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{白山桜はやっぱり[吉野.山桜] ~ 『歌書よりも 軍書に悲し 吉野山』

2017年04月18日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
[千本桜]~[一目千本]~見頃を迎えた吉野山!



絶景の[白山桜] 200種類の桜の大半が[山桜]
[上千本]も咲き誇り間もなく満開!頂上付近の[奥千本]
[白山桜]~{春入桜花満山白} [一目千本]が楽しみですね!



『歌書よりも 軍書に悲し 吉野山』 {東花坊}



芭蕉十哲の一人{各務 支考}(かがみしこう)の句です
{東花坊}は{支考}の別号[太平記]に描かれた[南朝の哀史]
南朝の悲歌を詠まれた~『新葉和歌集』~『太平記』
[軍書]に書かれた{山桜の吉野}で散った兵達が偲ばれ
{南朝の哀史~戦乱}の 哀れさを感じた次第です



山禽叫斷夜廖廖 限無春風恨未銷
露臥延元陵下月 滿身花影南朝夢
{芳 野 懐 古} 河野鐵兜



小生が[芳野行]を決行致したもう一つの理由は
盛唐の三詩人と称せられる詩佛{王維}の言う
自寛---詰まり 世事浮雲 何ぞ問うに足らん—
こんな自寛 (時空を超越し 寛とした気持) 精神を
満喫致したいものだと考えた次第です

小生.昨秋の[吉野山]行では{落花深き処.南朝}を説く
吉野の古老の迫力に圧倒され長柄も梁川星巌
河野鉄兜・藤井竹外~この三人の大人達の
{芳野懐古} を互いに 吟詠した時もありました
{蝉時雨}{鶯の谷渡り}が交差する{四阿}での優雅な
詩吟[合吟]を御指導願った次第です



古陵松柏吼天飆 山寺尋春春寂寥 
眉雪老僧時輟帚 落花深處説南朝
{芳 野 懐 古} 藤井竹外}



{吹く風をなこその関と思へども
    道もせに散る山桜かな}  源 義家



[桜は俺の命だ~桜博士笹部新太郎の遺した物~]
{桜}はやっぱり[吉野.山桜] (hito.me.sen.bon)
{笹部桜}落花が始まる吉野山に建立された[頌桜碑]
暫し佇み感無量になった次第です!



NHKにも放映[1976]された水上勉の小説『櫻守』
桜博士.笹部新太郎翁を生涯尊敬した植木職人.弥吉
[損も得もない~先生は自分の財産をつこうて
日本の櫻を育てて はんのや! (心からの叫びですね)



[染井吉野]は一つの飾り物に過ぎない!
[桜]はやっぱり~山 桜!
{春入桜花満山白} 吉野山~奥千本.満開の
[白 山 桜] ~MY Web log (2013.4.13)(参)

笹部新太郎翁.日本の伝統的桜を残そうと私財を
投じ何百本もの名木の接木や実生を育て
桜博士とも言われる程{桜一筋}に情熱を傾け乍ら
研究を続けてこられましたね!



大阪造幣局{通り抜け}の桜の管理指導を始め
近江舞子の{千本桜}の植樹.高槻{金龍寺}桜植樹!
湯ノ山温泉の桜植樹~奈良県橿原街道沿い15kmの
山桜植樹~吉野山の{山桜}の管理指導等々~~

{桜}~収集された膨大な資料.花譜.書画.名勝の
古文献.研究所に至った4000冊.100冊を超える
覚書等が白鹿記念酒造博物館に保存されています



水上勉が毎日新聞に連載した『櫻守』と共に
[桜は俺の命だ~桜博士笹部新太郎の遺した物~]
木村清弘さん執筆の桜博士関連本も詩興が募りますね!



{蔵王堂}~金峯山寺--奈良県吉野町にある
修験道系の仏教寺院で開基は 役小角と伝えられ
本堂(蔵王堂)(国宝)~山上ヶ岳の大峯山寺本堂
「山上の蔵王堂」に対し山下の蔵王堂と呼ばれ
屋根は入母屋造檜皮葺き2階建ての様に見えるが
構造的には[一重裳階(もこし)付き]です



豊臣家の寄進で再興されたもので扉金具の銘から
天正19年(1592年)の建立!
高さ34メートル 奥行 幅ともに36メートル
木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模を
持つと言われ豪壮な建築で珍しいチャンチン材の
柱が太く原木の曲がりを残した自然木に近い
柱が使われていることが特色です



内陣には巨大な厨子があり 本尊として3体の
巨大な{蔵王権現像(秘仏)}を安置しています
また南北朝時代には南朝の中心地でもあり---
「金峯山」とは 単独の峰の呼称ではなく
吉野山(奈良県吉野町)とその南方20数キロの
大峯山系に位置する山上ヶ岳(天川村)を含む
山岳霊場を包括した名称でありました



[国宝仁王門大修理勧進秘仏本尊特別ご開帳]
平成29年春のご開帳の日程が決まりました。
平成24年から 十年間 秘仏本尊蔵王権現の
特別開帳が行われています
[春のご開帳は4月1日(土)]~5月7日(日)迄]

大般若転読法要[観音堂大祭]
蔵王堂前の観音堂にて大般若経六百巻を転読!
残り一年の家内安全・身体健全を祈る大般若転
読法要[観音堂大祭]が4月18日に催されます



吉野.大峯の霊場は和歌山県の高野山と熊野三山
これら霊場同士を結ぶ巡礼路と共に世界遺産
[紀伊山地の霊場と参詣道]構成要素となっています



{吉水神社}~太閤秀吉公の花見~『一目千本』



{吉水院}飛鳥時代後期~奈良時代.修験道の開祖.
役小角創立した僧坊⇒南北朝時代.後醍醐天皇が
吉水院を行宮[仮の皇居]とされています



源義経.静御前と郎党達を頼朝の追捕から
匿った吉水神社.~義経と静御前.別れを惜しみ
義経は雪深い大峰山へ~~



安土桃山時代文禄3年[1594]太閤秀吉公.寧々
五千人の家臣伴い吉野山で花見!
太閤秀吉.花見の宴~豊臣秀次.徳川家康.伊達政宗.
加藤清正.前田利家等が勢揃い本陣に[吉水院]



太閤秀吉が満開の桜を眺めて大感動!
[一目千本]という名所旧跡になっています



{如意輪寺}~奈良県吉野町にある浄土宗の寺
山号は塔尾山.本尊は如意輪観音 本堂の背後には
足利尊氏により京を追われ吉野の地で崩御された
[後醍醐天皇の陵・塔尾陵]はあまりにも有名です



{淋しさに また銅鑼打つや 鹿火屋守}  原 石鼎

深吉野の 森閑とした闇のなかで [鹿火屋守]が
淋しさに耐えかねて銅鑼を打ち鳴らしたと
想定されますね!原石鼎師が大正時代に作句した
この名句が残されています
*{鹿火屋}--田畑を 鹿や猪に荒らされない為に
夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋のことを
言ったそうです



山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立
國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波
加萬目立多都 怜憾國曽 蜻嶋 八間跡能國者
天皇登香具山望國之時御製歌

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ 
海原は 鴎(かまめ)立つ立つ うまし国そ
蜻蛉島 大和の国は (萬葉集 巻 第一 弐)



{萬葉集}にも 多く歌われて来た[桜]は開花までに
何年もかかる~{山桜} ですね!



{またれつる 吉野の桜さきにけり
心をちらせ雪の山風} {西行}

{西行}~北面の武士として鳥羽上皇に仕え23歳で
出家!~飯尾宗祇・松尾芭蕉等に大きな影響を
西行は与えたと言えますね!
{西行はおもしろくてしかも心もことに深くて
あはれなる.有難く出来がたき方も共に相兼ねて
見ゆ.生得の歌人と覚ゆ.これによりておぼろげの
人のまねびなんどすべき歌にあらず不可説の上手なり}
『後鳥羽院御口伝』



{春といへは 誰も吉野の山とおもふ心に
ふかきゆゑやあるらん}
{ねかはくは 花の下にて春しなん
その着更衣のもち月のころ}



{桜ばないのち一ぱいに咲くからに
生命をかけて我が眺めたり}{岡本かの子}



山禽叫斷夜廖廖 限無春風恨未銷
露臥延元陵下月 滿身花影南朝夢
{芳 野 懐 古} 河野鐵兜

{吹く風を なこその関と思へども
    道もせに散る 山桜かな} [源 義家]