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One For All~All For One! 倭は 国の まほろば たたなずく 青垣 山隠れる 倭し美し!

(東より春は来ると植ゑし梅・杉の秀にオリオン星座万燈会) 『天を敬い 人を愛す』~朱塗の回廊.王朝絵巻(春日大社 節分萬燈籠) 

2020年02月03日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
[秋は金木犀.春は沈丁花]~沈丁花の香気{光の春}
幽玄の炎.浄火を奉げ・先祖の冥福を祈り商売繁盛!
息災を神々に願う春日大社~[節分萬燈籠] (2.3)が
催されました!



「正月のどかなりしを此月さえかへりて更にきぬを
着れば.きぬさらぎといふをあやまれるなり.按ずるに
もとは.きぬさらぎ也」(藤原清輔)~歌論書『奥儀抄』
陰暦2月は『衣更着』と言われていますが~



更に衣を重ね着る衣更着よりも陽気が更に来る2月
『気更来』を 願望致したいものです!



{幽玄の世界}{災害.復興.祈願}息災祈る{節分萬燈籠}



『春日権現霊験記繪』春日明神の霊験の数々の
詞書と絵~華やかな貴族の生活~庶民の風俗.
樹木と神山と鹿の信仰.神仏習合に基づく
春日浄土の世界絵は 高階隆兼・西園寺公衡の
発願で 延慶2年(1309)春日社に奉納され
稠密華麗.色鮮やかに綴られた(大和絵)の
一頂点とさえ言われていますね!



[春日権現霊験記] にも描かれている『瑠璃燈籠』
[釣燈籠]の中でも最も古く 式年造替に合わせて五基
新調されましたが.長暦弐年(1038)に藤原頼通が寄進
[春日権現験記」~四つの本殿の軒先に1基ずつ
緑色の燈籠が描かれていますね!
平安時代の『瑠璃燈籠』は奥州平泉.藤原氏が所蔵
していた記録もあり 室町時代には正月の数日間点灯!
鎌倉時代に藤原頼通.奉納の『瑠璃燈籠』を基に新調
現存するのは弐代目と考えられていますね!



『瑠璃燈籠』~正月の歳旦祭冬と夏の{萬燈籠}に
掛けられ御灯が燈り平安人も瑠璃色を愛でたでしょう



平安朝の頃から庶民信仰が厚く藤原氏を始め一般
国民から奉納された境内にある 3000基





萬燈籠.古いのは釣り燈篭で藤原頼通の寄進した
瑠璃燈籠(1038) 石燈籠では若宮社の南方にある
藤原忠通の寄進した柚木燈籠 (1137)



飛火野横の参道には立派な2つの大燈籠



鹿島神宮から神様が白い鹿に乗って来られ
御笠山に御移して祀りしたと伝えられています
『天を敬い 人を愛す』(敬天愛人)



崇敬者の願いを揉めた和紙が貼られ萬燈籠の日
舞楽奉納の後.花山院弘匡宮司が本殿前の
「瑠璃燈籠」に点火され回廊につるされた
1千基の釣灯籠.参道脇に並ぶ2千基の石灯籠に
参列者の各自が浄火を入れ境内にある約3000基
全ての[萬燈籠]に 火が灯されます



まるで 王朝.幽玄の世界が繰り広げられ
本殿周辺は釣燈籠が並び 朱塗の回廊を照らし
恰も艶やかな平安朝の王朝絵巻の様ですね!



また燈籠が整然と並ぶ 二ノ鳥居から神苑付近も
《蝋燭の明かり》が大和.春日社の[冬の夜]を
照らし(幽玄の世界)が繰り広げられます



(萬燈籠)は 江戸時代末頃までは(常夜灯)
油料の続く限り毎晩燈されました
また(雨乞祈願)にも萬燈が行われたとの
記録がある様ですね!



萬燈籠は明治維新後一時 廃止されたが
明治21年から再興されて(節分と御盆)の
年2回 点火されています



近年は(中元萬燈籠)8月14日,15日
(節分萬燈籠) 2月 節分日
節分萬燈籠・・・諸願成就の祈願祭で
舞楽が奉納されます



「節分万灯籠の思い出」 (井浪 立葉)
 [鹿紋様 しんしんと透き 万燈会] 
 [杉の秀に オリオン星座 万燈会]



[東より春は来ると植ゑし梅] (高浜虚子)



{天深く春立つものの芽を見たり}(加藤 楸邨)