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吉野山~奥千本.満開の[白 山 桜]~ {春 入 桜 花 満 山 白}

2013年04月15日 | 環境.伝統芸術 詩歌 ペット.スポーツ ボラ-
損も得もない~先生は自分の財産をつこうて
日本の 櫻を育てて はんのや

[染井吉野]は一つの飾り物に過ぎない!
[桜]はやっぱり~[山 桜!]




日本の伝統的桜を残そうと 私財を投じ
何百本もの名木の接木や実生を育て
{桜一筋}に 情熱を傾け 研究を続けた
桜博士.笹部新太郎翁を 生涯尊敬した
植木職人.弥吉の 心からの叫びとして
水上勉は小説『櫻守』
で描いていますね!

{本当の日本の桜というものは山桜や里桜だ!}
[染井吉野]は一つの飾り物に過ぎない!

[桜]はやっぱり[山桜]~小説『櫻守』
{桜は俺の命だ~桜博士.笹部新太郎翁の
遺したもの~}にも記述
されていますね

桜博士笹部新太郎が[染井吉野] では
無く [山桜] だ!と言った根底には安易に
利便性を追求し過ぎ{日本文化に残される
べきもの}を喪失されるのでは~そんな
危惧を感じておられたのかも知れません




{萬葉集}にも歌われて来た~[桜]は
開花までに何年もかかる~{山桜}
{江戸時代}に品種改良され
手間も要らず~根付きやすく
開花も早い~[染井吉野]
古来の日本の {桜}というものは
[山桜]や[里桜]だと言われるのには
そんな[山桜]と [染井吉野]の
違いを感じます



{奥千本は満開・上千本は散り始め
下千本・中千本は落下が盛ん~}

よし野こずゑの花を見し日より
    心は身にもそはず成りにき
{吉野山に庵を結んだ西行}


{日本一のお花見名所}は吉野山
「山を登って降りるまでの 数時間
この世のものとは思えない位 神秘的な
桜色の中に浸れるよ」等々朝日新聞の
読者からの 賞賛の声が 掲載されて
いましたね!

吉野山の桜花は 全て[白山桜]~つまり
30,000本の桜花は桜の原種ともいえる
{白山桜}が 密集
しています
下千本~中千本~上千本~奥千本
***下・中・上・奥***{一目 千本}が
吉野山 山下から山上へ順に見事に
開花
していきます



春入桜花満山白 南朝天子御魂香
春は 桜花に入って 満山白く
南朝の天子 御魂香し
The cherry blossoms are at their best now


奥の千本[西行庵]あたりには まだ蕾の
[山桜]
も散見されましたが~落花深き処
南朝を説く [吉野の古老]の迫力に
圧倒された次第です
梁川星巌~河野鉄兜~藤井竹外
この三人の大人達の{芳野懐古} を
互いに 吟詠できた 有意義な
芳野行きとなり 有難う御座いました

山禽叫斷夜廖廖 限無春風恨未銷
露臥延元陵下月 滿身花影南朝夢
{芳 野 懐 古} 河野鐵兜




蔵王堂

金峯山寺--奈良県吉野町にある修験道系の
仏教寺院で開基は 役小角と伝えられています
本堂(蔵王堂)(国宝)山上ヶ岳の大峯山寺本堂
[山上の蔵王堂]に対し 山下の蔵王堂と呼ばれ
屋根は入母屋造檜皮葺き2階建ての様に
見えるが構造的には{一重裳階付き}です

豊臣家の寄進で再興されたもので
扉金具の銘から天正19年(1592)の建立
高さ34㍍ 奥行 幅共に36㍍
木造建築としては東大寺大仏殿に次ぐ
規模を持つと言われ豪壮な建築で珍しい
チャンチン材の柱が太く原木の曲がりを
残した自然木に近い柱が使われている
ことが特色です
内陣には巨大な厨子があり 本尊として
3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を
安置しています
南北朝時代には南朝の中心地でもあり
[金峯山]とは 単独の峰の呼称ではなく
吉野山(奈良県吉野町)と その南方
20数キロの大峯山系に位置する
山上ヶ岳(天川村)を含む山岳霊場を
包括した名称でもありました



如意輪寺

如意輪寺は 吉野町にある浄土宗の
寺であり山号は塔尾山 本尊は如意輪観音
本堂の背後には足利尊氏により京を追われ 
吉野の地で崩御された 後醍醐天皇の陵
[塔尾陵]はあまりにも有名です



淋しさに また銅鑼打つや 鹿火屋守
                 原 石鼎


深吉野の森閑とした闇のなかで[鹿火屋守]が
淋しさに耐えかねて銅鑼を打ち鳴らしたと
想定されますね!
原石鼎師が大正時代に作句したこの名句が
残されています
*{鹿火屋}田畑を鹿や猪に荒らされない為に
夜間獣が嫌う臭いものを燻らせた小屋の
ことを言ったそうです

花の風 山蜂たかく わたるかな 飯田 蛇笏