの
設定は、3次元空間を対象に行われるので、曲率の大きい曲面を有
する対象物の内部情報をより精度よく高速に映像化することができ
る。これにより、任意曲面上にセンサ素子を配置した解析モデルに
おいて逆問題用の偏微分方程式を設定し、これを解くことで、曲率
の大きい曲面を有する対象物の内部情報を汎用的かつ高速に映像化
することができる。また、前記映像化関数は、高速フーリエ変換を
用いて導出されてもよい。これにより、解析データの取得を高速に
行うことができるので、対象物の内部情報を高速に映像化すること
ができる。また、前記波動は、電磁波または超音波であってもよい。
これにより、汎用的かつ簡便な方法で、曲率の大きい曲面を有する
対象物の内部情報を映像化することができる。また、前記波動は、
パルス波または所定の周波数を有する周期波であってもよい。これ
により、汎用的かつ簡便な方法で、曲率の大きい曲面を有する対象
物の内部情報を映像化することができる。上記の課題を解決するた
め、本発明に係る散乱トモグラフィ装置は、物体に放射した波動の
散乱波を解析する散乱トモグラフィ装置であって、曲面上に配置さ
れ、物体に波動を放射する複数の送信アンテナ素子と、曲面上に配
置され、前記放射された波動が前記物体において散乱した散乱波を
受信する複数の受信アンテナ素子と、前記受信した散乱波を示す散
乱波データから、前記物体の内部情報に関する画像を再構成する画
像再構成部とを備え、前記画像再構成部は、前記物体の内部情報に
関する画像を再構成するための、後述する(式5)に定義される関
数φをあらかじめ設定し、前記関数φが満たす、後述する(式10)
に定義される方程式を構築し、測定により得られた前記散乱波デー
タから、前記方程式を解くことにより得られる、後述する(式24)
に定義される映像化関数ρを導出し、前記映像化関数ρにより、前
記物体の内部情報に関する画像を再構成する。これにより、任意曲
面上にセンサ素子を配置した解析モデルにおいて逆問題用の偏微分
方程式を設定し、これを解くことで、曲率の大きい曲面を有する対
象物の内部情報を汎用的かつ高速に映像化することができる。また、
本発明に係る散乱トモグラフィ装置は、物体に放射した波動の散乱
波を解析する散乱トモグラフィ装置であって、曲面上に配置され、
物体に波動を放射する複数の送信アンテナ素子と、曲面上に配置さ
れ、前記放射された波動が前記物体において散乱した散乱波を受信
する複数の受信アンテナ素子と、前記受信した散乱波を示す散乱波
データから、前記物体の内部情報に関する画像を再構成する画像再
構成部とを備え、前記画像再構成部は、前記物体の内部情報に関す
る画像を再構成するための、後述する(式27)に定義される関数
φをあらかじめ設定し、前記関数φが満たす、後述する(式39)
に定義される方程式を構築し、測定により得られた前記散乱波デー
タから、前記方程式を解くことにより得られる、後述する(式52)
に定義される映像化関数ρを導出し、前記映像化関数ρにより、前
記物体の内部情報に関する画像を再構成する。これにより、画像を
再構成するステップにおいて、関数φの設定は、3次元空間を対象
に行われるので、曲率の大きい曲面を有する対象物の内部情報をよ
り精度よく高速に映像化することができる。また、前記画像再構成
部は、高速フーリエ変換を用いて前記映像化関数を導出してもよい。
これにより、解析データの取得を高速に行うことができるので、対
象物の内部情報を高速に映像化することができる。また、前記波動
は、電磁波または超音波であってもよい。これにより、汎用的かつ
簡便な方法で、曲率の大きい曲面を有する対象物の内部情報を映像
化することができる。また、前記波動は、パルス波または所定の周
波数を有する周期波であってもよい。これにより、汎用的かつ簡便
な方法で、曲率の大きい曲面を有する対象物の内部情報を映像化す
ることができる。本発明により、逆問題の解析を汎用的かつ高速に
行い、物体内部の情報を簡便に映像化することができる。 図1は、
本発明の基礎となった技術について説明するための解析モデルであ
る。図2は、図1に示した解析モデルをさらに簡略化した図である。
図3は、実施の形態1に係るマルチパスアレイレーダの構成を示す
概略図である。図4は、実施の形態1に係るマルチパスアレイレー
ダの動作を示すフローチャートである。図5は、実施の形態1に係
る散乱トモグラフィ方法の原理を説明するための解析モデルである。
図6は、実施の形態1に係る散乱トモグラフィ方法の原理を説明す
るための解析モデルである。 図7は、実施の形態1に係る散乱ト
モグラフィ方法の原理を説明するための解析モデルである。 図8
は、実施の形態1に係る散乱トモグラフィ方法の原理を説明するた
めの解析モデルである。 図9は、実施の形態1に係る散乱トモグ
ラフィ方法による解析のための解析モデルの例である。 図10A
は、図9に示した解析モデルにおける散乱波データである。図10
Bは、図9に示した解析モデルにおける散乱波データである。 図
11Aは、図9に示した解析モデルにおいてcurvfactor
0のときのMPLA Radarによる観測データである。 図11
Bは、図9に示した解析モデルにおいてcurvfactor0の
ときのMPCLA Radarによる観測データである。 図12A
は、図9に示した解析モデルにおいてcurvfactor7.0
2のときのMPLA Radarによる観測データである。 図12
Bは、図9に示した解析モデルにおいてcurvfactor7.
02のときのMPCLA Radarによる観測データである。 図
13Aは、図9に示した解析モデルにおいてcurvfactor
14.04のときのMPLA Radarによる観測データである。
図13Bは、図9に示した解析モデルにおいてcurvfactor
14.04のときのMPCLA Radarによる観測データである。
図14は、実施の形態2に係る散乱トモグラフィ方法の原理を説明
するための解析モデルである。 図15は、実施の形態2に係る散乱
トモグラフィ方法の原理を説明するための解析モデルである(後略)。
※JPWO2014125815A1:Scattering tomography method and scattering
tomography apparatus





生物学的ヒト脳細胞
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風蕭々と碧い時代:
金木犀の花 (作詞・作曲):伊藤俊吾、編曲:キンモクセイ・
村山達哉・桜井秀俊
キンモクセイの15作目、そして活動休止前に発表した最後の
シングル。2007年10月24日発売。



1998年に結成された神奈川県相模原市出身の5人組バンド。幾多の
メンバーチェンジを経て、2001年10月にシングル「僕の行方」でデ
ビュー。2002年にリリースした「二人のアカボシ」のヒットでNHK
『紅白歌合戦』への出場経験もあるが、2008年に一旦活動を休止。
以後は個人で音楽活動を続け、5人全員が集まったのは2011年に東
日本大震災の被災地支援アルバムの新曲を録音した1日だけだった。
そして2018年9月中旬、本格的に活動を再開することを発表した。
「キンモクセイ」というバンド名の由来は、ボーカルの伊藤が幼い
頃から家の前にあったキンモクセイの香りが好きだったから。その
香りを嗅ぐと昔の記憶が蘇って懐かしい気分になり、自分たちが作
っている音楽もそういう懐かしい感じということで命名した。1970
年代の歌謡曲やニューミュージックなどの音楽をこよなく愛し、そ
こに色々な要素を取り入れて、懐かしいが新しい”キンモクサウン
ド”を作り出している。歌詞については情景描写がテーマで、「一
つでも多くの情景を誰かと共感してみたい」という気持ちが、言葉
数の多さや細かいディテールの多さに表れている。via Wikipedia

※金木犀の自家製の香水は近似百%のエタノールに毎年11月に摘ん
だ花をつけ込みオーデコロンとして使っていて、何らアレンジメン
トを施していない。微かな残り香がオリジナル。
この年は、倖田來未、浜崎あゆみ、ミスチル、KAT-TUN、大塚愛、
コブクロなど第2のジャパンポップ時代を呈した。ノラ・ジョーン
ズ(Norah Jones)の『ノット・トゥ・レイト』を思いだすのも一
苦労である。

● 今夜の寸評:麒麟と鼈
月と鼈(丸いという共通)は聞くけれど、麒麟と鼈(信長と秀吉)
は聞かない。^^; フロンガスとオゾン層
破壊のように現在の温暖
化問題も考えられないものかとこの言葉が頭に降りてきた。心配な
い!仲間はいると。


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