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One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

(東大寺大仏殿.盧舎那大仏を穏やかな表情で見つめ円錐台座上に立つ(行基さん)「熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力」「よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる 天平の技-」(PART Ⅱ)

2020年06月11日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
近畿地方は既に(梅雨入り)九州北部⇒関東 甲信
北陸.東北南部が梅雨入り⇒東北北部は梅雨入り
間近で日本海側は雨量が多く梅雨前線の活動の
程度如何で大雨になる恐れも有り御御注意下さい



近鉄奈良駅に降りた途端に表玄関(行基菩薩広場)
(行基さん)で 市民に親しまれている(行基菩薩像)

(二月堂修二会.お水取り)で 所縁のある方々の
名前が記された過去帳が読み上げられていますが
聖武天皇.聖武天皇の母.聖武皇太后宮.3番目には
光明皇后の名が続き4番目に読み上げられるのが
「行基菩薩」ですね!



私度僧で民衆から大変慕われ度々弾圧に根げずに
溜池15窪.橋6所.困窮者の為の「布施屋」等々
民衆と共に土木事業のリーダーとしても活躍された
(行基菩薩)⇒743年.聖武天皇に東大寺大仏造立の
実質上の責任者として招聘されています
『一枝の草.一握りの土を持ち寄るだけでもいい
出来るだけ多くの人々に参加してほしい』(行基)



東大寺開眼法要が行われる3年前に生涯を閉じた
(行基さん)は常に(東大寺大仏殿・盧舎那大仏)を
穏やかな表情で見つめておられます


『行基の精神を引き継ぎ街のシンボルにしたい』
(再開発時に当時の元市長.鍵田忠三郎さん)
近鉄奈良駅の行基菩薩像は3代目で初代2代目は
当時.心無い人に壊されたり.雨風で傷んだ為に
平成7年台座のみが赤膚焼御本体はブロンズ像で
復元されました



像を制作したのは約400年の歴史を持つ赤膚焼の
窯元(正人窯)(奈良) 元市長から依頼されたのは
七代目大塩正人さん(故人)約2年かけて作り上げ
「同じ型で作ったものが霊山寺(奈良)と九品寺
(奈良県御所市)にある」(正人窯.大塩正已さん)



(霊山寺)は山門の通り沿い(九品寺)は本堂の脇に
行基菩薩像が安置されていますね!



『霊山の 釈迦のみまへに 契りてし
    真如くちせず あひみつるかな』



「天竺より東大寺供養にあひに菩提がなぎさに
来つきたりける時よめる」(拾遺集)
天平勝宝四年(752)の東大寺開眼供養会に出仕
天竺から難波津の渚にこられた時に読んだ
「行基菩薩の歌」とされていますね

『霊山の 釈迦のみ前に 契りてし
 ことな忘れそ 世はへだつとも』(良寛)



仏教を布教する傍ら大規模な土木開発や社会福祉
事業を推進.東大寺の大仏殿建立に大きく貢献した
「行基菩薩」像を後に⇒新型コロナウイルス感染
拡大防止の為.臨時休館中の(県立美術館)では
感染防止対策を講じた上で5月19日から開館!
特別展(熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後
日本美術の力)を鑑賞致したく急いだものです!



[熱い絵画 大橋コレクションに見る戦後日本美術の力]



1950年代後半⇒1970年代にかけ日本の現代美術を収集
大橋嘉一さんは1953年に東京藝術大学へ寄附され
「大橋賞」を設置する等日本の現代美術を支えました
大橋コレクション(2,000点)は奈良県立美術館.国立国際
美術館.大橋嘉一さんの母校.京都工芸繊維大学美術工芸
資料館に分割して寄贈~3館に分散したコレクションが
一堂に会するのは今回が初回.奈良県立美術館では戦後
昭和に躍動した画家たちの熱いエネルギーを感じられる
(秀作90点)が紹介されています



第1展示室には戦前から創作活動に取り組む作家さん
桂ゆき.小山田二郎.杉全直.須田剋太等々作品!
(大橋コレクションに見る戦後日本美術の力)は
6つのコーナーで構成され第5室は大阪の前衛集団
「具体美術協会」を代表する白髪一雄.元永定正



第6室は「奈良の現代作家―館蔵品から」
大橋嘉一が生前に東京藝術大学に寄付して設定された
「大橋賞」の受賞者.奈良出身の絹谷幸二.金森良泰の
作品等が展示されています
戦後の混乱期の中で新しい価値観や存在感を求めて
模索し挑戦する33人の芸術家による作品90点
戦後の激動の時代に活躍した画家の独創的で活力が
溢れあふれる(熱い絵画)ですね!



特別展「よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる
天平の技-」~(奈良国立博物館)




新型コロナウイルス感染拡大防止の為.対策を講じ
5月19日より開幕予定でしたが残念乍ら開催期間は
2020年7月4日~9月6日(日)となりましたね



元来正倉院宝物の模造製作は修理と一体の事業!
昭和47年(1972)からは宝物の材料や技法.構造
の忠実な再現に重点がおかれる様になったそうです
以来.人間国宝.伝統技術保持者の熟練の技と最新の
調査・研究成果との融合により芸術性・学術性の
高い優れた再現模造が数多く生み出されて来ました



(よみがえる正倉院宝物-再現模造にみる天平の技)
国立博物館での開催が待ち遠しいものです!



『ゆめの国 燃ゆべきものの 燃えぬ国
 木の校倉の とはに立つ国』(森 鴎外)