重いテーマだけれど、少し違う視点から・・・・
今日、千葉の女子大生殺害事件の裁判員裁判で、被告に死刑が言い渡された。
従来、死刑の判決基準は「永山基準」というのが存在して、概ねそれにのっとって判断されていたというが、今回は被害者一人の事件での死刑判決となった。裁判官は「亡くなった被害者が一人であるとか、計画性がないということは極刑回避の決定的な事情にはならない」と説明している。
たしかにそうかもしれないけれど・・・・・
僕は死刑を廃止すべきか維持すべきか確固たる意見をもってないけれど・・・・昔から仇討を是とする思想もあるが本来、日本人は何事にも「受け入れ」・「受容」の精神を潜在的に持った心穏やかな人種だと思う。
だから、こういう事件の場合に西欧のキリスト教社会での死刑論と少し違う考えが仏教・神道の日本にはあるのではと思う。
それは、罪を犯した人間に対して、「その罪の深さを考え、自らを処しなさい」という考えが根底に流れているような気がする。
したがって、まずは行為の反省と場合によっては「自ら死を選ぶ」選択までをも加害者に委ねているように思えてならない。
今日の判決を聞きながら、そんな事を考えていた。