『満開の 桜ずずんと四股を踏み われは古代の 王として立つ』
(佐々木 幸綱)
四年振りに 新型コロナウイルス感染症対策を講じ乍ら
「第62回大和郡山.お城まつり」史跡 (郡山城跡)
(城下町一帯)で 通常開催となりました
[大和郡山お城祭り]は昭和36年(1961)に観光協会会長
広瀬元次郎が始めた [数珠くり法要]が起源と言われ~
[数珠くり法要]は 石垣の中にある 石仏や城史有縁の
諸霊を慰めた様です. 当初5月5日の子供の日に実施.
明治40年(1907)から 桜が見ごろを迎える時期に
行われていた(金魚品評会)に合わせて催されています.
大和郡山城の桜は 天正13年(1585)に 豊臣秀吉が
談山神社を多武峰から郡山城下に移した際に一緒に
移したのが 起源とも言われています.
*談山神社は天正18年(1590)に戻りました.
通常開催になった [第62回大和郡山お城まつり]の
*4月7日(金)迄の [主な行事]です.
3月24日 柳澤神社.奉告祭.数珠くり法要(郡山城天守台)
[女王卑弥呼交代式]が 華やかに催されました
3月25日 第101回金魚品評会.金魚,めだか即売会
3月26日の「時代行列・白狐渡御」は 雨天の為
中止になりました.
4月2日 お城まつりコンサート (追手向櫓広場)
郡山中学校吹奏楽部⇒大和郡山観光PR大使の
藤さくら.七海りか.川井聖子さんが参加
チキンガーリックステーキ(大和丸なすPR大使)
[夜桜ぼんぼり及び 天守台ライトアップ](期間中)
天正8年(1580)(筒井順慶)が築城し大和.和泉.紀伊
三ヶ国・百万石の太守として(豊臣秀長)が大和
(郡山城)に 入城したのが⇒天正13年(1585)
享保9年(1724)柳澤吉里が甲府より郡山に国替え
入城し 桜樹を補植し.以来毎年 春の開花期には
藩士.町民達の楽しみであったと伝えられています
明治となり城郭が全て取り払われたが旧藩士が
明治13年(1880)本丸に 藩祖.柳澤吉保を祀る
(柳澤神社)を建て周辺に旧藩邸の桜樹を移植し
更に数百株を補植.毎年(かがり火)を焚き
(春宵一刻)を 楽しむ様になったそうです
(追手門)が豊臣秀長.築城に 相応しい姿で復原!
郡山城跡の櫓には満開の(枝垂れ桜)が近鉄電車の
車窓からの眺めも心を和ませて呉れています
筒井順慶.豊臣秀長.柳沢吉保.所縁の大和郡山城跡
ソメイヨシノ. 山桜. しだれ桜. 八重桜等800本
(日本さくら名所100選)~山口誓子.森川許六の
句碑の基で(桜花)を愛で散策するのも如何でしょう
『大和また 新たなる国 田を鋤けば』(山口誓子)
『菜の花の 中に城あり 郡山』(森川許六)
『いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に
明日ともいはば 散りもこそせめ』(良寛)
『十字路の 花祭こそ 王府の地』 (飯田蛇笏)
LINK Lucky PAL (PAL is My Family)
https://ameblo.jp/lucky-pal
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http://okamotogen.blogspot.com/
http://blog.goo.ne.jp/gogogen2000
(佐々木 幸綱)
四年振りに 新型コロナウイルス感染症対策を講じ乍ら
「第62回大和郡山.お城まつり」史跡 (郡山城跡)
(城下町一帯)で 通常開催となりました
[大和郡山お城祭り]は昭和36年(1961)に観光協会会長
広瀬元次郎が始めた [数珠くり法要]が起源と言われ~
[数珠くり法要]は 石垣の中にある 石仏や城史有縁の
諸霊を慰めた様です. 当初5月5日の子供の日に実施.
明治40年(1907)から 桜が見ごろを迎える時期に
行われていた(金魚品評会)に合わせて催されています.
大和郡山城の桜は 天正13年(1585)に 豊臣秀吉が
談山神社を多武峰から郡山城下に移した際に一緒に
移したのが 起源とも言われています.
*談山神社は天正18年(1590)に戻りました.
通常開催になった [第62回大和郡山お城まつり]の
*4月7日(金)迄の [主な行事]です.
3月24日 柳澤神社.奉告祭.数珠くり法要(郡山城天守台)
[女王卑弥呼交代式]が 華やかに催されました
3月25日 第101回金魚品評会.金魚,めだか即売会
3月26日の「時代行列・白狐渡御」は 雨天の為
中止になりました.
4月2日 お城まつりコンサート (追手向櫓広場)
郡山中学校吹奏楽部⇒大和郡山観光PR大使の
藤さくら.七海りか.川井聖子さんが参加
チキンガーリックステーキ(大和丸なすPR大使)
[夜桜ぼんぼり及び 天守台ライトアップ](期間中)
天正8年(1580)(筒井順慶)が築城し大和.和泉.紀伊
三ヶ国・百万石の太守として(豊臣秀長)が大和
(郡山城)に 入城したのが⇒天正13年(1585)
享保9年(1724)柳澤吉里が甲府より郡山に国替え
入城し 桜樹を補植し.以来毎年 春の開花期には
藩士.町民達の楽しみであったと伝えられています
明治となり城郭が全て取り払われたが旧藩士が
明治13年(1880)本丸に 藩祖.柳澤吉保を祀る
(柳澤神社)を建て周辺に旧藩邸の桜樹を移植し
更に数百株を補植.毎年(かがり火)を焚き
(春宵一刻)を 楽しむ様になったそうです
(追手門)が豊臣秀長.築城に 相応しい姿で復原!
郡山城跡の櫓には満開の(枝垂れ桜)が近鉄電車の
車窓からの眺めも心を和ませて呉れています
筒井順慶.豊臣秀長.柳沢吉保.所縁の大和郡山城跡
ソメイヨシノ. 山桜. しだれ桜. 八重桜等800本
(日本さくら名所100選)~山口誓子.森川許六の
句碑の基で(桜花)を愛で散策するのも如何でしょう
『大和また 新たなる国 田を鋤けば』(山口誓子)
『菜の花の 中に城あり 郡山』(森川許六)
『いざ子ども 山べにゆかむ 桜見に
明日ともいはば 散りもこそせめ』(良寛)
『十字路の 花祭こそ 王府の地』 (飯田蛇笏)
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