今、大文字の送り火が始まった。
今年の大文字の送り火は、今日の日を迎えるまえに放射能汚染の問題で大きくマスコミを賑わしてしまい、保存会の周囲では早く今日の日を迎えたいと思う人が多かったのではと思う。
今回の放射能汚染の問題はモンスター・シチズンの存在が見え隠れしたし、保存会と京都市との軋轢も出てきたし、保存会内部の意思決定の難しさも露呈したし・・・・そして傲慢さや無責任さなども折々に・・・・
大文字の送り火に限らず、祇園祭・時代祭・葵祭など沢山の伝統行事が生活の中にはいりこんでいる京都・京都市民にとって、今回の問題は改めて「伝統行事」の立ち位置を考える機会になったのではと思う。
千年の都・京都が営々と築き上げてきた伝統や生活様式は、本来、宗教的意味合いや生活共同体の産物であったりしたのだろうが、今の時代、もはやそれは地域のものでなく、ましてや京都のものでもなく、国民の財産として考えるべきなのではと思う。
そのことを保存団体や実施団体そして京都市は真摯に考えていただきたいと願う。
「日本に京都があってよかった」というキャッチ・コピーが京都市の傲慢だと批判されたことがあるが・・・
「日本に京都が残っていてよかった」と日本国民に思われるようになりたいものだ。