今日はジョグの後、フラッと先斗町までブラブラ歩きをした。5,6年前に先斗町の始業式でご挨拶させていただいた時に、僕の幼い頃の話を引きあいに出し、「子供ながらに、この町は憧れの街でした・・・」とお話したのを記憶しているが。
僕の子供時分から50年経って、随分と街の様子も変わって来た。お茶屋さんが立ち並ぶ雰囲気から若い方が入りやすいお店が大勢を占めてきた。
歴史的には、高瀬川水路の開発が原点にあり、運河による商業の興隆でその界隈に材木屋さんとかが沢山集まって来られ、木屋町が出来たと言われる。
すると次に必要になるのはいつの世も、飲食の場になる。
ちょうど、木屋町の裏側、鴨川との間に位置する先斗町(鴨川に突き出た街とかの意味らしい)は恰好の飲食の場になった。
職住接近ならぬ職飲接近というわけだ。もちろん、初めは祇園町のような花街でなく、芸妓さんもおられなかったので、当時、興隆していた二条新地(丸太町鴨川あたり)から芸妓を呼んできて接待をされていたらしい。
歴史を知ると時代の要請で常に変遷していく先斗町の今の様はなるほどと納得させられる。同じ花街でも祇園とはまた違った新しい時代の花街なのかもしれない。
ところで、ポントチョウと読むが、「ポント」とはポルトガル語で岬の意味らしい。誰が名づけられたのか知らないが、新しい街らしいネーミングだ。